異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる- 作:鹿紅 順
〝――……リン〟
自分の額を優しくさする、暖かい手。
〝――私たちの持つこの力は強すぎるかラ、目覚めないように封印するワ〟
〝――でモ、自分のためじゃなク、誰かを助けるためになラ、きっと力は応えてくれル〟
〝――だから約束しテ〟
〝――リンのお父さんのようニ、誰かを守るために動ける優しい人になるっテ〟
〝――お母さんとノ、約束ヨ〟
「ッ……‼」
鼓膜を揺るがす凄まじい衝突音。
足裏が床材を凹ませるほどの衝撃。
肺腑から空気が抜け、ゴポリと大量に血を吐き出す。
しかし、リンはマーカスの攻撃を受け止めていた。紅刀の腹を盾に、拳の一撃を防いでみせた。
誰の目にも、彼女はもう限界を迎えていた。血を吐き、全身を震わせ、膝を突き、息はぜいぜいと荒い。
だが――体の震えの理由が、痛みと疲労
「……私はまだ死ねない……ッ!」
その言葉はマーカスに向けたものではない。
「お前を倒してジャンク・タウンは破壊させないッ! お父さんとお母さんも返してもらうッ! だから私はッ、敗けられないんだあああああ――‼」
挫けそうになった魂を奮い立たせるための、己への誓いの言葉だ。
おお……見よ! 火事場の馬鹿力とでもいうのか、リンがマーカスの拳をわずかに押し返す。圧政に苛まれるように床に着いた膝が浮き上がり、反抗の兆しを露わにする。
「小娘、貴様一体何者だ?」マーカスは好奇心に浮かされたように問う。「たとえ脳のリミッターが外れようと、この膂力は説明がつかん。……面白い。やはり次代の〝黒鬼士〟に欲しいな」
「うああああああああああ――ッッッ‼」
強大な力同士がせめぎ合う。
指で突けば弾けそうなほど脆い拮抗。だが言い換えれば、ようやく訪れたごくわずかな猶予。
――美剣士がさっと視線を走らせた。
膠着した盤面を覆すには英雄が必要だ。彼であれば一瞬で状況を精査し、最も効果的な神の一手を刻んでくれるはずだ……!
ビカムの視線はリンを一瞥し、
「……(くっ、マズい。リン殿がピンチだ。だがコーイチロー殿を抑え込むので助太刀が難しい……!)」
すぐに彼女と対峙するマーカス・ハーディへと向けられる。
「……(となると、マーカス・ハーディを説得して止めさせるしかないか……⁉ いけるのか……⁉)」
再び〝黒鬼士〟へ向き直ったビカム。
美しき唇が言葉を紡ぐ。
「……(ジャンク・タウンの破壊なくしてシティ繁栄という)凝り固まった考えに、
「っ――――‼」
「(そうだ、毛嫌いせずにジャンク・タウンを一度見て回ろうよ。悪い場所ではないし)……戒めの檻を飛び出し、己を自由に羽ばたかせるのだ(それに行動しているうちにアイデアは湧きあがるとイチタカ殿が言っていたし……!)」
――天から閃きを授かったかのように、
「戯言を」と歯牙にもかけないマーカス。
だがリンの血に汚れた口元は笑みに歪んだ。起死回生の一手を見つけた喜びが全身に漲る。
リンは拳と刀のせめぎ合いのバランスを、あえてわずかに崩した。
両者の体勢が崩れる。
「まだ悪足掻きを!」
生じたリンの隙に蹴りを差し込む――だが伝わってくる衝撃は予想より遥かに小さかった。
それだけで全能に近いマーカスは理解した。リンは自分から後ろに飛んでダメージを最小限に抑えた……だけではない。そうなるよう戦闘の展開を差配したのだ。わざとバランスを崩し、マーカスが蹴りを選ぶような隙をわざと生み、その攻撃の威力をも利用して移動の推進力に変えた。
(――このマーカス・ハーディが、たとえ戦闘中の一場面だけであろうと、相手の掌の上で踊らされたのか)
生涯初めての経験が、彼に一瞬の硬直を生んだ。
それだけで十分だった――リンがビカムの下に辿り着くには!
「ビカム――!」
リンは手を伸ばす。
「私の魔力を開いて!」
「――‼(どうして……⁉)」
ビカムは霊剣フェーレの剣身に莫大な魔力を流し込み、強引に魔法を発動させた。
魔子運動阻害装置の影響で本来なら発動は不可能なはずだが、魔力を風圧に変換するという極単純な工程と装置のキャパシティを超える魔力量がルールを打ち破った。
美剣士と〝黒鬼士〟の間に爆風じみた強風が生じる。
当然、それは『エデン』の支援を受け疑似的な未来予知状態の〝黒鬼士〟に回避されるが、ビカムもまた地を蹴り、爆風に押し出されるように勢いよく後退する。
すなわち、リンの来る方へ。
空中で両者は手を伸ばし合い――掴む。
「……(よく分からないが、ええい
触れ合った手を通じてビカムの魔力が走り抜ける。
他人の魔力の経路に、異質の魔力を無理矢理通す……本来なら荒療治どころか重大な後遺症が残りかねない。それを避けるために脳に近い頭部に直接触れて魔力の感覚だけを開いてやるのが本来の方法。
しかし、魔力操作に熟達した者にはその限りではない。いわんやビカムに。たとえ接触点がどこであろうと
即席による開眼の儀――これこそがリンの天啓。
科学の化身のようなマーカスと渡り合うには、科学では測りきれない武器が必要となる。それこそが魔力。未だ己の身に宿る由来こそ知れないが、この力を使わずして彼を打ち破ることはできないとリンは直感する。
ヒントは美剣士が与えてくれた。
戒めの檻を飛び出し、自由に羽ばたく――
「これが貴方の言いたかった事なのね、ビカム!」
「――――(マーカスに対してだが……⁉)」
交差するように宙を飛んだ二人は手を掴み合い、握った手を中心にその場で円を描き、一回転するタイミングで同時に手を放した――地に足を着け、再びそれぞれの敵の方へ駆けていく……!
そして、リンは強化外骨格を自ら
マーカスは拳でリンを迎え撃つ。だが……
(――いつの間にか傷が治っている。いや、この力と速さは)
人類という生物種の極限に到達したこの身が、パワーでもスピードでも後塵を拝している。
まだ技量の差で捌けてはいるが……なんと、少女の肉体は目に見えて活性していく。徐々に徐々に自分から余裕が失われていくのをマーカスは自覚した。
(この小娘、強化外骨格を装着していない方が遥かに……強い!)
――覚醒前のリンであれば、強化外骨格なくして十全のパフォーマンスは発揮できなかったであろう。
しかし、半覚醒状態で魔力による身体強化が掛かっていた状態では、強化外骨格はリンの行動を縛る枷となった。肉体の性能に機械が追い付いておらず、無意識のうちに破壊しないよう力にセーブをかけていた。
しかしそれを完全に脱ぎ捨てた今、リンは本能の命ずるまま全力の身体強化を発動し、マーカスと伍する力を発揮している。
強化外骨格という檻から抜け出し、己が肉体でもって自由に
これこそ美剣士ビカムが見出した逆転の一手であった!
(――ならば、今の小娘の状態を基準に行動のアップデートを図るだけのこと!)
激流のごとき力をいなすように。
音速のような速さを捌くように。
夥しく積み重ねた技量をもって、人の形をした怪物を制する。
手の甲で剣筋を逸らし、手刀でもってリンを切り刻む。
だが、
(傷が一瞬で――)
リンは体の至るところを血で染め上げながらも、血化粧の下は完全に無傷の状態であった。
魔力による身体強化とは、肉体の活性。それは身体機能だけでなく自然治癒力の向上も意味している。
〝黒鬼士〟の袈裟斬りからすら復活してみせた回復力。手刀程度のダメージが今さら効くはずもない。
そして魔力の恩恵はそれだけではない。
「ッ!」
紅刀と拳の攻防の度に舞い散る黒い欠片。正体に気づいたマーカスの表情が歪む。
マーカスが纏う〝鎧素徒〟の肘から先の装甲に、線状の傷が大小刻み込まれている。紅刀と触れ合った際に生じたものだ。
マーカスの記憶力は絶対のもの。戦闘の最初の時点では傷など無かった。間違いなく、リンとビカムが接触して何かをしてから発生した傷である。
リンは限界を迎えていた高周波ブレードの代わりに、ビカムから武器を貸し与えられていた。
ヒヒイロカネという魔法金属で作られたそれは、魔力が含まれない力では絶対に曲げることも欠けることもない常識外の硬度と、最高効率の魔力伝導率という特性を持つ。
すなわち、リンの身体強化の魔力が掌から伝わり、紅刀そのものも強化されていた。〝鎧素徒【調伏】〟の魔子運動阻害装置も、体内を伝わる魔力に関しては著しく効力が弱いことがあだとなった。
より硬くより鋭い、不壊の刀。そんなものを受け続けていれば、いかな盾とて無事では済まない……たとえ希少金属が惜しげもなく使用された〝鎧素徒〟の装甲だろうと。
人外の膂力と再生力を備え、最高の刀を持つリン。
巧者といえど、防戦一方で削り取られ続けるだけのマーカス。
もはや勝敗は――
(まさか、私が
己から最も縁遠い
それは弱者にだけ与えられ、自分には勝利だけが与えられる。
過去、現在、未来――それに変わりはない。絶対だ。
ゆえに、
だからこそ、
私が
「――ッ‼」
「――ッ‼」
マーカスの胸の中心を狙ったリンの突きがブレード・シラハドリで防がれる。
「はあああああ――‼」
しかし両掌で紅刀を挟み込んだマーカスごとリンは後方へ力だけで押し込む。脚部装甲が摩擦の火花を散らす。
マーカスが『エデン』を守る電磁障壁へ叩きつけられる!
「――小娘ェッ‼」
憤怒の形相を浮かべるシティの支配者。
しかし彼に臆する弱気な少女の姿はどこにもない。
リンは渾身の力で押し込んでいた紅刀から手を放す。
半身の構え、右拳を引き、左足を前へ。
心を燃やし、魂を滾らせ、絞り出したエネルギーをただ一点へ!
――今宵、シティの勝者は入れ替わる。
「――これがお前のッ、
リンの全力の拳が柄頭を叩き――
***
『ビカム、
「……!(よしっ! これなら)」
激しい斬り合いを演じながら、ビカムは魔法を無詠唱で発動する。
〝黒鬼士〟の頭上に数本の光の杭が出現する。落下してくるそれを〝黒鬼士〟は黒刃で斬り払おうとするが、刃は光の杭を素通りし、〝黒鬼士〟の装甲をもすり抜けて床に突き立った。
途端、〝黒鬼士〟は油の切れたロボットのようにギギギと動きを止める。影を縫い留めて相手を拘束する魔法だ。これでしばらくは動きを封じられる。
リンがついにマーカスへ有効打を与えた。しかも〝鎧素徒【調伏】〟に搭載されている魔子運動阻害装置を破壊する最高の成果だ! おかげで魔法の使用が可能になった。
「――リン殿ッ!(マーカスを倒した! やったね!)」
「ビカム――」
美剣士の呼びかけにリンは喜色を浮かべた。
否、彼が発したのは――警告だ。
背筋を貫いた悪寒に命じられるように眼前で腕を交差させる。
直後、破壊的一撃が炸裂した。あまりの威力に踏ん張ることも叶わず、後方へ吹っ飛ばされる。
身体強化した体でも、感覚的には骨にヒビが入るほどの攻撃。既に治癒が始まっているとはいえ、ビリビリと振動が今も消えない。
「……見くびられたものよ」
紅刀を掴み、躊躇いなく引き抜く。
傷口から勢い良く血が噴き出すが、気力に衰えた気配なし……!
「この私が、胸を貫かれた程度で死ぬとでも? 魔子運動阻害装置こそ使えなくなったが戦闘活動に問題はない」
そう傲然と言ってのけたマーカス・ハーディ。
胸から背中まで貫通する重傷にも関わらず、宣言のとおり地に倒れ伏す様子は毛ほども感じられなかった。
「まさか……肉体の機械化!」
「その通り」マーカスが指で口端の血を拭いながら言う。「重要臓器の機械化と分散化は何十年も前に済ませてある。貴様は鬼の首を取ったように喜んでいるが、この程度の傷、私に多少の痛痒を与えただけに過ぎない」
いかに優れた能力を持とうと、生物である以上は老いという劣化からは逃れられない。そして、老いた臓器を人工臓器に置換する技術は最終戦争時点で既に完成していた。
マーカスもその技術の恩恵を受ける一人であるが、シティの支配者である彼の人工臓器は特別を極める。
その一つが完全臓器。たった一基で心臓、肺、腸、肝臓など各種内臓の機能を全て代替できる。それが予備も含めマーカスの体内には三つ移植されていた。
リンの刺突はマーカスの皮と肉を貫いたのみ。たとえ完全臓器に命中していようと、残る二つが機能を果たすだけだ。マーカスの発言は強がりでも何でもない、ただの事実を指し示していた。
「小娘、貴様が戦闘の一局面においてのみ私を上回ったことが認めよう。だがそれだけだ。結果は何も変わりはしない」
「だったら立ち上がる力も無くなるまで敗北を刻み込んでやるわ。こっちは二人、アンタは一人。数の計算もできないのかしら?」
「クハッ! そういう貴様は時間の計算ができぬらしい」
マーカスが嘲笑すると同時、
『――当該書物
タイムアップを告げる無慈悲な機械音声が響いた。
忘れてはならない……ビカムとリンとは違い、マーカスは二人を打倒する必要はない。ただ『エデン』が〝聖書〟の学習を完了するまでの時間を稼ぐことも勝利に繋がるのだ。
「これで〝クローラー計画〟発動に必要な準備は全て完了した」
「〝クローラー計画〟……? 一体何なのッ⁉」
それこそが最も重大な情報だとリンは直感する。きっとロクでもない内容であることは間違いないはずだ。
その時、緊迫した空気の中で着信音が鳴る。
ビカムである!
「……(こんな時に電話……⁉ なんか恥ずかしい……)」
『繋ぐわ』
アイは発信元が誰か心得たのか不審がる様子なくスピーカーモードで通信を繋いだ。
『――……っ、……い……おいっ、聞こえるかエルフ!』
再生された音声、この声色は――
「もしかして、イチタカさん……⁉」
『リン? アンタ、ビカムさんと一緒にいるの?』
「アカネさんも……!」
声の主はジャンク・タウンから急遽通信してきたイチタカとアカネであった。
シティ中心部への潜入前、アイがイチタカの端末をハッキングしてシティ内ネットに接続したログの履歴をたどって逆通信をかけてきたのだった。
『今電話に応答できないなら聞くだけでもいい! 急ぎ伝えたい情報があるのさ!』
『マーカスCEOがとんでもない計画を企てていたんだ!』
アカネとイチタカの声は焦燥に満ちていた。
そのような機密情報、どのような手段で手に入れたのかリンとしては気になるが、それは後回しだ。
『マーカスCEOは人口過密問題を解決するためにシティの拡大を望んでいるが、邪魔になるジャンク・タウンを破壊するつもりだ! そのために、とんでもないモノをシティ郊外の地下工場で作らせていやがった!』
『……全高三百メートル、全長二キロ。地上の建造物を雑草みたいに破砕するための超巨大兵器。それが四機も……! 既に完成していて後は起動するだけの状態なんだよ!』
『その名も〝クローラー計画〟――東西南北に配置した巨大兵器が同時に周回するだけでジャンク・タウンは一日かからず瓦礫の山にされてしまう』
――リンは怒りで臓腑が煮えたぎると同時、恐れで寒気を感じるという矛盾した感覚を味わった。
マーカスがジャンク・タウンを破壊する意思は明らかになったが、その方法までは知りえていなかった。住民を武力で強制的に追い出しながら自動ロボットを使って迅速に解体していく……そんな光景を想像していた。
だが、イチタカとアカネが語る〝クローラー計画〟の内容は常軌を逸している。
信じられないサイズの超巨大兵器をこのためだけに建造したというのか。それもたった一日で全ての破壊が完了する。当然、生命の保護など斟酌されているはずはない。
人はかくも恐ろしき事を企てられるのか。
『マーカスCEO……いや、事ここに至ってはマーカスの外道め……! かつて企業に勤めていた私ですらそんな企画は立てないぞ! 心まで機械化したような冷酷非道の圧政者だ! もし奴が目の前に居たら罵詈雑言の一つくらい浴びせて、』
「――聞こえているぞ、イチタカ・アベ。貴様の生死は不問としたが、拾った命を瓦礫の街と心中させる道を選んだようだ」
『え、その声……ま、まさか本物……オエェェェェェーッ! う――……』
『オイッまたかよッ、汚え‼』
『ああっ⁉ イチタカがあまりのトラウマで気絶し――』
プツン
そこから先は
「クハ……そういうわけだ。これからあの瓦礫の街は名前通り正真正銘の瓦礫に変わる。……もはや貴様らを始末する意味もほぼ無くなった。シティ内にいる貴様らが破壊に巻き込まれることはない、事が済めばどこへなりと失せるがいい。私にはその後の楽園再生という大仕事が待っているのだ」
リンが目端に涙を浮かべ悔しさに奥歯を噛みしめる。
ビカムはわずかに俯き、帽子の鍔が耽美な
勝利を確信したようにマーカスが宣言した。
「――さあ『エデン』、〝聖書〟を読み解き、神の視座を学習した今こそ〝クローラー計画〟を発動しろ。人間の殺害によって人類のさらなる繁栄をもたらすのだ!」
『当該書物の学習では〝クローラー計画〟は発動できません』