異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる- 作:鹿紅 順
「――貴様らが、貴様らさえ現れなければ……ッ! 私は今も企業上級社員として栄光の道を歩んでいたはずだったのだ! それをッ、私が受精してからの三十四年間をいとも簡単に台無しにしてくれたなッ! このスパナを顔面に叩きつけてもなお怒りが収まりはしないぞーーッ‼」
「ウチの妹分に何してくれてたんだテメエーーッ‼」
「ゴバァーーッ⁉」
スパナを顔面に叩きつけられたアベは錐揉みしながら片付けられていないジャンクの山に突っ込んだ。
それを為した店長代理の女性は凶器のスパナを引っ提げ、借金取立人も
「まさかとんだ獅子身中の虫だったとはなァ。有機分解槽に叩き込まれる準備はできたか?」
「まっ、待ってくれアカネ! 確かに怒りを覚えて取り乱したのは事実だが……私はもう復讐する気はない!」
「マンガだと犯人は追い詰められたら皆そう言うんだ」
「本当だ! ジャンク・タウンに来て数日だが……私は今の生活にとても満足している――」
企業、いやシティから追放されたイチタカは幽鬼のようにジャンクの捨て場をさまよっていた……のは実際十分間ぐらいのもので、
「お前、暇人か。無職か。どっちでもいい、手伝え」
と、使えそうなジャンクを探していたアカネに発見され引きずられていき、半ば強制的にツカモト商店の下働きをするようになった。
「なぜ私がこんな……まあ出来ますが……」
「ほう、筋がいいな」
エリート教育の一環でメカトロニクスも修めていたイチタカは簡単な機械修理ぐらいならこなしてみせた。
ぶつくさ文句を垂れながらも、次々と持ち込まれる故障品を診断、修理していく。
すると不思議なことに、意外とその作業が嫌ではない――己の知識を総動員して壊れた箇所を特定し、どう直せば機械が蘇るのか。それがドンピシャで当たったときの感覚は今まで感じたことのない快感だった。
もう一つ、イチタカの固定観念を揺さぶる出来事があった。
「……ほら、これで元に戻ったぞ。まったく、こんな非常識な使い方をすれば壊れるに決まっているとなぜ分からん? いっそ貴様に使われる機械が哀れだ。少しはマシンリテラシーの向上に努めるがいい。残り少ない寿命で時間が足りるかは知らないがな」
壊れた電子レンジを持ち込んだ老婆に対し、彼にとって当たり前の
そうして老婆から返ってきたのは、
「ありがとう」
レンジが直ったことの安堵と、直してくれたイチタカへの純粋な感謝だった。
予想とは違う反応に毒気を抜かれた彼は、ご機嫌で帰っていく老婆をまるで地球外生命体に出会ったかのように見送った。
その後も、
「ありがと!」
「ありがとう」
「あんがとよ」
イチタカに大事な品を修理してもらったジャンク・タウンの住人は皆、一様に礼を述べて帰っていく。それが彼には理解のできない不思議な感覚であった。
(私は修理するという仕事を契約通りに遂行した。そして客は修理された品を受領した。それ以上の何かなど無いはずだ……)
修理の対価として規定の料金は貰っている。礼を言われたから安くするということはないが、言われなくても仕事はきっちりやる。
出来て当たり前の事を、当たり前にやり遂げる。
当たり前の結果が出るわけだから、それを確認して終わるだけ。
それはイチタカの人生そのものだった。
エリートになることが当たり前だった。企業に入ることも、出世することも。当たり前なのだから一々褒められることなどない。
他人に対してもそうだった。
命令するときも、その部下に出来て当然の業務を命じるわけだから、掛ける言葉は「業務の完了を確認した」か「なぜ出来なかったのだ!」のどちらかしかない。
だから、感謝の言葉など……
(……思えば私は、人に感謝したことがあっただろうか? 人に感謝されたことがあっただろうか?)
(だが、今まで何の価値も必要性も感じなかったはずの言葉が無性に……嬉しい)
他者に必要とされ、存在を認められる幸福。
シティでの
修理する手を動かしながらそれを自覚した時――イチタカは自然と笑みをこぼしていたのだった。
「私がバカにして見下したジャンク・タウンにこそ、本当の人の営みがある……ここで過ごす時間が長くなるにつれて心の底からそう思うようになった。自分でも驚くほど、シティに還りたい、企業に戻りたいと思う気持ちは消えたよ。さっき取り乱したのは、企業社員としての私の残滓だったのだろう。だが、今はもう完全に吹っ切れた。君たちを恨む気持ちは本当にもう無くなったんだ。……信じてもらえるだろうか?」
「信じるけどそれはソレこれはコレーーッ‼」
「ゴバァーーッ⁉」
スパナを顔面に叩きつけられたアベは錐揉みしながら片付けられていないジャンクの山に突っ込んだ。
「アカネさん! そ、それ以上は大変な事になっちゃうから」
「まあ改心したようだし、この辺で許してやるか」
「……(こっそり回復魔法飛ばしておこう……)」
さて。
意外な人物との邂逅もありつつ、一同はツカモト商店の二階に場を移し、これからの作戦を話し合うこととした。
その場にはイチタカも同席した。リンが発案し、ビカムが追認したのだ。
元企業の上級社員、それもマーカスの計画に関わっていた立場となれば有用なアドバイスを期待できる。
頼られた当の本人は呆れたように眉間を指で揉んでいるが。
「随分とお人好しなことだ。私が復権を狙って貴様らの作戦を企業にリークする可能性は考えないのか? ……い、いや、そんなことは絶対しないが。だからアカネ、そのスパナをテーブルの上に置くんだ」
「そのセリフを私たちに言う時点で、貴方が裏切るつもりがないことは分かりますよ」
「フン……」
リンに本心を見抜かれた気恥ずかしさなのか、イチタカは鼻息と共にイスに着いた。
「――チキュウに戻ってくるまでの道中、ビカムと話し合ったの。私たちがどう動くべきか」
「その様子だと、腹案があるようね」
「目標は二つ。一つ目は〝黒鬼士〟……お父さんを解放すること。二つ目は、並行してお母さんをシティ中心部から連れ出すこと」
「ユノーさんを? ……いや、当然の話か」
母、ユノー・ツカモトは魔菌に体を侵されて昏睡状態になり、現在はシティの医療機関に入院している。
リンに対してコーイチローが人質として価値があるならば、同様にユノーも……とマーカスが身柄を抑えている可能性は高い。
コーイチローの救出と並行してユノーを連れ戻すことは絶対条件だった。
「お母さんの救出はビカムにお願いするわ……」リンは緊張したように唾を飲む。「……私はシン・セントタワーに乗り込んで、お父さんを解放するよう直接マーカスと交渉する」
「――バカげている!」
イチタカはアカネがスパナを構えるのに怯えながらも反論を止めなかった。
「マーカスCEOが易々と交渉のテーブルに着くなんて考えられない。あの方は、たとえ命を捧げると言われても眉一つ動かさず受け取ることができる絶対的支配者なんだ。捧げられたものに対価を払うという概念すら無いだろう。それに、聞けば〝聖書〟とやらはCEOの手に落ちた後なのだろう? 余計に交渉の余地など……」
「交渉の材料はある――」
リンの視線を受け、ビカムは黒色のアタッシュケースをテーブルの上に置いた。
見た目は何の変哲もないが……。
「〝聖書〟がマーカスの手に渡る直前で、ビカムが気づかれないようにページをごっそり抜き取っていたの。今、マーカスの手元にあるのは
おお……、と皆が声にならない感嘆を伴ってビカムを見る。
「……(古い本だから
美剣士はどこまでも奥ゆかしく、賞賛にサッと目を伏せた。
「このケースは私以外の誰にも開けられないようになっていて、ケースが壊れたり、私が死亡するか、一定距離を超えて離れたら、即座に中のページを燃やし尽くす仕組みになってるの」
「なってるのって……」
そんな危険な事はやめろと言いかけて、アカネは口を噤んだ。覚悟を決めたサムライを止めることは不可能だからだ。
代わりに彼女は「……必ず無事で帰ってくるんだよ」と言葉を贈る。
その一言に込められた様々な感情を察し、リンは厳かに頷き返すのだった。
「――で、破れたページと父親を交換するとして」イチタカが言う。「母親の方の算段はついているのか?」
「お母さんが入院している病院へビカムに潜入してもらうわ。魔法を使えば……」
「甘いな」
企業を知り尽くした男はリンの希望的観測を容赦なく否定する。
「手段の話じゃない。企業のスピード感を甘く見るな。リン・ツカモトの母親が入院中なんて情報、とっくに掴まれていると思え。隠しやすくて守りやすい場所に人質を動かすだろう。俺なら絶対そうする」
「つまり……お母さんが今どこにいるか分からなくなってるってこと……⁉」
「まあ待て、落ち着け。調べる手段がないわけじゃない。病院のシステムをハッキングして侵入できれば移動先を割り出せるかもしれない」
今度はアカネが作戦の不備を指摘した。
「それってシティのネットワークにアクセスしなきゃならないんだろう? ジャンク・タウンにアクセスポイントなんてないぞ。精々TV電波が一方的に垂れ流されてるくらいだ」
アカネの言うとおりジャンク・タウンに存在するのはローカルネットだけだ。ジャンク・タウン内での情報通信には過不足無いが、シティ中心部のネットワークとは一切接続していない。
仮に繋げることに成功したとしても、即座に『エデン』が探知して
「フン。勿論解決策も想定済みだ」
そう言ってイチタカは懐から自身の携帯端末を取り出した。
「私の端末からであれば、衛星を経由してシティのネットワークにアクセスできる。元々認証済みのユーザーだから不正アクセスで弾かれることもない。ここにあるPCを貸したまえ。そして私がハッキング技術も修得しているに感謝してむせび泣――」
『対象の端末をハッキング――シティ・ネットワークへ侵入開始』
「あれ⁉ なんだ勝手に……壊れたのか?」
『集中しているので黙ってください』
イチタカの掌の中の端末画面がギュルギュルと目で追えないほど移り変わっていく。アイの仕業だ。
人間とは比較にならない演算速度を存分に活かしてネットの海を泳ぐ……その実情は慎重に慎重を重ねるほどゆっくりしたものだ。
この海には秩序を乱す異分子を裁く、絶対的脅威が睨みを利かしているゆえに。
しかし……
『(――『エデン』の目が明らかにネットワークから離れている……⁉ 今は好都合だけれども……)』
不気味なほどの静けさに、むしろ警戒を一層強める。
細心の注意を払いながらアイが入手した情報は、最悪とまでは言わずとも
「――バルキロア保養病院に転院?」
「しかも昨日の夜に?」
リンとアカネの目が驚愕に見開かれる。
ユノーの身柄は既に企業の手中に落ちている……が、バルキロア本社のシン・セントタワーではなく社員や関係者用の病院へ転院という形で移動していた。
当然、家族の同意などあったものではない。
「舐めやがって……!」額に青筋を浮かべ、アカネは掌に拳を打ち鳴らした。「気が変わった。リン! 容赦なく奴をぶちのめしてやりな! 足に紐を結んでタワーの屋上から吊るしてやれ!」
「――そんな報復を悠長に行う時間が残されていればな」
ストン……、と臓腑に落ちるようにイチタカの声が重苦しく響き渡った
水をさしたとは単純に言えそうもない、真剣味を帯びた言葉。
「……我々に、猶予はない(確かに……マーカスを痛めつけてバンジーさせてる間に、企業の武装部隊が押し寄せてくるだろう)」
全てを見通したビカムが厳かに告げる。
美剣士を除いて未だピンと来ていない二人にイチタカは溜息をつく。
「私にはマーカスCEOの企みの全容は分からない――だが
「なぜそう思うんです?」
「今、私がのうのうと生きているのがその証拠だ。機密に属する計画に携わった人員を切るとは、すなわち
まあ、単に私が重要なパーツではなかっただけかもしれないがね――自嘲するようにイチタカは吐き捨てた。
エリートとして育ち、能力に絶対の自負を抱いてきた彼にとって、替えの利く消耗部品扱いされることは企業からの裏切りに等しかったのかもしれない。
『その男の言う事も出鱈目な予想ってわけじゃないと思うわ。シティ・ネットワークの検閲に『エデン』のリソースがまったく割かれていなかった。もう怪しいアクセスを見張る必要もないってことかも』
「私だけの推論ではないというわけだ。……おい、リンダリアル人。貴様にはバルキロア保養病院への侵入案を授けてやる。魔法でごり押しがいつでもできるなら、それは最後の手段にしておけ」
「……貴殿は、なぜそこまで(計画案が泉のように湧き出てくるのだ? 何が秘訣なのだろうか……)」
「フン。勘違いするなよ」
かつての敵の望外なまでの協力姿勢に疑問を覚えたビカムに対し、イチタカは声音の色で「お前たちのためではない」と表現した。
イチタカは窓へ顔を向ける風を装いながら、さりげなくアカネを一瞥する。
気恥ずかしくて普段は言えない
「私は――言葉ではなく行動で示すだけだ」
「……そうか(行動しているうちにアイデアは自然と湧きあがるということか……)」
イチタカもある意味で、企業の中で錬磨された戦士である――ゆえにこそ言葉は少ないながらビカムと意思を通ずるのかもしれない。
戦場に生きた者同士が持ち合う第六感と言うべきだった。
その後、病院へ侵入する策を授けられたビカムは出発の直前、イチタカに心ばかりの礼と、絶対に折れないらしい緋色の輝きを放つ大剣を贈った。
覇気を充満させ決戦へ赴く二つの背中を見送りながら、彼は傍らに立てかけた大剣を困ったように見やる。
「……私は頭脳労働タイプなんだ。こんなもの贈られても無用の長物だ」
「もしかしたらリンダリアルのスゴいお宝で、シティの金持ちが買い取ってくれるかもしないぞ」
「そのシティ一番の富豪で権力者をアイツらは倒しに行くんだが……」
「さて、そんじゃあ私らは溜まってる修理依頼を片付けていくとするかね」
ビカムとリンの姿が路地の奥に消えていったのを見届けて、アカネはあっけらかんとツカモト商店へ踵を返した。
「……心配していないのか?」
「心配してるっての。でも、店先で祈っていても運命はあの子たち次第だよ。だったら私は私の出来る事をやるだけさ……リンが返ってくるこの場所を守ること。それともアンタは言い残したことがあったのかい?」
「いや、授けてやれることは全て授けた。あの場での仕事は完遂している」
「そうだろう? なら信じることさ。リンの剣の腕前と、あの御仁の魔法の力を」
今度こそ店の中へ姿を消したアカネをイチタカは追わず、〝選別の壁〟を越えて威容を轟かせるシン・セントタワーを見上げた。
策はある。切れる札もある。コンディションに不足はない。
それでもなおイチタカは未来を楽観しない。
かつての古巣の恐ろしさを、身をもって知るがゆえに。
「あまり企業を――チキュウを舐めない方がいい」
彼の呟きは誰に聞こえるともなく、虚空の中に静かに溶けていった。