異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる- 作:鹿紅 順
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リン・ツカモトは、企業から直接依頼を請け負えるほど信用のある武装請負人――通称サムライである。
しかしそれはシティ中心部に立ち入る権限があることを意味しない。
依頼は常に企業から支給された専用の端末を介して行われる。この端末を所有していることがサムライの証であるともいえた。
やりとりは一方的で、こちらから可能な応答は最低限。
今さらのことながらシティ中心部とジャンク・タウンの隔たりを感じさせる。
――その隔絶を越えて今、足を踏み入れたリンの目に映る世界は
いや、それ以外の表現を模索する余裕がない。受容した濁流のごとき情報を整理するので手一杯だった。
(これがシティ、私たちが憧れた楽園――!)
衣食住、安全、娯楽、文化的で健康的な生活の保証……どころではない。
衝撃を受けるという表現が生易しいほどの――
古今東西かつ歴史上のありとあらゆる美食が破格の値段で店頭に並び。
想像力を限界まで絞り出したようなファッションを纏ったアンドロイドがショーケースの中で艶然と踊り。
谷の底にいると錯覚するほど立ち並んだビルディング、その壁面を越えて広告映像が天へと昇り。
交通管制システムで制御され美しく流動する車両は、まるで道路という血管を流れるシティの血液か。
そして一個の生物のように蠢く人、人、人――
「なんて場所に来てしまったの……」
驚愕を分かち合う相手もなくリンは独り呟いた。
ジャンク・タウンの何千倍かという消費活動。費やされる莫大なエネルギー量は恐怖すら感じるほどだ。
暴力的な賑わいに聞き耳を立てれば――次は何を楽しむか、皆考えていることはその一択。
シティ中心部の誰も彼も、明日の糧など心配したこともないだろう。壁を越えて聞こえてくるミュータント兵器の恐ろしい鳴き声を聞いたことも、自分たちが食べきれず廃棄した食品をジャンク・タウンでリサイクルし合成食糧に変えて食べているなど想像もしていないだろう。
まさしく楽園。
あまりの価値観の違いに、リンは頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。
とにかくどこかで落ち着きたい……リンは人込みを避けながらフラフラとさまよい歩き、高架下のどこか薄暗い店に辿り着いた。
「……この、サイバージュース? を一つください」
注文を聞いた初老の男性店主が奥に引っ込む。
一息ついたことで、周囲を見る余裕が出てきた。
客はリンだけ。流行っている雰囲気はない。
ジュースを中心にした飲み物屋だ。価格は……驚くほど安い。しかし贅を凝らした食事が破格の値段で販売されている場所だと考えれば、やや高いぐらいの設定だ。そのちぐはぐさが混乱に拍車をかける。
「はいよ」
「ありがとうございます。……ん、美味しい」
淡々と供されたサイバージュースとやらはさっぱりした味の炭酸飲料だった。味は美味いが具体的にこういう味という表現が思い浮かばない。いや……そう、サイバーだ! 毎日飲んでいたら健康が心配になる、そんな味だ。
不愛想に見えた店主はリンが漏らした感想を聞いて静かに笑みをこぼした。
「お客さん、
不意に核心の横を突くような言葉をかけられる。
ドキリと跳ねた心臓を押さえつけ、何でもない風を装い店主に返事をする。ジャンク・タウンから来たと素直に答えるのはマズい。
「仕事で……ミヤコ・シティから」とリンは名前だけ知っている地名を挙げた。
「そうかい。そんな遠いところから……。向こうと比べてアキツ・シティはどうだい?」
「……運送の護衛だから到着してもすぐ出発したりして、あんまり雰囲気は分からないわ。アキツ・シティは……スゴく賑やかね」
「なるほどな。まあ悪い事は言わん、このシティからは
リンは思わずジュースのカップを落としそうになった。
ここが地獄?
「面白い評価ね。衣食住に不足せず、外界の脅威からも守られた、まるで楽園のような場所だけど」
「それこそ面白い評価だ。君は今のこの光景が正常に見えるのかい?」
……リンは振り返り、シティの光景を今一度網膜に映し出した。
そしてジャンク・タウンとは異なる決定的な点に気づいた。
(――仕事をしている人がほとんどいない)
これだけの活動を為しうるには、当然相応の労働が伴うはずだ。
ジャンク・タウンでも基礎教育を終えた少年少女は立派な労働者として経済に参画する一員と見なされる。誰かが誰かのために価値を提供し、対価に糧を得て生きている。
でも、シティにはそれがない。
浪費、暴食、遊興、熱狂、狂騒、
消費、消費、消費、消費、消費――
これだけの数がいて、仕事をしている人間なんて欠片もいない。
課せられるはずの労働は自動ロボットやアンドロイドが担っているのか。
おそらく地下の巨大無人工場は莫大な量の食料や製品を今も吐き出しているのだろう。
D―T型核融合発電炉は人類をエネルギーの制約から解放し、ロボティクスとサイバネティクスといった科学技術が悲願である労働からの解放を成し遂げた。
人類種の勝利の姿であるはずだった。
「……っ!」
しかし、その事実を理解した途端、リンは自分でも理解できない吐き気を感じた。
何かを致命的に失敗し過ぎていることに、取り返しのつかない地点で悟った愚者のような――
「……娘がな」
話しかけられているのだと気づくのに、一瞬の間を要した。
「私にも娘がいたんだ。工作が好きな、手先の器用な子だった。でも、私たちのこんな暮らしはおかしいと、たった一人で声を挙げ続けていた。私は……当時の私は娘の気が触れたと本気で思っていて、まともに相手をせず話に耳を傾けなかった……」
「…………」
「喚きたてる娘にある日我慢できなくなって、『そんなに苦労して生きたいなら勝手にしろ』と心無い言葉を口にしたのさ。いずれ収まる思春期の病だと信じて。……あの子は自分でスクールも退学して、壁の外に出て行ってしまった」
「……その後、娘さんは?」
「さあ? ジャンク・タウンで暮らしているのか、シティの外を目指したのか、あるいは……とっくにくたばってしまったのか。訳が分からなかったよ。ここにいれば住むところも、食い物にも困ることはないのに。楽しい今日を味わっていれば問題なく明日は来るのにな?」
店主は茫洋とした瞳で続きを語る。
「……あの時娘の言った事を理解するために、こうしてしがなくジュース売りの労働に励んでいるのさ。満ち足りているはずの生活に、娘が見出せなかったものを知るためにね」
「それは……見つかりましたか?」
「ああ……時間はかかったがな。しかも、答えはすぐそこにあった――」
それは、いったい何なのだろう。
気になったリンは聞き逃すまいと上半身を傾けるが、そこに無粋な声が割り込んできた。
「――はいチャンネル登録者の皆よろシック! 今日のホリオコ生放送はですね、いかにも人気なさそうな店をホリオコが突撃レポートしていくんで!」
ハンディカムを無遠慮に向けてくる若い男。動画配信者なのだろう、注目を集めるためか一際派手な衣装を恥ずかしげもなく着こなし、胸の上には自身のチャンネルアイコンをプリントして載せていた。
「見てください、この立地! 店構え! それにメニュー! いかにも人気の出なさそうな穴場の店ですよここは。掘り起こし甲斐がありそうですね~!」
凄まじく〝余計なお世話〟な事をベラベラと喋りながら忙しなくハンディカムを動かすホリオコなる男。
当然ながら唯一の客であるリンにもレンズが向けられる。
「どうもホリオコです! お姉さん結構いかつい格好ですね~何飲んでるんですか? サイバージュース? それ美味いっすか? ぶっちゃけどうしてこの店に?」
「え、あ、いや、えっと、」
矢継ぎ早の質問に狼狽えるリン。
「――すまねえが、ウチは取材お断りなんだ。遠慮してくれないか」
そこへ店主の声がばっさりと会話を斬り捨てる。
だがホリオコは怯むどころか怒りを露わにしながら詰め寄った。
「は? 何なんすか? 別に迷惑かけてないっしょ! ていうかむしろタダで俺が取り上げて宣伝になるじゃないすか! この意味考えてくださいよ! この店が人気になるかもしれないチャンスっすよ。ってかそもそも取材断れるような格の店か、ここ?」
「なっ……!」
あまりにも身勝手で無礼な物言いに怒りを覚えたのは店主ではなくリンの方だ。
その肩に手をかけて引きはがす、
――よりも先に、横合いから降りぬかれたバットがホリオコの頭部を打ち据えた。
力なく横たわる配信者。声もなく呆然と立ち尽くすリン。
「――ハイ、迷惑系配信者をジャッジメント完了~!」
傍らにいたのはガスマスクを被った年齢不詳の人物。血の痕の付着したバットが生々しい。
ガスマスクの頭部には小型カメラが付いており、声も変声機で加工されている。
「いやー大変でしたねご主人。それにお姉さん。でも今のでジャッジ麺太郎の取れ高はバッチリ! ……あ、これ俺のチャンネルの名刺ね。迷惑系制裁動画とサブチャンでラーメンレビューもやってるんでメッチャ登録してくれなー」
このジャッジ麺太郎はさっきのホリオコよりも知られているのか、続々と人が集まってくる。
誰も……凶器のバットを、倒れ伏すホリオコも気にした様子はない。
顔を見ただけで分かる。
彼らの頭の中は
「……何なのこの街は……」
――突如、けたたましく鳴り響くサイレン。
観衆はそれの正体を知っているのか、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
それは躊躇なく人の頭にバットをスイングできるジャッジ麺太郎でさえもだ。
「う、ウッソだろ! 企業戦士⁉ 今日このエリアには出ねえって言ったじゃねえかジョイトイのクソ野郎……!」
彼は悪罵を吐きながら路肩に停めてあったバンに飛び込む。なるほど、仲間の運転で気づかれないように近づき、彼の言う迷惑系配信者に奇襲の一撃を食らわせるのだろう。
ドアが閉まるのを待たず急発進した車は百メートルも進むことなく――直上から降ってきた何かに踏みつぶされ、急停止した。
見た目はリンの強化外骨格に似ていた。それを何十倍も凶悪にしたような鎧とも呼ぶべき代物。何百キロもあろう全身には高周波ブレードや銃火器が惜しげもなく搭載されている。
ここまで図体が巨大だと、いくらアシスト機能があるとはいえ着用して動かすだけでも一苦労だろう。
だが巨大な機械の鎧は悠々と車をひっくり返し、中の人間を摘まみだす。同じ装備を纏った増援が到着し、粛々と配信者の一団を拘束していった。
「……お客さん、すぐここを離れた方がいい」
ジュース屋の店主が囁く。
「私もアンタも事情聴取で連れてかれるだろう。そうなる前に……」
「……ありがとう」
小声で礼を述べるとリンは注意を引かぬよう手頃な細い通りの方へ。
だが、その前に。
「……貴方、名前は?」
直感が命じるまま、この恩人の名前を聞いておきたかった。
店主は自嘲するように笑い、さっさと行けと追い払うように手を振った。
「――リョウジ・
***
シン・セントタワーの威容がリンを見下ろしていた。
高さ四百二十メートル。シティの中心部に立つこの建造物はアキツ・シティのシンボルであると同時、バルキロアの本社ビルでもあった。
形状もただの高層建築物とは異なっており……リンは傾いたアルファベットの『V』を想起した。
片方の縦棒が垂直になるように角度を傾け、そのまま折れ曲がった
(ここが敵の根城――にしては人気がない)
確かに今は夜の時間帯だが、バルキロアが社員を定時退社させているホワイト体質だとは到底思えなかった。
その答え合わせをするように、エントランスにたった一人だけがリンを出迎えた。
「リン・ツカモト様ですね? ご用件は伺っております」
「貴方は?」
「私、マーカス様の秘書を務めております、ガブリエラ・タユウと申します」
癖のないストレートの金髪、男性と比べても遜色ない
ガブリエラは危険分子であるはずのリンに気負った様子もなく、「こちらへ」とエレベーターに促す。
「ああ、言い忘れておりました。その似つかわしくない服はお脱ぎになってください。受付でお預かりいたしますので。その腰に佩いた刃物も」
ガブリエラの視線の動きで、彼女の言う服と刃物は強化外骨格とブレードであることを察した。
「承服しかねるわね。敵の本拠地で丸腰になれって?」
「あら……貴方まさか、
――心底から嘲笑う声音。
必死に前脚を振り上げて威嚇する虫を人間が見るような。
「……フフ、心配なさらずとも、あのお方が姑息な手段を取ることはありません。暴力を突きつけられたのなら暴力で、交渉を挑まれたのなら交渉でねじ伏せる。そういうお人なの。だからこそシティの頂点に立った」
「…………」
「どちらにせよ武装を解かないとエレベーターは動きませんわ。防犯の理由からそういうシステムですの。さあ、どうされます?」
……リンは迷った挙句、言われた通り武装を解除した。
脱着する間も油断なく全周に気を配るリンをガブリエラが微笑ましく見てくるのが不愉快であった。無駄な足掻きをと内心せせら笑っているのが手に取るように分かる。インギン・ブレイとはこのことか!
「では、ご準備も整ったようなのでご案内します」
コツコツと小気味よいハイヒールの音を響かせるガブリエラの後を追う。
タワー内部は驚くほど無機質で、シティの喧騒が嘘のように静まっていた。
「廃墟みたいに静かね」
「平時は社員の往来が途切れることはありませんが、今は人払いさせておりますので」
吹き抜けになった広大なエントランスに二人の足音だけが虚しく響く。ふと、静寂はこのシティにおいて贅沢品なのかもしれない、とリンは思った。
乗り込んだエレベーターはほとんど振動を感じさせずに乗客を上空へと押し上げていく。ガラスの向こう、煌々と燃えるようなシティの摩天楼と、ささやかなジャンク・タウンの明かり。
(貧に
答えは出ないまま、エレベーターは最上階へと到着する。
扉が開いた瞬間、気体のように侵入してきたのはリンダリアルで感じた威圧感だった。ただし、その時よりも一層濃密で、魂を撫でられるような居心地の悪さだ。
リンの様子にガブリエラは一切斟酌することなく歩みを進め、重厚な扉をノックする。
「――
――リンの体は考えるよりも先に反応していた。
わずか一瞬。無意識になっていたのは刹那の時間だったと断言できる。
だが気づいた時には既に執務室へ足を踏み入れた後だった。
(そんな、嘘、魔法みたいに……)
マーカス・ハーディ。
長年探し続けた父を道具のように使役する憎き敵。
開口一番、罵倒の一つでも投げつけてやろうと意気込んでいた。
顔を見た瞬間、衝動的にブレードを抜き放ちたくなるだろう自分を律する未来の自分を想像して……
しかし、現実はどうだ。
扉越しの言葉に
魔法でも何でもない。
「……初めてにしては心が強い方ですわ……」
「え……?」
「……支配に全て委ねてしまえば、楽になりますわよ……?」
囁き声に視線を向けるも、ガブリエラは微笑のまま執務室の主から目を外さない。
かの者は部屋の中央、装飾よりも機能性を重視したデザインの椅子に座していた。
真っ白いクロスが掛けられた長方形のテーブルの片側に位置取り、酒の入ったグラスを片手に揺らしている。
「マーカス様、お客様をお連れしました」
「ああ。下がれ」
「では、私は予定通りに……」
麗人なる秘書は颯爽と踵を返し、去り際、こちらへ意味深な視線を送ってからあっけなく部屋を出ていった。
……部屋にはリンとマーカスだけが残された。
どうしたものかと立ち尽くしていると、テーブルの反対側の椅子を指し示される。
「座れ、リン・ツカモト」
「……どういう意味、かしら。まさか仲良くお茶でもしようとでも?」
「ゴミ溜めの住人にしては察しが良い。仲良くは余計だがな」
よくよく見れば、テーブルには二人分の食器が既にセットされている。
この男から指図されるのは業腹だが、話が進む雰囲気ではないため不承不承、椅子を引いて腰かけた。
これみよがしにアタッシュケースをテーブルの上に置く。
「父を――」
「話を急くな。もうじき料理が供される」
「ふ、ふざけないで! 誰が貴方と、」
「この私と大金を払ってでも食事の数十分を共にしたい者はごまんといる。誇るがいい、貴様はそれに無料でありつけるのだ」
――読めない。
この男の考えている事がまるで読めない。
「……どうして私と食事を」
「気紛れだ」マーカスは慣れた手つきでグラスを煽る。「これから始まる大事業を前にして、ふと意見を聞いてみたくなった。私は普段富貴なる者たちとばかり言葉を交わしているが、最後の機会だ、壁外の下民の考えも知りたくなった」
「私はアンタなんかの頭の中なんて知りたくもないけどね」
「そうか。だが、
と、そこへ扉を開き料理を載せたカートが入室してくる。
カートを押しているのは、
「――ッ!」
「私も気が利くだろう」
給仕係にはとても似つかわしくない、武骨な黒い鎧。
前掛けだけを追加で身に着けた不格好さは、まるでままごとに興じている様にしか見えない。
〝黒鬼士〟――リンダリアルで命懸けの殺し合いを演じた相手にして、リンの実の父。
彼は今、ヘルメットを被らず素顔をさらし、だが瞳に意思の光を宿さない操り人形として料理を配膳させられている。
「再びの親子の対面というわけだ」
「マーカスッ……ハーディィ……ッ‼」
拳を握り締め歯を食いしばるリン。
その眼前に、
「――食前酒です。ノンアルコールになります……」
コーイチロー……いや〝黒鬼士〟がグラスを音もなく差し出す。
リンはハッとなって沸騰する怒りを必死に落ち着かせる。
父は今、生殺与奪をマーカスに握られているのだ。ここで暴れては交渉のテーブルに着くまでの努力が水泡に帰してしまう。
風情も何もなくグラスを掴むと一息で胃袋に流し込む。そのまま叩きつけるようにテーブルへ置いた。
「フン」
マーカスは非難するでもなく料理を運ばせるよう〝黒鬼士〟に指示した。