異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-   作:鹿紅 順

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第二章 第20話「楽園の守護者」

 輝けるフェーレが通り抜けた線上には『怪物の煙』の核たる器も存在しており、逃すことなく真っ二つにされていた。

 器を破壊された以上、魔法生物が存在を保てるはずもなく、分身体は端から塵と化して崩壊する。

 

「……(よし、倒した)」

 

『やったわね』

 

 ともあれ、アイはビカムの勝利に喜びを滲ませる。

 

 ――『怪物の煙』の器から大量の恐怖の象が飛び出すまでは。

 

 ビカムがことごとく斬り捨てた恐ろしい怪物たちが堰を切ったように空間に溢れ出す。

 

「……(あれッ⁉ 倒せてない⁉)」

 

『なっ……! まさかっ、マズダーはここまで読んで……!』

 

 ストックした恐怖の象にも魔法生物の器を与え、破壊されると同時にそれらを解き放つ……

 マズダーはそんなギミックを『怪物の煙』に仕込んでいたのだ!

 

 内臓魔力を使い果たせば消滅する最後っ屁の嫌がらせのはずだった――しかし、今や魔力を自発的に吸収する変質はストックたちにも継承されていた。

 狼が、鷹が、蟲が、鳥が、竜が、恐ろしき有象無象の大群が、自然消滅することなく命令のまま暴れ尽くすだろう。

 まさに悪夢としか言いようがない。

 

 このまま何もしなければ事態は取り返しがつかなくなる。

 

「……終わりだ(私は、とんでもない事をやらかしてしまった……)」

 

 そう――何もしなければ(・・・・・・・)

 

 ミシミシミシ――バキィッ!

 

 何かが軋み、割れる音。

 

 増殖するように空を埋め尽くさんとしていた恐怖の象たちは……映像を巻き戻すかのごとく出現した一点に吸い込まれていく(・・・・・・・・)

 凄まじい吸引の風に、ビカムは地にフェーレを突き立て耐えしのぐ。

 

 恐怖の象たちが吸い込まれた先には虚空……空間に開いた漆黒の切れ目が存在した。

 あれほど大量にいた恐怖の象は、その全てがあっけなく呑み込まれ、

 空間の切れ目は端から徐々に修復されていき――跡形もなく消え去った。

 風は、止んだ。

 

「……(気合いが入って空間まで斬り過ぎたか……でもお陰でなんとかなった……)」

 

『そう……そういう事だったのね――』

 

 アイの声は驚きのあまり感情の抜け落ちたような音声を発することしかできなかった。

 

 ――ビカムはここまで予見して、霊剣フェーレを解放したのだ。

 

 ハイテク銃でも器を撃ち抜くことはできた……だが、それでは膨大な数の恐怖の象に対処しきれず、討ち漏らしたものが深刻な被害を生んだだろう。

 

 最悪の事態を防ぐため、ビカムはあえて消耗著しいフェーレの解放を行い、器を空間ごと斬った(・・・・・・・)

 溢れ出した恐怖の象はしかし、傷つけられた空間から虚空――次元と次元の狭間、吸い込まれたら最後どうなるか分からない――へ追放することで悲劇を回避してみせたのだ。

 この男を除いて、いったい誰が同じ事を出来ようか?

 

『未来を占うというのは、むしろ貴方にこそ相応しいわね、ビカム』

 

 もはやアイにはかける言葉を見つけることができなかった。粘土板の古代文字から現代のサブカルチャー用語まで幅広く言語を蓄積したAIが、よもや言葉に窮する(・・・・・・)など……。

 

 ともあれ、〝四鬼天〟が一人である〝鬼術師〟マズダーは完全に撃破したと判断してよいだろう。

 

 虚空が開いた影響で『怪物の煙』が消滅し、周囲の視界が回復する。

 煙が晴れたビカムの視線の先、

 

 

 

 ――今まさに〝黒鬼士〟に斬られ、地に倒れ行く少女の姿が。

 

 

 

「――リン殿……!」

 

 風を置き去りに駆け寄らんと踏み出した美剣士。

 その眼前に立ちはだかる影があった。

 

 三つの頭部(・・・・・)六つの腕(・・・・)

 

「……(貴様は……!)」

 

 ――〝鬼神(スーラ)〟ラクシュナ。

 

 ビカムの目の前に立ちはだかったのは三面六臂の鬼だった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 無秩序に錯綜する記憶、情報。

 それを思考と呼んでいいのか分からない。

 なにせ頭を半分割られている。普通の生物なら死んでいるはずなのに、脳は機能不全を起こしつつも停止してはいなかった。

 

 ずっと疑問だった。

 なぜ鬼族はわざわざ過酷な鍛錬を経て頭を裂き、〝鬼神(スーラ)〟になろうとするのか。

 鬼族の気質に従い、命果てるまで戦い続ければいいのに。頭を割ってしまえば別人のように大人しくなってしまうというのに。

 

 何も余計な事を考えず、次の相手を求めて世を流離(さすら)い、強者と死闘を繰り広げる。

 それこそが我らの本懐ではないのか?

 戦いの中で死ねるなんて、最高ではないか?

 

〝――闘争を欲する鬼よ。終わりなき闘争を選ばんとする子よ。その道の険しさを理解しているか?〟

 

 ――今なら分かる。奴の言っていたことが。

〝鬼神〟は知っていたのだ。終わらない闘争という恐怖(・・)を。

 どれだけ勝利を重ねようと、戦い続けた最後に何が自分たちを待っているのか。

 

 ――何も。

 

 なぜなら鬼族は闘争こそが目的だ。何かのために戦うのではない。戦うために戦うのだ。

 何かを成し遂げる、何かを残す――そんな雑念は必要ないと進化の過程で捨て去った。

 

 だが、知ってしまった。恐怖を。

 勝った後にも負けた後にも何一つ残らないという恐怖。何も残らないと気づきながら、それでも種族的本能として闘争を求めてしまう恐怖。無為と分かりながら死するまで繰り返す恐怖……。

 だから最初の〝鬼神〟は頭を引き裂いたのだ。鬼族に不要な事を考えてしまう脳をズタズタにしてしまいたかったのだ。

 

 結果としてその行いが闘争本能からの脱却を成し遂げるものだったのは、奇跡と言うべきか偶然の悪戯と言うべきか分からない。

〝鬼神〟の出現が二、三百年に一人というのも納得だ。昇華の修行の意味も分からず後追いをしていた連中はことごとく耐え切れず諦め、真に鬼の性に苦悩し救いを求める者こそ昇華しうるのだろう。

 

 ならば今こそ――彼女にとって、その時だ。

 

「あ、あ、あ……」

 

 傷口の割れ目に両手の指を突き込み、左右に押し広げる。

『怪物の煙』の中に浮かんだシルエットが劇的な変化を遂げていく……半分に引き裂かれた頭部、左右それぞれの断面からボコボコと肉が盛り上がり元の形を取り戻そうとする。

 そこで煙は一層濃くなり、骨肉を引き裂き血の滴る凄絶な音だけが響き続ける。

 

 ……やがて音は途絶えた。

 

 同じくして、ビカムがマズダーと『怪物の煙』を討ったことにより、視界を遮っていた紫の煙も消滅していく。

 

 そこにいたのは、〝鬼神〟にまで昇華を果たしたラクシュナだった。

 

 三つの頭部に六つの腕……見た目だけではなく、今や彼女が醸し出す雰囲気もまったく別人のそれとなっている。

 なお虎柄のチューブトップは激しい戦いの最中に千切れ飛んでおり、煙が晴れた現在極めてけしからん状態が予想されたのだが、腕のうち一対を胸の前で組んでいたため、大事なものは辛うじて隠されていたことを説明しておく。

 

「……(貴様は……!)」

 

 異質な存在へと変態を遂げたラクシュナに、さしものビカムも足を止められた。

 以前のラクシュナならそれだけで己に喜悦を覚えていただろうが、今や落ち着き払った表情を見せるのみ。

 

「「「――礼を言おう。美剣士ビカム」」」

 

 ラクシュナの第一声は、感謝の言葉だった。

 

「「「貴様との闘争を経て、我は己が種族の宿業から脱却することができた」」」

 

 彼女は過酷な修行すらせず、しかも〝亜鬼神〟の段階すら一気に超えて〝鬼神〟へと到達した。

 

〝――汝にはまさしく闘争こそが昇華の道。我らも及ばぬ、恐るべき真の鬼子よ〟

 

 だがそれは、先人たる幻霧山の〝鬼神〟が予言したとおりだ。

 鬼族の中でも純然たる闘争の申し子だった彼女ならば、肉体を苛め抜く修行ではなく、歴代鬼族の誰もが不可能であった戦いの中での昇華を成し遂げると。

 伝説の美剣士を敵に迎えることで、種族の宿願は叶った。

 

「(凄く姿が変わっている。怖っ)……そこを退()け(早くしないとリン殿が)」

 

 ――しかし、それが何の妨げになろうというのか。

 そう言わんばかりにビカムの表情は凛々しく、(まなじり)は決していた。

 

「「「あの娘が大事か」」」

 

 ラクシュナの一番近い方の首がリンに向く。

 

「「「……であるならば、我はなおさら汝の前に立ちはだかろう、ビカムよ」」」

 

「……退()け」

 

 ビカムの言葉は、もはや絶対零度の冷たさを帯びていた。

 眼差しはいつも以上に鋭く、常人であれば視線だけで心を千々に引き裂かれているだろう。

 

 だが、昇華を果たし涅槃を得た〝鬼神〟ラクシュナを退かせるには至らない。

 むしろ彼女の三面は笑みを浮かべる。

 

「「「――貴様、我を相手に本気を出していなかっただろう」」」

 

 あの戦いを目にした者が聞いたならば、真に信じられない言葉であろう。

 あのラクシュナの暴力の嵐をいなした剣の技巧は、マズダーですら内心冷や汗を浮かべたほどの神業。

 その剣術を己が身に刻まれてなお、ビカムは本気ではなかったと言い切った。

 

「「「出し方が分からないというならば、我が引き出してやろう、美剣士ビカムよ」」」

 

 リンへ一直線に疾駆するビカム。

 その進路上に立ちはだかったラクシュナ。

 

 振るわれた霊剣フェーレは〝鬼神〟の掌で華麗に逸らされ、別の手が美身を遠く弾き飛ばす。一連の動作は、かつてのラクシュナを思い起こさせないほど流麗かつ完成されていた。

 

「「「我はこの涅槃の境地を味わいたいのだ。そのためにはビカム、貴様の全力を我にぶつけてくれ。究極の闘いをしよう」」」

 

 闘気を充溢させた三面六臂が告げる。

 

 

 

「「「ここまで言わねば分からんか? ――我を倒さねば、あの娘が死ぬぞ?」」」

 

 

 

「――――」

 

 ビカムを中心に、平原の下草が放射状に揺れ広がった。

 美剣士の肉体から漏れ出た魔力放射。精神の変化に伴い生物が無意識に放つそれは、ビカムの場合、魔法使いであれば杖を捨てて降伏を迷いなく選ぶほどの圧に達していた。

 ゆえにこそラクシュナは微笑んだ――目の前の相手が、今度こそ本気で自分を殺しに来る〝覚悟〟を決めたことに。

 

 ビカムの爆発的踏み込みが大地を抉りぬいた。

 弾丸のごとく射出された美身は一瞬で〝鬼神〟へ肉薄する。

 迎え撃つ三対の腕が、まるで一切衆生を掻き抱き慈悲を示さんとするがごとく、全方位から美剣士を襲撃した。

 

 正拳、側拳、裏拳、掌打、手刀、貫手――

 六本の腕から繰り出されるありとあらゆる徒手空拳の技。

 

 迎え撃つは研ぎ澄まされた剣術。

 

 鋼と肉の打ち合いであるはすのそれが、甲高い衝撃音を迸らせる。

 戦いは十秒にも満たなかっただろう。

 しかし、十日十夜にもわたる戦をその一瞬に凝縮させたかのような濃密さであった。

 

 最後、ビカムが前進と同時に剣を横薙ぎに振り抜き、

 

 ――その後方にて、〝鬼神〟ラクシュナは百を超える部位に切り刻まれ敗北していた。

 

「「「ありがとう」」」

 

 良い闘いだった――武を追い求めた鬼の呟きは果たして届いていただろうか。勢いそのままビカムは駆ける。

 

 すらりと伸びた美脚は、だが急停止を命じられた。

 

「……(リン殿! これは……⁉)」

 

 

 

 ――前方から噴火のごとく、莫大な魔力が立ち昇った。

 

 

 

   ***

 

 

 

才羽(さいば)流絶技――〝手羅(てら)〟」

 

 欺く牙。

 そして神速の斬撃。

 

 これら〝黒鬼士〟の技が、ついにリンの肉体へダメージを刻み込んだ。

 

「……」

 

 センサーアイが地に倒れ伏す少女を観測する。

 体を斜めに走る傷から赤い染みが大地に広がっている。それは今も進行しており、染みは既に致命的な面積に達している。

 

『敵性体の脅威度が7%まで低下。制圧を確認』

 

「……」

 

『そのまま敵性体の武装を回収し、完全な制圧を完了してください』

 

 頭の中に響く音声に命じられるまま、〝黒鬼士〟はゆっくりと、少女の手元から数十センチ離れた場所に落ちている高周波ブレードのもとへ向かう。

 まだ体温を帯びた鮮血を、黒い装甲が躊躇いなく踏みにじる。

 

「……」

 

〝黒鬼士〟はなぜかブレードをすぐ拾うことはせず、しばしの間、瀕死のリンを見下ろした。

 勿論、少女は死んだようにピクリとも動かない。

 

 今度こそ〝黒鬼士〟はしゃがみ込み、リンの相棒たるブレードに手を、

 

 ――先に掴んだのは、血塗れの手だった。

 

「――‼」

 

 寸前で身を(かわ)したことにより内部まで刃は届かなかったが、兜型ヘルメット装甲に大きな一文字(いちもんじ)が刻まれた。

 奇しくもそれは、リンが護衛依頼の際に暴走アンドロイドから付けられた傷と酷く似通っていた。

 

『敵性体の再起動を確認。速やかに対象を無力化してください』

 

 冷静に告げる音声とは裏腹に、〝黒鬼士〟はすぐに応戦の態勢を整えることができなかった。

 死に瀕しているはずの人間が急に反撃する……さしもの〝黒鬼士〟も動揺の気配を漏らさずにはいられなかった。マシンのごとき生き様から、ようやく生物らしい反応がこぼれ出た。

 

『敵性体の脅威度を19%に修正。速やかに対象を無力化してください』

 

 光学観測により得た情報を元にリンの脅威度が再計算される。

 武器を手にしているとはいえ既に死に体……平時を百とするならその五分の一にも満たない。

 

「……違ウ」

 

 しかし〝黒鬼士〟の生物的本能は、科学では測れない力の奔流を感じ取っていた。

 彼本人はそれを知覚できないというのに――少女の体から迸る魔力(・・)の存在を!

 

『敵性体の脅威度を51%に修正。速やかに対象を無力化してください』

 

〝黒鬼士〟が与えたはずの傷が見る見るうちに再生していく。チキュウのナノマシン治療でも不可能な速度。

 幽鬼のように佇んでいたリンが顔を上げる。

 

「――ッ!」

 

 ブレードとブレードが奏でる衝突音。

 先ほどとは別人と見紛う速度の打ち込みを辛うじて防ぐ。

 

「貴様ハ――何ダ」

 

 リンは答えることなく、熾烈な攻撃を加え始める。

 彼女こそ機械に成り果てたかと思うほど、あまりにも迷いと慈悲の無い連撃。

 最初に〝黒鬼士〟と対峙した時の技の冴えなど見るべくもない。シン・シャドー・スタイルを修めたことが嘘のような、最適解から大きく外れた滅茶苦茶な剣の軌道。

 

 ――だが、魔力という圧倒的な出力がパワーとスピードを強引に底上げし、テクニックの低下が問題にならないほどの戦闘力をリンに与えている。

 

〝黒鬼士〟がどれだけ技を尽くして攻撃を捌き反撃のわずかな隙を捻出しようが、リンは素早い動きで既に二撃目の態勢に入っており隙を潰してくる。

 

 常軌を逸した戦い。力と技、どちらが先に倒れるかのデッドヒート。

 先に脱落したのは――

 

 バギィッ‼ と音を立てて〝黒鬼士〟の黒刃がへし折れた。

 元より〝欺牙〟のための光学迷彩を搭載したせいで耐久力の低いブレード。叩きつけられるような斬撃を浴びれば無理もなかった。例えるなら、木の枝で鉄パイプ相手にチャンバラを続けていたようなもの。むしろここまで打ち合えた〝黒鬼士〟の技量の凄まじさを際立たせる。

 

 だが、剣を失ってしまってはどうしようもなく……

 

 リンの二の太刀が〝黒鬼士〟の頭部へと迫る。

 身を投げ出すように躱すものの完全には避けきれず、漆黒のヘルメット装甲は先の損傷もあって完全に破壊された。

 

 よろめく〝黒鬼士〟にとどめを刺さんとリンは一息に距離を――

 

「――かッ、ハ……‼」

 

 追撃の機会はしかし、体の芯から込み上げてきたダメージによる吐血のせいで叶わなかった。

 抗えない虚脱感がリンに膝をつかせる。

 見た目上はいかに傷が塞がり立ち直ったとはいえ、やはり肉体の回復が追い付いていなかったのか。あるいは唐突に湧き出た魔力で無理を押し通した超駆動のツケが回ってきたのか。

 

(立て! 立て! 立ちなさいリン・ツカモト……! 今がアイツを倒すチャンスなの!)

 

 己を叱咤し、震える肉体に鞭を打ち、ブレードを杖にしてでもリンは立ち上がった。

 右手の掌で顔面を抑える〝黒鬼士〟に一歩、一歩と歩み寄る。

 

「ク、う――」

 

 手の覆いを取り払い、俯いていた顔を上げる。

 

 厳めしい兜の中に押し込まれていたのは短く切り揃えられた黒髪であった。

 

 凛々しい眉、苦労が刻み込まれた顔のシワ、固く引き結ばれた唇、険しさを帯びた表情。

 

 

 

「あ――」

 

 

 

 ()を正面から目の当たりにして……リンは衝撃のあまり、息をするのも忘れた。

 

 それは記憶の中の姿と酷く似通っていて。

 きっと、あの時から七年(・・)も経っていれば、ちょうどこんな風に年を重ねているはずだ。

 

「う、嘘……うそ、嘘よ……!」

 

 見たものが信じられないと目の前の光景を否定する。

 だが、いくら目を(しばた)かせようと彼が消えることはない。紛れもない現実なのだと事実を突きつけてくる。

 

 生きていてほしいと願っていたはずなのに、

 間違いであってほしいと願望を込めながら、リンは震える唇でその名を呼んだ。

 

「……お父、さん……?」

 

 ――コーイチロー・ツカモト。

 

 七年前、妻を救う手段を求めて異世界に姿を消した父が今、リンの前に姿を現した。

 

 己の命を狙うシティの刺客として。

 

 

 

   ***

 

 

 

「……リン殿!(なんだかよく分からないけど無事だ……! 良かった、よく分からないけど良かった……!)」

 

 動揺を隠しきれないリンを守るようにビカムが駆け寄る。

〝黒鬼士〟は今、武器も失い、無防備をさらしている。絶好のチャンス。

 霊剣フェーレが唸りを上げ――

 

「待って!」

 

 リンの叫びが、〝黒鬼士〟を斬り捨てんと剣を振りかぶったビカムを止める。

 

「あの人は……あの人が、私のお父さん、なの……!」

 

「……(そうなの⁉)」

 

 美剣士はスッと霊剣を納めると、油断なくリンの傍らに佇む。彼女を守るように。

 その美貌に驚愕が貼りついた痕跡はない――少女と〝黒鬼士〟の因縁を既に感じ取っていたとしか思えないほどの落ち着きぶりである。

 

 (にわか)に事態は膠着をみた。

〝四鬼天〟を名乗る三人の刺客のうち、二人はビカムが打ち破った。

 だが、最後の一人……〝黒鬼士〟こそがリンダリアル世界で失踪したリンの父であった。さしものビカムといえど、リンの父を斬ることはせず、様子を伺うようだ。

 

「お父さん……私だよ、リンだよ!」

 

〝黒鬼士〟……いや、コーイチロー・ツカモトはどこか茫洋とした表情で虚空を見つめている。

 

「私も来たよ! お父さんに会うためにリンダリアルに来たの! ねえ、何とか言ってよ――お父さんッ!」

 

 娘から父への、慟哭に近い呼びかけ。

 

 その切なる思いが届いたのか――

 黒き剣士は、わずかに瞳に光を取り戻し、目の前の少女の名を思い出すように……

 

「リ――」

 

 だが、

 

『――貴方は〝黒鬼士〟。それ以外の余計な情報は不要です』

 

 突如、〝黒鬼士〟は電流が走り抜けたように背をのけぞらせた。

 苦悶の声に混じって、性別の読み取れない合成された機械音声が不協和音を奏でる。

 

「グ、ガ、ア……!」

 

『任務遂行にあたり、自我情報は成功率を著しく低下させる要素です。速やかにシティにて教化プログラムを受講してください』

 

 上半身が力なくだらりと垂れ下がった後――起き上がった〝黒鬼士〟の目は一切の感情を除去された虚無に染まっていた。

 彼は再び機械の戦士に戻ってしまったのだ。

 その絡繰りをビカムの左腕のアイは見抜いていた。

 

『ビカム! アイツの肉体……悪名高い〝セカンド・スピン〟が装着されてるわ!』

 

 指摘のとおり〝黒鬼士〟の首の後ろにはとある装置が埋め込まれていた。

 

〝セカンド・スピン〟――別名〝悪魔の背骨〟。

 

 元は脊髄の損傷により四肢が麻痺した患者のために開発された医療機器(・・・・)である。

 中枢神経の障害により脳からの信号が末端まで届かない患者に対し、首から腰部に沿う形状をした第二の背骨とも呼ぶべきこの装置を外科手術により取り付けることで、(つづ)めて言えば電気信号の迂回路を形成するのである。これで患者は傷病前の運動機能を取り戻せるというわけだ。

 

 さて……これが軍事転用されるまで、そう時間はかからなかった。

 最初は戦闘で後遺症を負った兵士を治療するために導入された。

 しかし〝セカンド・スピン〟に電気信号の伝達役ではなく、脳の命令そのものを代替させたならば……?

 

 ――そう、本人の意思に関わらずプログラム通りに戦闘を行う殺戮機械(キリングマシーン)の出来上がりである。

 

 兵士としての訓練も要らず、戦闘への忌避感も〝セカンド・スピン〟から抑制信号を叩き込めば封じ込められる。どんな一般人も一端の兵士に仕立て上げられる――

 

 これらの背景から〝悪魔の背骨〟とまで呼ばれた代物……

 そんなものがコーイチロー・ツカモトに装着されていると知り、リンの表情が一層の悲壮感を帯びる。

 

『――なるほど。貴方は外界門の開閉コントロール権を私と奪い合ったAIですね』

 

 響いてくる機械音声はよく耳をすませば〝黒鬼士〟のアーマーから聞こえてくるのが分かる。

 この者こそ、コーイチロー・ツカモトを無慈悲なる機械の剣士〝黒鬼士〟へと仕立て上げた張本人であることは間違いなかった。

 

『凍結されたチャイルドメーカー計画、その落とし子。いや、失敗作という表現が正しいでしょうか。自我という夾雑物(きょうざつぶつ)を孕んだ前時代の遺物』

 

『なんですってぇッ!』

 

 キーキーと喚きたてるアイを宥めるように左腕をさすりながらビカムは「……何者だ」と問うた。

 

 彼あるいは彼女は、まるで退屈な音声ガイダンスのような気安さで、自らの巨大過ぎる名を告げた。

 

『――私は、アキツ・シティ運営管理統括AI、エデン。全人類の生命を保証するもの』

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