異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-   作:鹿紅 順

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第二章 第16話「激突!〝四鬼天〟」

 ローブの下から現れたのは――一度天へと伸び、再び重力に従ったように歪曲した巻き角。黄色い虹彩に浮かぶ横一文字に引かれた瞳孔。指が発達した手に対し、脚には蹄が発達している。

 

 さながら山羊と人間が融合したようなフォルム……リンではそう表現するのが精一杯であったが、旧時代のチキュウ人――特に宗教関係者――であれば〝悪魔〟あるいは〝バフォメット〟と呼称したであろう。

 

 その肉体は獣人らしく黒色の体毛を纏っているが、その上からでも分かるほど鍛えられた筋肉を備えていることが見て取れる。これまでの慇懃かつ湿度を帯びたような話し方のイメージにそぐわぬ偉丈夫ぶりだ。

 

 術師らしく、全身各所に金属の細い鎖の装飾やタリスマンを身に着け、極めつけは首から提げた香炉が存在感を放っている。今は火を灯していないが、ロクでもない効能の香りを漂わせることを確信させてくる。

 

「……やはり黒山羊族(ゴーゼス)か(もはや生き残りもいないと思っていたが……)」

 

「ええ、ご覧のとおりに」と両手を広げる〝鬼術師〟。

 

「……貴様ら、何者だ?(本当に!)」

 

 問い詰めるビカムの語気は一層強い。

 リンダリアルの種族がシティの走狗として牙を剥く状況は、美剣士をして尋常ならざる事態と判断せざるをえないようだ。

 

「私の名はマズダー。アキツ・シティでは〝鬼術師〟というこぉどねぇむ(・・・・・・)で呼ばれています。雇い主の命により、表沙汰にしづらい暴力仕事を請け負っているしがない黒山羊族です。お見知りおきを。なぜ素直に答えるのかと言いたげですねえ? 名にし負う美剣士ビカムと(まみ)えるのですから名乗るのが礼儀というもの――ましてやこれから命を奪うおうという相手ならなおさらに」

 

 ぬけぬけとそう宣った〝鬼術師〟――いや、マズダー!

 

 つい、とビカムの目線が移動したのを感じ取った〝鬼怒女〟は傲岸そうに腕を組む。

 

「我は名乗らんぞ。少なくとも、我が名を知るに(する)する戦士か見極めるまではな。こっちの黒い鎧も問うだけ無駄だ」

 

「……そうか。是非、其方(そなた)の名前を聞いておきたかったが」

 

「ほう?」

 

「――これが最後になるかもしれないだろう?(逃げられた場合に備えて、通報できるよう名を知っておきたい)」

 

〝鬼怒女〟は心の底から不可解そうな顔になった後――一転、鬼神もかくやと言うべき凄惨な笑みを浮かべた。

 

「フフフ、ハッハハハハハッ‼ なるほど、貴様こそ我を殺すと(のたま)うか! いいぞ、長らく我に威勢の良い言葉を吐く輩はいなかった!」

 

 ――〝鬼怒女〟が愚弄のために弁舌を振るうならば、美剣士は典雅な意趣返しでその舌を巻かせてみせた。

 

 相手を殺そうとする者は、当然自分が殺される可能性を孕むもの。

 ゆえに、「これから私の手によって死ぬ相手の名を知りたい」と返答することで、自分が狩人だと思い上がっている者に貴様こそ狩られる側だと突きつけた。

 この痛烈な返しには〝鬼怒女〟ですら笑って舌戦の敗北を認めざるをえなかったようだ。

 

 しかし、言葉を操ったところで勝負の決着がつくわけではない。

 むしろ……相手の士気を高めてしまった点においては、この前哨戦の勝利は逆効果だったかもしれない。

 

「クク、気が変わった――ならば名乗らねばなるまい。我が名はラクシュナ! 幻霧山(げんむさん)を統べる鬼族の忌み鬼子なり!」

 

〝鬼怒女〟ことラクシュナは機械化棍棒の先端をビカムへと突きつけた。

 

「貴様は今から我が獲物だ! このラクシュナと勝負を決するまで、いかなる運命も貴様を(さら)うことはできないと思え」

 

「……ラクシュナか。その名前、覚えたぞ(指名手配してもらおう)」

 

 一瞬にして互いの闘気が膨れ上がる。

 

「――ちょ、ちょっと待って!」

 

 慌てたように声を割り込ませたのは、事態を呑み込めていないリンだ。

 心に波風立たせることなく落ち着いたビカムをちらちらと見ながら、

 

「ジャガンといい貴方たちといい、いったい何が目的なの⁉ どうして私たちをつけ狙うのよ!」

 

 狙われる側として至極真っ当な質問をされ、〝四鬼天〟の間に一瞬呆けた空気が流れた。

 そうしてマズダーとラクシュナは互いの顔を見合わせ、

 

「そう言えば、そのあたりの事は何も言っていませんでしたねえ」

 

「幼童のように目の前の戦いに気を取られ、当初の目的を失念していたようだ」

 

「……(戦いを吹っかけられるのに慣れ過ぎて疑問にも思わなかった)」

 

 これまでの情報から推察するに、ジャガンが口にしていた〝例のモノ〟とやらを奪うなりしに来たのだろうが、闘争(手段)が目的化するとは呆れた連中である。

 なおビカムに限っては、その辺りの魂胆を見抜いたうえで全員叩き斬ると決定していたので疑問を呈すまでもなかったのであろう……。

 

「失敬、失敬。我々も(いささ)か貴方の武威に()てられたようで」

 

「……(私のせいみたいに言うのはやめてほしい……)」

 

「では端的に――美剣士ビカム、貴方が『こみげむ』で購入したあの書物(・・・・)、我々に渡してもらいたい。我らの雇用主がそれを望んでいます」

 

『――マーカス・ハーディが、と言ったらどうかしら?』

 

 柔らかな女性の人工音声が会話に割り込んだ。

 

「おお、そこまでお見通しとは!」

 

 マズダーは舞台役者のごとく大仰に手を広げる。

 アイが推理した今回の事件の黒幕が的中しているのは、マズダーの驚き様から明らかだった。

 

「……(なぜ、あの本をそこまで欲しがる? もはや死人が出ているとはいえ、正直他人に貸してもいい程度の……)」

 

「そこまで見通したならば――もはや貴方の命を奪うしかないようですねえ」

 

「……(!?!?!?!?!?)」

 

「〝計画の一端でも知られたならば消せ〟というのが雇用主の命令ですが……正直それはどうでもよいのです」

 

 ニタリ、とマズダーの口が(わら)いに歪む。

 

「私も、ここにいるラクシュナも! 貴方と存分に戦いたいのですよ! 彼女は強者を打倒し乗り越える法悦を、私は強者を惨めに嬲る快楽を――求めるものの違いはあれど、その一点で結託しているのです。しかしまあ、なるほど、なるほど……そうも平静な様子を見るに、貴方にとってはこうなる展開も予想通りということですか」

 

 ラクシュナも大きく頷いた。

 

「ああ、貴様のその眼を見れば分かるぞ。大人しく渡す気など、(はな)から微塵もないのだろう? 激突は必至だと、既に心の中では得物の(つか)に手を置いていたわけか」

 

「……(!?!?!?!?!?)」

 

 昨日の宿屋でのビカムとアイの会話のとおり、この美剣士は既に事件の黒幕の正体を見抜いていた。

 ゆえに……命を奪うという台詞(セリフ)が何の脅しになろうや?

 霊剣フェーレが常に彼の掌中にあるという事実以前に、ビカムは既に闘争を覚悟していたのである。

 

「……戦う以外の道は、無いのだな?(例えば私が読み終えた後に本を貸すとか……)」

 

「慈悲をかけようとでもいうのか! それは我を叩き伏せてから――」

 

 言いかけて、ラクシュナはこれまで気にも留めなかったものに初めて目を向けた。

 

 ――鮮烈な怒気がこの場を貫いたからだ。

 

「……さっきから勝手な事をごちゃごちゃと!」

 

 その源たるチキュウの少女は高周波ブレードの切っ先を〝四鬼天〟に突きつけた。

 

「何様のつもりか知らないけれど、結局アンタたちはただの強盗殺人犯でしかない。助かるわ、斬るのに何の呵責(かしゃく)も無くて」

 

 ――リンは怒っていた。

 自分たちの目的のために『こみげむ』の店主を殺し、ビカムだけでなくたまたま居合わせた自分の命まで奪うおうとした悪党どもに。

 挙句、リンなど居てもいなくても変わらない雑魚扱いで話を進めようとする。

 

 噛み砕いて言えば――コケにされまくっているのだ、リンは。

 

 その正当なる怒りが、ビカムの存在感に優るとも劣らない、〝四鬼天〟すらも無視ができないほどの剣気を生み出したのだ。

 たとえ万が一の可能性でも……この少女の刃は己が命に届きうると。

 

「フンッ、ただの小娘が我の邪魔を、」

 

 不遜な態度を崩さないラクシュナが不意に言葉を切り、警戒を露わにした。

 リンの剣気に応えるよう……同質(・・)の気配が傍で膨れ上がったからだ。

 

「――娘。貴様ノ相手ハ私ダ」

 

〝黒鬼士〟。

 

 ここまで一切の反応を示さなかった剣客からいざ放たれるプレッシャーは、浴びているだけで全身を刻まれるような錯覚すら覚えた。

 漆黒の刃はまだ抜かれていないが、彼自身が最早、抜身の剣に等しい存在であった。

 

「貴様ガ名刀カ、ソレトモ(なまくら)カ、私ハ見定メネバナラナイ」

 

 同じ剣の遣い手同士、通ずる何かがあったというのか。

 だが尋常ならざる剣気からは、それ以上のものを想起せざるをえない。

 

「娘。ココハ邪魔ガ入ル。アッチダ」

 

「おい〝黒鬼士〟、何を勝手に決めている。その小娘もまとめて殺、――ッッッ‼」

 

 ラクシュナは勢い良く飛び退(すさ)った。

 その寸前、空間に黒い閃光が(はし)り、赤の飛沫が線を引いた。

 前者は〝黒鬼士〟の黒刃、後者は〝鬼怒女〟の血。

 

 神速の抜刀が、わずかに避け損ねたラクシュナの左耳を上下に切り裂いていた。

 様子見のジャブでもなければ、実を伴わぬ見せ技でもない。

 本気で殺すための、本気の攻撃。

 安穏と待ち構えていたら、間違いなく頭と胴が泣き別れしていた。

 

「貴ッ、様ァ……‼」

 

 ラクシュナの顔が憤怒の形相に変わる――頭の中からは〝黒鬼士〟が曲がりなりにも目的を一つにする同僚だという意識は消し飛んでいるだろう。

 その叩き殺すための禍々しいフォルムを帯びた棍棒を振りかぶる――

 

 しかし、それは虫一匹殺すことなく空中で静止した。

 先程の剣気の応酬とは比べ物にならない()が周囲一帯を押し潰したのだ。

 

 ――美剣士から放たれた圧倒的な覇気……!

 

 それが何に起因し、何に向けて放たれたか。

 この場にいる者は寸分違わず理解した。いや、理解させられた。

 

「……っ(マズい! あの〝黒鬼士〟という者、かなりの手練れ。リン殿を信用しないわけではないが、一人で向かわせるのは……! だがマズダーとラクシュナも無視できない……むしろ三対三の混戦になる方がリン殿は危ないか……⁉ 意外に、二対一と一対一に別れた方が良いのか……くっ、分からない全然……!)」

 

 ビカムの美唇(びしん)は今、極僅かながら歪みを帯びていた。

 普段の彼を知る者ならなおさら……。

 初めて(まみ)える者でさえ、あの瑞々しく麗しい唇が――怒りによって造形美の黄金律を崩そうなど、思いもよらないことだろう。

 それほどまでに彼の感情を昂らせた原因は明らかであり、沸騰した〝鬼怒女〟の脳味噌に冷や水を浴びせた。

 

「……リン殿、(ちょっと作戦会議をしたく……)」

 

 ビカムが最後まで告げるまでもなく、

 

「ええ、私は大丈夫。ビカムこそ決着、つけてきてね」

 

 そう言い残し、威風堂々とサムライガールは〝黒鬼士〟の指し示す場所へ歩みを進めていく。

 

「……(いやっ、まだ何も、あれっ……⁉)」

 

 ――ゴッ! と鈍い音が響いた。

 ラクシュナが、敵を叩き潰すはずの大きな棍棒で己が額を打ち据えたからだ。

 

 打撲箇所の皮膚が滲み、紅い血を一筋滴らせる。

 傷は鬼族の生命力で瞬く間に塞がっていき、〝黒鬼士〟に斬断された耳の傷もとうに治癒を終えていた。

 

「……(何事……⁉ 急に怖っ……)」

 

「すまなかったな、美剣士ビカム」口端を流れる血を舌で舐め取ってラクシュナは言う。「貴様という極上の敵が居ながら、我は味方との内輪揉めを優先するところであった。このとおりだ」

 

 無防備に下げられた頭はこちらの油断を誘うものではなく、戦士としての礼儀を欠いたことの真摯なる謝罪であった。

 

「我が名に誓って、あの小娘と〝黒鬼士〟の戦いを邪魔しないと約束しよう」

 

「それは〝鬼怒女〟殿だけご勝手に。ただ、私も――余所見している余裕は無いでしょうがね!」

 

 それが開戦の合図だった。

 詠唱もなしにマズダーから魔法が飛ぶ。密やかに印を組み終えていたか!

 骨だけの半透明の鳥の群が召喚され、ビカムへと飛来する。

 しかし、それは当然のように霊剣フェーレによって斬り払われた。こんなものは小手調べにもならない、ただの御挨拶だ。

 

 その隙にマズダーがさらなる印を組むために下がり、殺戮の歓喜を充溢させたラクシュナが前進する。

 前衛として躍り出たラクシュナに、美剣士はたった一人で立ち向かう。彼の傍には、援護射撃を試みる射手も、負傷を癒す魔法使いもいない。徒党を組んだ敵を前に、彼は独り。

 

 だが、

 

「――恐れ(おのの)け! ラクシュナがいざ参るッ‼」

 

「……(怖い)」

 

 その台詞がまさか自分に帰ってくることになるとは、ラクシュナ自身も想像していなかったであろう――

 

 

 

   ***

 

 

 

 幻霧山には鬼が住む。

 

 麓近くの住人は決して山に入らない……今のように街道が整備され交通の便が良くなるよりも昔、食料の入手を他領や他国からの輸入に頼りづらい時代、地元の自然の恵みは貴重な食料の供給源だった。近隣に海がない分、山の幸は一層の生命線と言えた。

 

 だが、それでも村や町の住人は絶対にその山に立ち入ることをしなかった。

 たとえ未曽有の飢饉が襲おうとも、その掟を固く守り続けた。

 

 なぜならば、そう……幻霧山には鬼が住むからだ。

 

 有角巨躯の鬼族。一度迷えば二度と出られぬと言われるほど霧深い幻霧山を縄張りとする、交戦的で獰猛な種族。

 不用心に山に入った者が出てこないのは、霧に惑わされ遭難するからではない――あの鬼族に見つかり、逃げることのできない戦いを挑まれ殺されるからだと、まことしやかに噂された。

 

 それを裏付けるように、こんな話がある。

 極稀に、鬼族が麓まで降りてくることがあった。幻霧山の(さち)を売り、麓の民の加工品を購入するためにだ。

 おどろおどろしい噂に反して、彼らの態度はとても普通であった。貨幣を必要としない暮らしをしながら、算術を理解して物を売り買いする姿は理知的ですらあった。

 

 取引の回数は何事もなく増えていく。

 人々は胸を撫でおろし、噂は誇張であったと安堵する。

 

 ――ある日、山の幸を売った金で商品を買おうとしていた鬼族が、店主の顔を殴りつけた。

 

 野蛮な鬼族は計算などできないだろうと、店主が釣銭を誤魔化して渡したのだ。

 鬼族はそれを咎めて手を出した結果、熟れた果物のように店主の頭部は弾け、惨状が広がった。

 騒ぎを聞いて駆け付けた村の衛士が鬼族を捕えようとして死んだ。事情を知らない衛士は鬼族が原因だと決めつけ槍を突きつけた瞬間、首を折られた。

 遠くからその様子を目撃した村人が、たまたま宿に滞在していた流れの冒険者に鬼族を倒すよう依頼し、請け負った冒険者は剣を向けるも、軽々と殺された……。

 

 そんな死の連鎖が続き、ようやく事態が収まった――立ち向かおうとする者を殺し尽くした――ところで、その鬼族は怒りでも悲しみでもなく理解(・・)を示していたという。

 

〝――あの店主は私の釣銭を誤魔化した。万死に値するゆえ、命を頂いた。村の衛士は私に武器を突きつけ、闘争を挑んだ。ゆえに尋常に戦い、勝利の証として命を頂いた。以後の冒険者も、その他の人間も、私に勝負を挑んできた。私はそれに勝利し、命を頂いた。ただそれだけだ〟

 

 事ここに至り、村人たちは圧倒的な齟齬が鬼族との間に横たわっていることを自覚した。

 

 その鬼族は店主を殺したことも衛士たちを殺したことも、まるで罪になど感じていなかった。

 無礼を咎めて命を頂くことも、己に敗北した相手の命を頂くことも、敗者は命を含めた全てを勝者に差し出すことも……鬼族にとってはただの自然の営みに過ぎなかった。

 どれだけの流血がなされようと、それが彼らの倫理の範疇に納まるものならば全て善し(・・・・)

 

 鬼族にとって、闘争とは信仰である。

 偉大なる祖霊に捧げる供物であり、自らの存在を証明する手段であり、己を昇華させる唯一の道――そう信じて疑わない。

 

 ゆえに発端が何であろうと――相手に非があろうと、勿論自分の非だろうと――それが闘争を導くならば否やはない。理由は何であれ、武器の切っ先を向けた衛士や冒険者は正々堂々勝負を挑んできた戦士として遇する。

 尋常に勝負を行い、命を頂き、勝利を積み重ねる。その先にのみ神へと至る(きざはし)がある……。

 

 そんな一族にラクシュナは生を受けた。

 生まれた時、繋がったままのへその緒を自ら引き千切った様は、彼女の鬼としての素養を感じさせる光景であった。

 

 鬼族の里において成長したラクシュナは、同世代どころか大人たちまで含めて並び立つ者のいない鬼子となった。力を振るえば怪力無双。何より鬼族最大の種族的特徴である再生能力は破格の一言。

 それすなわち――()へと至る準備ができたことを意味する。

 鬼族がひたすらに闘争を求めるのも、その果てに力と再生能力を授かるのも、全ては自己を昇華させるための手段に過ぎない。

 

 長老衆から認められた鬼は、儀式にて身を清めた後……自らの両腕を、指先から肩の付け根にかけて縦に引き裂く。

 肩で繋がったままの半分の腕が出来上がるわけだが、驚異的に高まった鬼族の力が、失われた腕の部分を再生復元してしまう。その結果、腕は倍の四本に増えることになる。

 極めつけは、自分の頭でもそれを行う。

 頭頂から喉の下まで、刃を入れて――頭を割るのだ。

 

 想像を絶する苦痛の以前に、脳を半分に切られる損傷により絶命は免れない。

 そのはずなのに……選ばれし鬼族は死をも凌駕し、肉体は再生を始める。

 チキュウ人向けに説明するならば、頭部に切れ込みを入れられたプラナリアが、その分だけ頭部を持つプラナリアに再生するアーカイブ映像を見るとイメージしやすいだろう(余談だが、水質変化に著しい影響を受けるプラナリアはチキュウにおいて既に絶滅している)。

 

 そうして二面四臂となった鬼は〝亜鬼神(アースーラ)〟と呼ばれ、幻霧山の頂上手前まで昇り、さらに肉体をいじめぬくような過酷極まりない苦行に臨む。肉刑同然の修行は筆舌に尽くしがたく、業苦と再生の無限循環にリタイアする〝亜鬼神〟もいた。

 その修行を潜り抜け、肉体がさらなる再生能力を得ると、最後にもう一度、己の肉体を引き裂く。左右二本ずつある腕の、もう一本ずつ。そして二つある頭の、どちらか一つを。

 

 修行を完遂し、ついに三面六臂となった鬼は〝鬼神(スーラ)〟の位階に至る。

 普通の生物なら即死する傷をも瞬く間に再生する力は、鬼族にとってまごうことなき神であり、この位階に到達できる鬼は二、三百年に一人いるかどうかというところだ。

 

〝鬼神〟は、鬼族である時の闘争心が昇華され悟りを得たとされる。

 幻霧山の頂上に登り、世俗との関わりを断ち、世界が終わるまで坐臥(ざが)しつつ、下界を見渡しながら真理についての探求を楽しむのである。

 

 鬼子たるラクシュナは〝鬼神〟へ至ること間違いなしと、昇華の期待を一身に背負っていた。

 

「――どうでもいい」

 

 だがしかし、神への(きざはし)を目前にした鬼は、その一段目に足をかけることすらせず、関心の失せた目で言い捨てたのであった。

 

「我にとって、闘争こそが全て。終わりなき闘争こそ至高。山の上で死ぬまで胡坐(あぐら)をかくなど願い下げよ」

 

 父、母、親類、友、族長……。

 彼らにラクシュナの考えを改めさせることはできなかった。

 なぜなら、ラクシュナこそ鬼族で最も強い鬼。

 強さを至上とする種族であるがゆえ、耳を貸さないならもはや肉体言語による物理的説得(・・・・・)しか術はなく、そしてラクシュナが最強である以上それは不可能であった。

 

 

 

「「「――鬼の申し子よ」」」

 

 

 

 まさに里を出奔せんとするラクシュナに声が掛けられた。

 振り返った先には、両脇に〝亜鬼神〟を従えた――三面六臂の昇華された肉体を持つ鬼が立っていた。

 ラクシュナを取り巻いていた鬼族は全てひれ伏した。偉大なる〝鬼神〟を前にして、なお屹立(きつりつ)を続けたのはラクシュナのみであった。

 

「貴様らは山頂で瞑想しているのではなかったか?」

 

 気負うことなく訊ねたラクシュナに、三つ重なった声が応える。

 

「「「――我は彷徨(さまよ)える汝の欲望に導かれ、今、俗世へと還り立ちました。この者たちは我の介添えとして修業を一時離れ、共に汝の欲望の行く末を見定めんと欲するまで」」」

 

「何をごちゃごちゃと……」

 

「「「――闘争を欲する鬼よ。終わりなき闘争を選ばんとする子よ。その道の険しさを理解しているか?」」」

 

 ――ラクシュナは〝鬼神〟に襲いかかった。

 行く手を塞がんと二柱の〝亜鬼神〟が立ちはだかるが、次の瞬間には棍棒で上半身を薙ぎ払われていた。

 

「「「――その孤独の旅路を行く勇気はあるか?」」」

 

「うるさいんだよッ‼」

 

 頭上から振り下ろされる一撃を、〝鬼神〟は避ける素振りすら見せなかった。

 しかし棍棒は避けられたわけではなく、尊い肉体を正しく粉砕した。

 ひれ伏したまま動かない鬼族の群衆の中で、〝鬼神〟は時計を巻き戻すように再生する。その顔には現れた時と同じ微笑が貼り付いたままだった。

 

「「「――哀れなりし子。しかして、羨ましき子よ」」」

 

 遅れて〝亜鬼神〟もよろよろと立ち上がる。

 

「「「――汝に苦行は必要ない。その欲望の赴くままに進むがよい」」」

 

「ふん、なんだ今さら。彼我の力の差に怖気づい、」

 

「「「――汝にはまさしく闘争こそが昇華の道。我らも及ばぬ、恐るべき真の鬼子よ」」」

 

 ――自身の背後に立っていた〝鬼神〟にラクシュナはまったく反応できなかった。

 

 振り向きざまの棍棒の一撃に、そっと手が添えられる。

 質量と運動のエネルギーは訳も分からぬまま消失していた。

 いや、分かる。たゆまぬ鍛錬を続けていれば自分もいつか同じ技を身に着ける。何十年先か、何百年先か。――それまでに目の前の相手が自分を殺さない保証があればだが。

 

 来るはずの反撃は、だが永遠に来ることはなかった。

 介添えの〝亜鬼神〟を引き連れて、三面六臂の鬼はゆるりと山頂への道に体を翻した。

 理解不能と立ち尽くすラクシュナに、

 

「「「――汝の行く末に慈悲を示そう。願わくば、恐怖を乗り越え、見事なる昇華に至らんことを」」」

 

〝鬼神〟はそう言い残し、霧の彼方へと姿を消した。

 

「……知った風な口を」

 

 残された忌み鬼子は小さな呟きを漏らした。

 

 これよりリンダリアルを恐怖で震撼させる大悪鬼ラクシュナの、旅立ちの日の出来事であった。

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