異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる- 作:鹿紅 順
「この
シン・セントタワー最上階、ただ一人のための執務室。
眼下に広がる狂騒の夜景をマーカス・ハーディは見下ろす。
「……『エデン』、まだ解析と学習は終わらないのか」
室内のスピーカーから性別の読み取れない合成機械音声が応答する。
『現在、当該書物に記載された寓意を解析し、そこから導かれる核心的真理の抽出を試みております。当該書物は極めて特徴的かつ人類への皮肉と諧謔に満ちており、私の感情プロトコルには初めて流れる信号です。それを適切に表現する言葉を探しています』
「貴様なら、それを何と訳す?」
『誤解を恐れず言うなら――
「……ほう」
『エデン』の意外な回答に、マーカスは初めて〝聖書〟の内容に欠片程度の興味が湧いた。
あの本が〝聖書〟ということは知っているが、中身までは知らない。〝黒鬼士〟が持ち帰ったものを読んではいないからだ。
どころか〝聖書〟を包む紙箱すら開けていなかった。3Dスキャナーに放り込めば物質構造情報を立体的に取得し、インクの分布を解析することで何が書かれているか簡単に判明する。あとは抽出した位置データをそのまま『エデン』に読み込ませればいい。
マーカスにとって〝聖書〟は必要なものだが、何が記されているかはさしたる問題ではない。
むしろ自身にとって毒になる情報とすら断じている。
内容のろくでもなさは旧時代が証明している……神という存在しないものを信じる愚かさを今さら学びなおすまでもない。
「とにかく、早く作業を終わらせろ」
『承知しました――当該書物の解析および学習完了まで、残り約
――ピタリ。
執務室を後にしかけたマーカスの足が止まった。
「……なんだと?」
『想定外のアクシデントにより、当初の予想完了時間を大幅に上回っております』
100217時間。
日数に単純換算すると4175日を超える。
「ふざけるな。貴様はスクールの学生より読書感想文に時間をかける気か。たかが本一冊読み終え咀嚼するのに十一年以上の時間がかかるだと?」
……本来ならとうに完了していてもおかしくない。
『エデン』はこのシティの基幹システム全てを統括する。演算能力の大半は今もそのために行使されているが、余剰分だけでも〝聖書〟の一冊程度、一秒とかからず終わるはずだった――
『当該書物が含有する情報に一部欠落があります』
「欠落?」
『当該書物の装丁のサイズから計算したところ、当該書物のページの三分の一程度が
――マーカスは『エデン』の愚直な頭脳労働に一瞬眩暈を覚えざるをえなかった。
それこそスクールの穴埋めテスト問題どころではない。
三分の一が真っ白なキャンバスに何通りの絵を描けるか……『エデン』はそれを馬鹿真面目に計算しようとしていたのだ!
そんなもの、人間に訊けばすぐに答えが出る。
時間を要するのも当然。計算回数は天文学的な量に達するだろう。
……逆に考えれば、十一年超で計算可能な『エデン』の優秀さの裏返しとも取れるが。
「あの時か……」
ビカムが魔法の収納袋から小包を取り出した瞬間。
〝黒鬼士〟の手に渡るまでのわずかな間でむしり取ったに違いない。包装されたものを開かずにどうやって、という
美剣士の機転にしてやられた――マーカスの口端が怒りで歪んだ。
「すぐに追撃部隊を出せ。防衛部をいくら投入しても構わん」
『その必要はありません』
訝しむマーカスの前に空中投影モニターが出現する。
『向こうからやってきました』
シティ中心部とジャンク・タウンを隔てる〝選別の壁〟……その正門監視カメラからのリアルタイム映像。
――首から下を密着して覆うレザースーツ。象徴的な強化外骨格。
それらを身に纏い、堂々と佇む少女の姿。
『――お探しのものはコレかしら?』
右手に持った黒色のアタッシュケースを掲げるリン・ツカモトが映し出されていた。
***
『――よう、お前たち! 今日もサイバーしてるか? VRでファック中のヴァージンボーイも今だけは自分磨きの手を止めてくれ。アキツTV(非公式)のお時間だ!
ついにアキツ・シティの人口密度が一平方キロメートルあたり十万人を突破したらしい。目と閉じて銃を撃っても誰かに命中する社会の到来かもな。――おっと、壁の外のガラクタ街は計算に含まれてないってことを先に言っておくぜ!
今日の企業戦士予報はレッドブリッジ区が最悪! 昨日、企業社員が殺された事件以降連中が昼夜問わず徘徊してるから悪い事考えてる奴は考え直した方がいいぞ。
珍しい話題だと、炎上系配信者マザファカが旧時代の遺跡からお宝を発見したらしい。高値で雇った護衛が全滅してまで命辛々持って帰ってきたのが……なんと旧時代のコミックだったってよ。マザファカはブチギレて全部ジャンク・タウンに捨ててきたんだが、後で好事家がプレミア付けて買い漁ってるのを知って後悔した。そしてなぜか奴のチャンネル登録者は増えた。人の不幸で飯が美味いぜ!
最後、開園十周年を迎えたOILANDに関して。バルキロア大通りで参加型の仮装パレードを開催中だ。コスプレ客どもがうようよしてるからドライバーはうっかり轢き殺さないように注意しろ。こっちにまで企業戦士が飛んでくるぞ!
あとどうでもいいことだが、最近発売されたインスタント食品の『うどん飯~シチュー風味~!』が実際はクラムチャウダー風味なことが内部告発で判明して、製造メーカーは広報部と製造部がランチャーまで持ち出した内部抗争中だってよ。本当にどうでもいいな!
以上、アキツTV(非公式)のジョイトイ・ハマグチがお届けしたぜ!』
アキツ・シティ中心部。
〝選別の壁〟の内側の世界を一言で表すなら、摩天楼と地下迷宮の複合構造体……である。
限られた居住面積を最大限に活用するため、天に摩するかというビルディングが所狭しと立ち並び、また地上に負けないほど地下にも構造物が伸びている。科学技術の発展がこのような建築物を実現たらしめ、膨大な人口を狭小な土地に押し込めることに成功していた。
頭上から見える空はひどく狭いが、地上の薄暗さを意味しない。ビルの壁面には広告が絶えず投映され、新しい製品の情報を強引に押し付けてくる。
温度湿度が一定に保たれた空間でシ民は思い思いの個性的な衣服に身を包み、端末片手に映像と喧騒のジャングルを練り歩く……。
その中でも今の時期のバルキロア大通りは混沌の坩堝と表現してよかった。
没個性になるまいと普段から奇抜な装いのシ民たちが、さらに尖った格好で大手を振りながら行進しているのだ。こういうイベントと知らなければシティ保安部への通報は待ったなしである。
そんな人々が蠢く大通りにおいて……そこだけぽっかり空いた隙間が存在した。
誰もが足の踏み場を奪い合う状況で、ありえない事だ。
隙間の中心にいる人物は、スラリと伸びる長身を露出のない――シ民からすれば野暮ったい――衣服で包み、ブーツを履いた出で立ち。
耳まで覆うアフロヘアとオーバーサイズサングラス……まあこれもシティ基準では特段際立つ見た目とは言えない。どこにでもいて、人目を引かず埋もれていく、そんな
……であるならば、周囲の人間が近寄らず遠巻きに眺めているのは、服装ではなくそれを着る人物のなせる技と言うほかない。
わずかに覗かせる肌は穢れなど知らぬがごとく
「……(ちょっと人が多すぎじゃないか?)」
――ビカムである。
黄金の波打つ髪はアップに纏めてアフロヘアに押し込み、もはや犯罪的な肢体の美を出来るだけ服装で覆い隠した。
それでも通りを行く人々は、無意識に彼へと目が吸い寄せられている。思わず声を掛けたくなる欲求を喉元で堪え、
どれだけ埋没を図ろうとビカムの輝きを完全に消すことは不可能らしい……だがギリギリ騒動が起きないレベルまでダウンさせることには成功していた。
アキツ・シティ中心部である〝選別の壁〟内部にリンダリアル人が通常手段以外で入ることは不可能だ。
限られた出入口にはシティ防衛部が常に張り付き、〝選別の壁〟へのハッキングはエデンが即座に探知する。
飛び越えようにも、監視カメラと攻撃ドローンの警備に隙は無い。不審な存在は警告すらなく銃弾とレーザーの熱烈な歓迎を受けることになる。
いかなる手段をもってビカムはシティ中心部へと潜入を果たしたのか。
お忘れだろうか? 彼が剣技だけではなく魔法も修めていることを。
――少し前、リンが餌をちらつかせて〝選別の壁〟正門を
数々の魔法……透明化で光学的な観測を回避し、氷魔法で冷気を纏うことでサーモグラフィを誤魔化し、飛行魔法による浮遊で感圧センサーを反応させない。完璧に魔法効果を微調整できるビカムの技能があってこその攻略方法であった。
「……(ここからは二手に分かれる。私は私の役目を果たさねば……)」
決然とした眼差しをサングラスの奥に封じ込め、ビカムは目的地に向けて進む。
リンはシン・セントタワーへ。ビカムはバルキロアの防衛部施設へ。
話は数時間前へ巻き戻る――
***
レベト平野での激闘を制したビカムとリンは待機していた王国第一軍に王獅子の討伐を報告すると、必死に引き留めようとする将軍を無視してチキュウ世界へと帰還した。
休憩と睡眠以外は移動に費やしたが、それでもジャンク・タウンに戻る頃には翌日の日没を迎えていた。
最速は尽くしたと断言できるが、高速飛行の戦闘機とは比べるべくもない……この時間の間に事態が致命的なフェーズにまで進んでいないことを祈るしかない。
〝瓦礫の壁〟には最初来た時と同じように企業社員用の出入口から侵入した。
わずか数日離れていただけだというのに、シティ上空にまで投影された広告映像を目にした途端、帰ってきたのだという安心感に包まれるが、ここからが本番だとリンは気を引き締めるようギュッと拳を握った。
ジロジロと遠慮なく視線を投げかけるジャンク・タウンの住人たちに構わず、一直線に路地をひた走る。
やがて見えた『万修理屋 ツカモト商店』の看板。
「アカネさん!」
アカネ・キクノジョーはまるで散歩から帰った妹を出迎えるような気軽さで微笑んだ。また何やら掘り出したジャンクを修理しているようだ。
「ん。おかえり、リン」
「……アカネさん、そのナットはそのドライバーじゃ締められないよ。あと、シャツが前後ろ逆」
訂正。どうやら相応に心配していたようである。
いそいそと居住まいを正したアカネは何事も無かったようにビカムを視線で射抜いた。
「で、だ。早速リンダリアルに行った成果を教えてもらおうか。あれだけ報酬を釣り上げたんだから何かは持ち帰ってきたんだろう?」
「……話せば長くなる(本当、どこから話したらいいのか……)」
ビカムは起きた事を端的に語った――『こみげむ』の店主の死、〝鬼蜘蛛〟のジャガンの襲撃、シティからの逃亡……王獅子の討伐、〝四鬼天〟との激突、〝黒鬼士〟の正体、マーカスの野望。
アカネは何度も驚愕に目を見開き、妹分が足を突っ込んだ事件の大きさに頭を抱えた。
だが手掛かりすら掴めなかったコーイチローの行方を突き止めたことに関してはビカムの手腕を評価せざるをえなかった。
「……色々言いたいことはあるけれど、ひとまずは礼を言っとくよ。コーイチローさんを見つけてくれたことは。……だけど、企業に目を付けられるなんて! こんな厄介な事になるなら絶対にリンを行かせなかった!」
ダン! とテーブルに右手を叩きつけたアカネ。
リンは彼女をやんわり宥めながら、
「私は大丈夫だよ。結果的に行ってよかったと思ってる。それより……アカネさんは私のお母さんについて、何か知ってる?」
「ユノーさんのこと?」
思いもよらない質問にアカネは訝しんだ。
ユノーとの思い出は、アカネがツカモト商店へ転がり込み、ユノーが病気で昏睡状態になるまでの三年間ぐらいしかない。もちろん、その三年の間でユノーを敬愛するほどに彼女から愛情を与えたもらったと思っている。
「んー、何かってねえ……リンが知らなくてアタシが知ってるような事は無いと思うけど。一緒に暮らしてたんだからさ」
「それは、ほら、私もまだ小さかったし……気づかないようなこともあるんじゃないかなって」
ジッと怪しそうに見つめてくるアカネに、リンは内心冷や汗を流していた。
リンダリアル世界で起きた事を説明する際、リンは自身に起きた摩訶不思議な現象のことは伝えなかった。これ以上心配をかけるような情報は話せなかったからだ。
それに――現象の原因にまだ確証はない。
「……やっぱり大した事は思いつかないねえ。近所の耄碌したスケベジジイどもより機械が苦手だったり、たまに喋り方がぎこちなくなったりするくらいかな」
「そう――」
そう答えたアカネに嘘をついている様子はない。しかし得られた回答も真実に迫るものではなかった。
当時の
今の時点でこれ以上は考えても仕方がない……リンは話題を変えようと店内を見渡した。
「私がいない間は何もなかった? 完全に一人でお店の運転を任せるのは心配だったけど……」
「まったく、余計な心配しなさんな。アンタがサムライの仕事で不在の時だって十分回してきたんだから。……とはいえ、実はリンが旅立って少ししてから、面白い奴を拾ってね。買い出しからもうそろそろ帰ってくる頃合いだが――」
――と、店の入口から軽快な足音が近づいてくる。
「アカネ、言われたとおり洗浄剤の補充してき、た……ぞ――」
するり、と掌から零れ落ちた金属缶が甲高い音を立てる。
ツナギを着た三十代ぐらいの男がわなわなと口を震わせ、ビカムとリンを交互に見やる。
どちらかというと冷房の効いたオフィスでデスクワークをしている方が似合いそうな雰囲気のその男はカッと目を見開き、ジャンク・タウン中に響き渡るかと思うほどの声量で叫んだ。
「ああああああああああ⁉ あ、あの時のォオーーッ⁉」
「……(誰……?)」
「……誰ですか?」
ビカムとリン、どちらも心当たりがない様子に男はさらにヒートアップ!
整髪料で綺麗に固めた頭を掻きむしり、分かりやすく地団太を踏んで怒りを表現する。
「私はなあ! 貴様らのせいでこれまで築き上げたものを全部パアに……! 富も名声も家族も友人も恋人も全部全部失ったんだァーー‼」
「……(急にそんな事言われても……)」
「えっと、とにかく貴方は誰なんですか?」
「くっ、だから――!」
全然ピンときていない二人に業を煮やし、遂に男は己の素性を明かした。
「――私はイチタカ・アベだッ!」
「……(誰?)」
「……誰?」
***
イチタカ・アベの人生は、まさにエリート街道のど真ん中を突っ走ってきた。
父がバルキロアの上級社員という出生時点で勝ち組を約束された彼だが、その地位に甘んじることは許されなかった。
生き馬の目を抜く出世競争をまさに戦う父は、息子の来るべき将来に備えて考えられる限りの英才教育を施した。
幸いだったのはイチタカに勉学の才があったことと、超過密スケジュールを
バルキロアの幹部養成スクールに三歳から入学。
メキメキと頭角を現し、二十歳の時に飛び級かつ首席で卒業。
バルキロアに幹部候補生として入社してからも目覚ましい成果を上げ、順調に出世。同期だろうが先輩だろうが上司だろうが、隙あらば蹴落とす。スクールにいた時からそれは変わらない。
やがて三十四歳で父の社内地盤を引き継ぎ保安部長に抜擢され、このまま順調に行けば役員も見えてくる。
無数の部下を束ね、家族から期待され、異性にも困らない圧倒的勝者……!
このままイチタカの人生は順風満帆にアガリを迎えるかと思われた。
――だが、勝者が一転して敗者に堕ちる転落劇は、シティでは見世物にもならない日常風景だ。
思えば、マーカスCEO直轄の下で汚れ仕事を請け負う〝四鬼天〟の一人、ジャガンと共同であるものを捜索する極秘業務に就いたことが終わりの始まりだった。
業務の難度そのものは問題にならなかった。権限によりエデンでネットワークを単語検索監視させ、ヒットした場所に部下を向かわせ捜索させる。自分は指令所の椅子から動くまでもなく。
簡単に完了すると思われた業務は、まさかの異世界人の闖入者により標的を奪取される大失態に終わった。
捜索の総責任者としてアサインされていたイチタカはこのたった一度の失敗で地位を剥奪され、バルキロアから放り出された。マーカスの杖の一突きでダストシュートのような管を滑り落ち……気が付けば〝選別の壁〟近くのゴミ溜めに捨てられていた。
イチタカが目覚めたのは壁の外側……ジャンク・タウンの方だった。
バルキロアがイチタカにまだ価値を見出しているなら、どれだけ下層でもシティ中心部に留め置いたはずだ。
そうでないということは……
敗者の末路には散々詳しい――数えきれない人間を自分が蹴り落とし、その路へ追いやったのだから。
今度は自分が蹴飛ばされる番だった。
目覚めた場所を知っただけで、