異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-   作:鹿紅 順

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第二章 第18話「シン・シャドー・スタイル」

 白刃と黒刃が空中で軌跡を結ぶたび、逢瀬を証明するように(ほとばし)る閃光。その数は一瞬にして十を超えた。

 

 ビカムとラクシュナの対決が柔と剛であるならば、リンと〝黒鬼士〟の対決は技と技の比べ合いであった。

 相手と自分、どちらの積み重ね(・・・・)が優れているか証明する。同じ土俵、同じルールで競う以上、言い訳など存在しない。ともすれば向こうの戦いより勝敗は残酷なのかもしれなかった。

 

 苦悶が垣間見えるのは……リンの方か。

〝黒鬼士〟の表情が見えないがゆえ、そう分析するほかないかもしれないが、リンが苦しんでいることは紛れもない事実だった。

 

(――まったく隙が無い!)

 

 一言で評するなら、理想的効率の化身。

 

 教本が、指導者が、古文書が伝え述べた武の極致。

 心身の迷いを消し、無の境地に至って初めて修めうるという究極。無駄を完全に削ぎ落とした美しき引き算の解。

〝黒鬼士〟はまさにそれを成しえたように思える。

 

 ただし――人間性の排除というおぞましさによって。

 

 正確無慈悲な挙動からは剣術の達人であるという匂いがしない(・・・・・・)。代わりに漂ってくるのはプログラミングされた機械の鉄臭さ。リンに一対一の立ち合いを挑んだ時が嘘のように、黒刃からは感情というものを感じなかった。

 

「――ッ!」

 

 頬の真横をかすめた刃。はらはらと髪の毛が紙一重に舞う。

 

「はあッ!」

 

 被弾ギリギリのリスクを取った反撃は、あっさりと受け止められた。

 

(強すぎる……!)

 

 その手強さを、リンは認めざるをえなかった。

 たとえ機械じみた動き、感情の乗らない刃だろうと、生殺与奪には何の差し障りもなく……重要なのは、相手を斬れるか否かだ。その割り切りと、冷徹な彼我の比較ができなければ、勝つことなど不可能だろう。

 

 単純な剣術の腕前は、自分の方が一段劣る。

 加えて、あの得体のしれない黒いアーマー。

 ただ防御力を高めるだけ、などという貧相な役割ではないはず。最低でもリンの強化外骨格と同じく筋力補助機能ぐらいはあるだろう。もしかすると、脊椎に外科手術でプラグユニットを増設して中枢神経とアーマーを接続させることにより、肉体の動きに反応してアーマーにも同じ動作をトレースさせて反応速度を極限まで高める処置も行っているかもしれない。

 

 攻撃を際どく避けながらも、しかしリンはまだ死んでいなかった(・・・・・・・・)

 腕前にも装備にも明確な差があると自覚しながら、なお生を手放していない。

 

 その理由を彼女自身は言語化できなかったが、一つには、ビカムが戦闘前にかけた魔法の効果が未だ持続していることにあった。

 負傷継続回復、精神攻撃耐性、持久力向上、動体視力向上、思考高速化……これらの極まった効果が、少女の実力を大幅に底上げ(ブースト)している。

 

 もう一つの理由。

 熾烈な王獅子戦から間もない今――リンの精神と肉体は、一種の覚醒状態(ソーン)に突入していた。

 今まで経験したことのない戦いを経たことで、少女の奥底に眠っていた剣士の才覚が引き出されようとしている。

 

(――分かる(・・・)

(分かるだけじゃ遅い(・・)

(次に何が来るか、数秒先の未来を予感しろ――!)

 

〝黒鬼士〟がブレードを振るう度、リンの動きが洗練されていく。まるで黒刃が、少女の動きの無駄な部分を斬り落としていくかのごとく。

〝四鬼天〟は、王獅子戦直後の疲弊状態を突いたつもりなのだろう。だが、大きな悪手を打ったと言わざるをえない。

 きっと休憩(クールタイム)を挟んでいたら、リンは覚醒の兆しなく命を散らしていた。 

 

「…………」

 

〝黒鬼士〟は何も(こた)えない。少女の剣閃が急速に勢いと鋭さを増していこうが、焦りも疑問も露わにすることない。

 ただ機械的に、次の一手を繰り出すのみ。

 

「……才羽(さいば)流抜刀術」

 

 ――大きく後退すると同時に、高周波ブレードを鞘に納める。

 

「――〝目臥(めが)〟」

 

 神速の抜刀、三半規管を狂わせる振動が鞘口から放たれる。

 

「……ッッッ!」

 

 だが――おお! 見えない振動を視界に捉えたとでもいうのかっ、リンは咄嗟に首を傾げて回避してみせた。

 直感、悪寒……いや、何でもいい。人間には科学でも解明できない超感覚が備わっていることを現実は時にほのめかせる。

 

(才羽流――聞いたことのない流派)

(でも、今の技を空振りさせたのは大きい!)

 

 今まで見せてこなかった技らしい技を、初めて〝黒鬼士〟は使った。その初見というアドバンテージを無価値にできたのはリンの上手であろう。

 加えて〝才羽流〟という相手の持ち札を引きずり出せた。特定の構え、体の溜め……注意深く観察することにより、動作の起こりから才羽流の技を予測することができる。

 

 今の自分なら――出来る。

 

 そして〝黒鬼士〟よ。技を修めたのが、まさか己だけとは思うまい?

 

「シン・シャドー・スタイル:――」

 

 少女の握った高周波ブレードが唸る!

 

「――カットダウン・ストライク!」

 

 上段から繰り出される〝黒鬼士〟のブレードを、同じく真っ向から振り下ろし撃墜せしめた。

 力で撃ち落とすのではなく、相手との間合い、速度、呼吸……それら全てを読み、術理をもって制したのだ。

 

 シン・シャドー・スタイル……文化復興運動で濁流のごとく押し寄せた情報の海から、現代の剣豪アイアン・ワタナベが再発見したムロマチ・エラ起源の古流剣術、そこへさらに様々な剣術のエッセンスを組み合わせて再構築した新興流派である。

 その経緯ゆえ誕生してまだ八年しか経過していないが、リンはその極意を享受された一期生だった。アイアン・ワタナベから直接――ARによるウェブ講座で――薫陶を受けた弟子なのだ!

 

「シン・シャドー・スタイル:プロミネンス・グルマ!」

 

 快進撃は止まらない。今度は燃え盛る炎のような怒涛の連撃。

 反撃を許さないほど絶え間のない刃が、黒いアーマーに幾筋も傷を付けていく。声の力強さがそのまま威力に転じているかのような勢いである。

 

 なお、旧時代ではシン・シャドー・スタイルに限らず技を繰り出す際、技名を叫ぶのが自然であったそうだ。マンガ(参考文献)では誰もが叫んでいた。理由は不明だが多分気合が入るのだろう。

 

 実力は完全に拮抗。いや、もはや……

 

(今なら出来る!)

 

 形のない自信がリンの心に湧き上がる。

 かつてアイアン師範がその術理を示せども、ついぞ弟子の誰一人体得できなかった技。この土壇場で、まさか挑もうというのか。

 

 いや――今だからこそなのか、リンよ!

 自分の全力をぶつけられる好敵手がいる、この瞬間だからこそ!

 

「…………」

 

「シン・シャドー・スタイル:――」

 

 ――ウェポン・クズシ!

 

 発声と共に放たれた妙技が、相迎え撃った〝黒鬼士〟の黒刃を破壊した。

 

 相手の得物の脆い点を攻め、破壊する……相手の動きを完全に見抜く眼、寸分違わず弱点に一撃を当てる技量、武器を破壊できる威力にまで研ぎ澄まされた技の冴え、どれか一つでも欠けていれば不発に終わっていた。

 カイデン・キュウ・メンキョだ――そう呟く師範の声が聞こえた気がした。

 

 花吹雪に代わってリンの成功を彩らんと、粉々に砕けた黒刃の破片が宙を舞う。

 先のウェポン・クズシが一撃目なら、リンは既に二撃目に入っている。

 倒したと思った瞬間こそ気を引き締めねばならない。相手は未だ健在である。武器を失った途端、無防備にも立ち尽くすような手合いではないはず。

 

 油断慢心の一切無く、逆袈裟斬りに高周波ブレードの刃を、

 

 ――パリィン!

 

 三回目の、ガラスが砕けるような音。

 そして、

 

 

 

 ――リンの体から血飛沫が上がった。

 

 

 

「え……?」

 

 左肩から右脇にかけて、冷たい何かが通り抜けた感触。

 冷たいものが通過した軌道は一秒と間を置かず熱を帯び――そこからグロテスクなほど赤い液体を世界にぶちまけた。

 

「が、あ……ッ⁉」

 

 斬られた――それはありえないと思考は否定するが、肉体が発する種々の警報(アラート)は覆らない事実を突きつける。

 

 足から力が抜け、両膝を突く。

 (てのひら)を胸に這わせれば、べったりと温かい紅が。

 眼前に掲げた己の手。

 焦点は自然と、掌の向こう側で佇んだ〝黒鬼士〟に結ばれる。

 

 強烈な一閃に耐えかね、粉々に砕け散ったはずの黒い刃――

 鍔から先を失ったはずのソレは今、少女の鮮血を被ったことにより、たとえるなら透明な物体に塗料をぶちまけたように輪郭を現出させていた。

 

(なん、で……)

 

 リンに油断慢心の類は一切無かった。

 足りなかったのは洞察力。

 ウェポン・クズシを受けた黒刃が、折れるのではなく(・・・・・・・・)粉々に砕ける(・・・・・・)という不自然な壊れ方をしたことに気を配るべきだったのだ。

 

〝黒鬼士〟が遣う黒刃は単純な高周波ブレードではなかった。

 それは刀の鍛造……軟らかい芯金を、硬い皮金で包む方法に、開発の着想を得ていた。

 高周波であらゆる物質を切断する外殻(・・)の黒い刃。

 

 ――それを剥離(パージ)することで現れる、色の無い第二の刃(・・・・・・・・)

 

 背後の風景と同化することで視覚的なカモフラージュ効果を得るその技術は、チキュウ世界において光学迷彩と呼ばれている。

 素材的理由により、第二の刃の耐久性は低い。

 

 しかし、これは剣術勝負を繰り広げるためのものにあらず。

 二度は通用しない――「武器を破壊した」と相手の一度限りの油断へ必殺を叩き込むための牙である。

 

才羽(さいば)流奥義――〝欺牙(ぎが)〟」

 

 そしてビカムが三回重ねがけした致命傷回避魔法。

 王獅子戦で一つ目、〝四鬼天〟の奇襲で二つ目を既に消費している。

 最後の三つ目はまさしく発動した。リンが直前に聞いたのは役目を果たし効果が切れた際の音だ。

 それはつまり〝黒鬼士〟が、リンの察知できないほど速い二の太刀を放ったということに他ならない。

 

 後隙が生じるのを承知の上で放つ、まるで斬撃が網目のごとく敵を覆いつくす連続剣技。

 その技は――

 

才羽(さいば)流絶技――〝手羅(てら)〟」

 

 名を告げる〝黒鬼士〟の声を聞きながら、リンの体は真っ赤な大地に沈んだ。

 

 

 

   ***

 

 

 

〝鬼術師〟……マズダーにとって、生物とは恐怖する生き物だ。

 

 逆説的に言うならば、恐怖を感じないものは生物とは呼べないとさえ考えていた。

 種族の違い、知能の高低は関係ない。野生の獣は天敵捕食者の存在に怯えるのだから。

 弱肉強食の摂理から半ば解放された人類も、恐怖の要因をいくつも抱えていた。

 戦士は強大な魔獣に(すく)み、商人は財産を失う可能性を忌諱(きい)し、平民は貴族の理不尽な収奪に怯え、王侯は平民の反乱を恐れる。

 

 全生物に共通する弱点、それが恐怖。

 だからこそマズダーはそれを武器にすることを選んだのだ。

 

 何者も、恐怖を逃れることはできない。

 何者も、恐怖を忘れることはできない。

 何者も、恐怖を従えることはできない。

 何者も――

 

 ……いや、

 

 ありえてはならない。

 ありえてはならないはずの例外と、マズダーは出会ってしまった。

 

 前後左右から襲い来る様々な恐怖を象った煙を、目にも止まらぬ速さで切り捨てていく美しきビカム――。

 この剣士だけは恐怖することなく、今もマズダーの眼前に立ち続ける。

 

 たとえ今のまま、世界が滅びるまで攻め続けようとも、彼が敗北するイメージがまったくしない。

 世界すら先に消え、黄金の剣舞だけが永久(とわ)に残り続ける……そんな幻視すら抱いてしまう。

 

 だが永遠など存在しないと告げるように、変化は訪れる。

 

「け、煙が……!」

 

 魔法生物『怪物の煙』の肉体ともいえる紫煙が明らかに薄くなっている。こんな事は初めてだった。

 

(まさか、超短時間での象の連続生成に、器が焼き切れようとしているのか……?)

 

 マズダーの推測を裏付けるがごとく、生み出される象に低解像(ノイズ)が混ざり始めていた。

 一方のビカムの剣閃はまるで衰えを見せない。どころか余所見(よそみ)をする余裕すらあった。

 

「……(リン殿は大丈夫だろうか……)」

 

 ちらり……と、卒倒ものの美しい流し目でリンが戦っている方角を見やるも、この怪しい煙があるうちは、あちらの趨勢を確認することは難しい。

 しかし……それも、(じき)に問題ではなくなるだろう。

 

 マズダーは手を振るわせて戦慄き――

 

「チィ、屈辱ですよ。この力は使いたくなかったのですがね……【虚ろなる鉄の針が】」

 

 香炉を後方の煙の中へ放り投げ、代わりに魔力で形成した細剣(レイピア)をつかみ取る。

 続けて、彼の口は朗々と詠みあげる。

 

【――空を知る。星を見る。世界を覗く。神を望む。

 光の叡智、闇の先、我ら。稀なる(しるべ)を得たり――】

 

「……!(長い詠唱……大魔法が来る!)」

 

 ビカムの碧眼が細められる。

 纏う雰囲気が変わり、霊剣は迫る恐怖の象を叩き落すものからマズダーへの進路を切り開くものへと色を変えた。――この戦いに幕を引くと決めたのだ。

 

 魔法とは一般的に魔法文字により構成され、単純な意味を持つ文字を組み合わせることにより複雑な魔法となっていく。

 つまり構成する魔法文字が多い――印ならばその数、詠唱ならばその長さ――とはすなわち、強力な効果を持った大魔法行使の前兆だ。

 魔法一発が戦局を左右する時代、魔法使いを早々に仕留めんと前進するビカムは正しい。

 

 その魔法が発動するよりも前に――彼の黄金の刃は届いた。

 が、

 

「フフフ……そう来るのは分かっていました(・・・・・・・・)

 

 霊剣フェーレを握ったビカムの腕は、振り下ろされる手前で止まった。

 

 軽く小突くような気やすさで突き出された細剣の切っ先が、彼の篭手、金属部品の継ぎ目に差し込まれていた。

 

 すかさず腕を引き、斜め下からの斬り上げを選ぶ……が、それも動きを為す前に細剣が突き止める。

 何度も、何度も。

 ことごとく――斬撃が斬撃となる前(・・・・・・)に動きを制止させたのである。

 高速化した戦闘の中で、果たして可能なのだろうか? まぐれならまだしも……細い針のような切っ先を、相手の装甲の継ぎ目にピンポイントで突き入れるなど。

 

 ――まるでそこに狙うべき点が来ると、未来を知っていない限り。

 

 最悪の推理の真偽が、今明かされんとしていた。

 

「……なるほど、そういうことか(ああ見えて細剣の達人だったのか……)」

 

「ええ。でも私は未来視(この力)が嫌いですがね」

 

「……誇るといい(こんな神業、きっとものすごく練習したのだろう)」

 

「フフ……貴方ほどの人に褒められたならば、悲惨な運命を辿ってきた我が種族も、冥利に尽きるのでしょうかね――」

 

 

 

   ***

 

 

 

 黒山羊族(ゴーゼス)

 かつてそう呼称された種族にマズダーは生を受けた。

 

 見た目は黒い体毛を持つ、二足歩行の巨大な山羊(ヤギ)

 巻き角、蹄、横一文字の瞳孔、細長い手指。雌雄があり、草も肉も食べる雑食、長くもなく少なくもない寿命、社会性を持ち、人里離れた山岳地帯で種族が纏まって暮らす。

 それだけの特徴であれば、リンダリアル世界においてさしたる珍しさはない。ほとほどの人口で、ほどほどに他種族と交流し、ほどほどに繫栄して、何も言うことは無かっただろう。

 

 しかし真に彼らが特徴的だったのは、種族の見た目でも生態でもなかった。

 彼らの種族は一様に、占星術に適性を持っていたことである。

 

 リンダリアル世界において占星術は縁を辿るもの――例えば落とし物から持ち主の居場所を読み解くようなところから出発した。

 そこから派生し、自身と運命の縁を辿ることで、未来や過去を知る魔法へと発展していった経緯があった。

 

 だが、実際に星を見て吉凶の(しるし)を視ているわけではない。魔法の詠唱に星や月などの天体を意味する魔法文字が多く含まれていたことから、いつしか夜空の星の運航をもとに未来を占っていると誤認されたのだ。

 その誤った認識を承知のうえで時の権力者に取り入るため、あえて夜中に儀式として占星術を執り行うことにより、霊験のあらたかさを術師が演出してきた歴史もある。

 

 そう、権力者。

 

 たとえ断片的にでも未来を知れるということは破格の利益をもたらす。

 そして占星術に高い適性を持つ種族がほとんどいない世界において、黒山羊族の価値が計り知れないことは容易に想像できよう。

 

 かつては彼らも、己の真価を理解し、積極的に権力者に近寄った。

 王を輔弼(ほひつ)する助言者として、未曽有の災害や疫病を予言し、暗殺計画を暴露し、敵国の侵略を予知し、政敵の弱点を盗み見、反乱分子の蜂起を未然に潰し、政策のもたらす効果を占った。

 

 結果、その国は大いなる繁栄を極めることになった――王を絶対の権力者とする独裁性も臨界に達した。

 

 未来が見えるならば貴族による補佐も必要ない。

 そもそも反乱を起こさせないなら苛政(かせい)を布こうが関係ない。

 政敵も暗殺者も、もはや無力だ。

 ただ王と助言者のみが存在すればいい。王と助言者のみが人間である――

 

 ……だが、今やその国は地図上に存在していない。

 いかに未来が見えようと、行き過ぎた末路は革命と処刑台を呼び寄せる。

 

 そして同時に、黒山羊族も歴史の表舞台から姿を消した。

 自分たちの所業の危険さと愚かさを思い知り、ひっそりと山の奥で暮らすことを選んだのだ。

 

 しかし――未来を弄んだ代償はそんなものでは済まなかった。

 歴史から忘れ去られるには、彼らの残した爪痕はあまりにも深く、怨嗟にまみれていたのだ。

 

 ――世界各国は、黒山羊族を皆殺しにした。

 

 未来視で逃げられようがじわじわと追い詰め、赤子の一匹に至るまで探し尽くし、殺し尽くしたのだ。

 もう誰にも関わらない……そんな命乞いの言葉を無視し、急き立てられるように命を奪った。

 

 自分が本来辿るはずの未来を勝手な都合で改竄されるかもしれない、いや、もう改竄されているかもしれない――人類にとって、それはまごうことなき恐怖(・・)だった。

 ゆえに人類は、国家は、あらゆる労を惜しまず手を尽くして黒山羊族を葬り去った。

 

 マズダーにとっては真に不運と言えよう。黒山羊族が国家を誑かした事件はもう百年近く昔のこと。その頃に彼は生まれておらず、先祖のとばっちりを受けたとしか言いようがなかった。

 

 幼い記憶……物陰に隠れた彼の眼に、同朋が一人また一人殺されていく光景が焼き付いている――殺戮者たる人間は愉悦の表情など浮かべていなかった。顔面に貼りついていたのは、未来を操る怪物に対し、心底から怯え切った恐怖の表情だった。

 

 だからマズダーは己の武器に恐怖を選んだ。

 繁栄と災厄をもたらし、結局は一族の命を救えなかった未来視(占星術)ではなく、恐怖を武器にすることを選んだのだ。

 ローブを被り、魔法を磨き、復讐として心の赴くままに悪行を為した。

 

〝悪夢の帳〟という異名で懸賞金がかけられ己への包囲網が迫っていることを察知すると、躊躇いなくチキュウ世界へと逃亡。魔法の使える凶手としてシティに与し、今度は〝鬼術師〟というコードネームと共に生き永らえてきた。

 

 そんな波乱万丈な人生を送る中、占星術だけは使わないように決めていた。

 その強力さを理解していながら、誰よりも無用だと忌み嫌ったがゆえに。

 

 最後の奥の手として温存しながら、使わなければならない事態にならないよう恐怖魔法を研鑽し続けた。

 

 

 

 

 

 ――そして今。

 信念を曲げざるをえない敵と邂逅した。

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