異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる- 作:鹿紅 順
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「リン、これを持っていきな」
店を出ようとするリンの背中にアカネが声をかける。
その手に握られていたのはリンの相棒である高周波ブレード『SHINANO』。
「それ刃こぼれしてるって……」
「強化外骨格だけ着ても武器が無けりゃ話にならんでしょ。こっちは刃に補修材を塗布して研磨した。一時しのぎだけど無手よりはいい」
長年の修理業により砥ぎの技術を身に着けたアカネだからこそ可能な裏技的手法である。
こんな直し方があるのかと感心しながら、リンはブレードを背中に担ぐように装着した。
「そんじゃあ行ってきな! 絶対、無事に帰ってくるんだよ!」
アカネの見送りを受けて、美剣士ビカムとサムライ・リンは旅立った。
向かう先は異世界リンダリアル――ではなく、
「それじゃあ『こみげむ』へ案内しますね」
そう、それこそがビカムがアキツ・シティに来た元々の目的である。
リン自身は赴いたことはないが、幸いにしてゲンジューローが『こみげむ』の常連だったことから店の
そこでビカムの所用を片付けた後、二人はリンダリアルに行く予定だ。
リンの端末が進むべき最短経路を指し示す。
これに従い歩くだけだというのに……リンは今非常にそれを難しく感じていた。
それとなく視線を横に向ける。
隣を歩くビカムは、会話など不要と言わんばかりに真剣な眼差しで前だけを見ている。
「……(何か話しかけるべきだろうか。何も話題が浮かばない……)」
沈黙に徹するのは、声の掛け方が分からない初対面の気まずさなどではないはず。
だが、彼の胸中を占める思いは何なのか。傍にあって気配すら漂ってこない。
――リンは実のところ、リンダリアル人を見るのが初めてではない。
体毛に覆われた獣人、大人でも子供の背丈しかないハーフリング、鱗を纏ったリザードマン、そして異世界の
彼らは全員、己の武威を隠そうともしなかった。生まれ育った大地と異なる土を踏む以上、警戒と自衛のために力を隠そうとしないのは理解できる。
……翻って、ビカムは異質と言えた。
気を張っているわけでも、さりとて油断しているわけでもない――リンダリアル人に優しいとは決して言えないシティにあってなお。
泰然自若、あるいは常在戦場。
爆弾が投げ込まれても、彼は眉一つ動かすことなく導火線を斬り、何事もなかったように歩き出す――そんな空想に囚われてしまうのだ。
「エルフ、の方なんですか?」
その特徴的な耳を見れば自明であるが、リンは訊かずにはいられなかった。
チキュウ世界では創作の中の存在でしかなかった種族が、異世界に実在したのだから。思わず問うてしまうのも、むべなるかなというもの。
「……そうだ(話を振ってくれた。ありがたい)」
「私、エルフの方と初めて会いました。シティに来るのはエルフ以外の方ばかりだから」
「……エルフは、生まれ育った場所への執着が強い。異世界まで足を運ぼうとするのは稀だ」
「そうなんですね。じゃあ――」
貴方は、なぜ――無意識にそう続けようとして、リンは口を
今ビカムが言ったばかりではないか、エルフは生まれた地から離れない種族だと。
なのに、異世界まで旅するとは余程の事情があるに違いない。
それを訊ねるとは、私的な部分に踏み込む不躾な行為でしかない。
「……」
「……(なぜ急に押し黙る⁉ 何を言いかけたんだ。ああ、話題が途切れてしまう……)」
リンの沈黙に反応を示さず、ビカムは平静のまま進み続ける。通行人は二人を珍しそうに眺め、すれ違っていった。
このまま目的地まで無言が続くかと思われたその時、リンの耳朶は微かな呟きを捉えた。
「(そうだ、この少女は確か)……サムライ」
「……! え、ええ、光栄なことに、シティから信任を頂いて」
「(とりあえず褒めれば間違いない)……その若さで大したものだ」
「ありがとうございます」少女らしい華のような笑顔を浮かべるも、リンの表情は急に暗く沈んだ。「でも、今日貴方に助けられたように私はまだまだ未熟者です。ライゾーたちだって上手く追い払えなかったし……」
リンは確かにサムライである。サムライに相応しい力を備えていると周囲の評価を得たことは事実である。
しかし、その力を活かすための経験が圧倒的に不足していることもまた事実だ。
力の振るいどころ、振るい方を会得する修行は無く、ただひたすら場数を踏むことでしか身に付かない。
「……(マズい、暗い雰囲気にしてしまった! 気まずい。ああ……)」
ビカムは落ち込むリンに対し、あえて助言を与えず、沈黙の帳を下ろした。
その場しのぎの慰めなど、この男は無意味だと知っているからだ。
同時に、肯定も否定もしないことが真の
無言の旅路は唐突に終わりを告げる。
雑多な街の、裏路地の果て――不法投棄された野良の掃除ロボットすら姿を見せなくなった深奥に『こみげむ』は存在した。
***
狭い路地の行き止まりの壁、覗き窓が付いた鋼鉄の扉の向こう側が目的地――リンの端末のロケーターはそう指し示していた。
「本当にここが? 店の看板もないけど……」
祖父が悪戯で嘘の住所を口にしたとは考えにくく、合ってはいるのだろうが……。
怪しいというよりは不気味な印象が強く、二の足を踏んでしまう。
そんなリンには我関せず、ビカムは躊躇いなく扉に近寄り、把手を回し押す。
「っ! ま、待って!」
慌てて後を追いかける。
二人を出迎えたのは異常な光景だった。
「なに、これ……」
入口から店内を眺望したリンは激しい困惑に襲われた。
店の中は薄暗く――そして、もぬけの殻だった。
ビカムの命令よりも先にアイが店のシステムをハッキングして照明を点けると、その異常さがより露わになった。
什器備品類はそのままに、そこに陳列されていたであろう商品がきれいさっぱり消えていたのだ。経営不振でテナントが商品を持って逃げ出した貸店舗を想像すれば分かり易いだろうか。
壁には幾つか長方形の染みがあった。いや、よく見れば、そこ以外の壁面が照明の光で焼けていると言うべきだった。推測するにあの位置にポスターを貼っていたのだろう。ホログラム広告全盛のこの時代に。
つまり、それすらも剥がしていく徹底ぶりに、異様なものを感じずにはいられなかった。
ゆっくり、ゆっくりと、店の奥へ足を踏み入れていく。
リンの纏う強化外骨格の駆動音が聞こえるほどの静寂。
カウンターの中を覗き込んだ時、彼女は、何かを引きずったように伸びる赤黒い痕を見つけた。
「これって……!」
「……血痕か」
ビカムは血痕と思しきものをつぶさに検分し、
「……一日といったところか」
血の渇き具合から事態の発生時刻を推察した。
血痕の筋はカウンターの奥……扉を抜けてバックヤードの方へと続いている。
リンは腰に佩いたブレードに意識を集中した。面持ちは既に、年頃の少女から
血痕を辿っていくと、一気に開けた空間がビカムたちを出迎えた。
「倉庫、のようですね……」
高い天井にまで届くほど巨大で頑丈なアングル棚が乱立している。さながら鋼鉄のジャングルといったところか。
その棚にも商品はおろかネジの一本すら置かれておらず、骨組みだけをさらしている。
「……居た」
「あっ……!」
血の筋の終点――鉄の森に隠れるように、俯せに倒れた人影が。
老齢の男性。服装に乱れや強盗に遭った様子はない。
ただ一点、背中からちょうど心臓の位置に穿たれた弾痕。この傷が彼の命を奪ったのだと知らしめる。
状況証拠からの推理であるが、おそらくこの老人はカウンターにいたところを攻撃された。激痛に耐えながらこの位置まで這ってきたが、とどめに心臓を銃撃され力尽きたのだろう。
強盗の最中の殺人か、それとも最初から老人に対する殺意があったのか……。
いずれにせよ、これが残虐な犯罪であることに間違いはなかった。
「ひどい……」
「……ああ」
「とにかくシティの自警団に連絡を――」
「――その必要はねえぜ、お嬢ちゃん」
突如響き渡った男の声。
咄嗟にブレードの柄を掴んだ努力も空しく、リンの全身は何かによって拘束されてしまう。
「くぅっ、これは……!」
体を締め付ける感触と空中で反射する光の筋を見て、リンは己を縛り付けるものがワイヤーであるとすぐに見抜いた。
横に目をやれば、ビカムの体にもまた同じようにワイヤーが絡みついている。リンが抜刀しようとした最中無理矢理動きを封じられた不格好な状態であるのに対し、ビカムは立ち尽くした姿勢のままだ。つまり一切の抵抗なくワイヤーに囚われた事を示している。
「ククク……待っていた甲斐があったよ。こういう状況を説明するおあつらえ向きの言葉があったな。そう、〝飛んで火に入る夏の虫〟だったか」
声は頭上から響いてきた。
天井を摩するほどの棚の頂上……そこに蠢く不気味な影。
リンと同じく強化外骨格で全身を鎧った姿。
昆虫の頭部を思わせる意匠のヘルメット。
極めつけは背中……脊髄に沿うように左右に伸びた禍々しい三対の節足。それはキチキチと小刻みに動き、決して飾りではないことを教える。
おそらく神経を流れる電気信号を体外から読み取り駆動するタイプの義手義足。外科手術なしで装着できる軍用補助碗に違いない。でなければ説明がつかないほど、形状は鋭さと物々しさを帯びていた。
二本の腕と六本の補助碗を伸ばし、重力を無視してアングル棚を縦横無尽に這いまわるその姿は――
「蜘蛛……⁉」
「正解!」
身動きできないビカムとリンを得意気に見下ろす者。
「誰⁉ 貴方はいったい何なの!」
「その問い、馬鹿正直に答えると思うか?」
空中に張り巡らされたワイヤーの上に直立する男。
「――だが! 俺様はあえて答えてやろう。そう、〝冥途の土産〟というやつにな」
「……(教えてくれるのか)」
男が快哉を叫び両腕を広げるのと追随するように補助碗が広がった。さながら舞台俳優のごとき振る舞いだ。
そう、ここはまさしく舞台。
殺戮の網が張り巡らされた、彼という主演の独壇場である。
「俺様は〝鬼蜘蛛〟のジャガン。短い付き合いになるが、以後良しなにだ」
謎の男――〝鬼蜘蛛〟のジャガンと名乗った人物は空中をさも足場があるかのように下りてくる。彼が一歩踏み出すたび、たわんだワイヤーが光を受けて一瞬の光の線を描いた。
「あの死体は貴方の仕業なの……!」
リンが睨みつけながら問いただす。
「御名答」その眼の前で、ジャガンは胸に手を当てながら腰を折る。「熟練の暗殺者である俺にかかれば、ジジイ一人なんて瞬きする間に片が付くが、それじゃあ面白くない。追い詰めて、追い詰めて――逃げ場がなくなったところであの世に送ってやったわけよ」
(ひどい――!)
リンは歯を食いしばり、怒りの声をグッと抑えつけた。自分が声を上げれば上げるほど男が悦に入るだろうことは容易に想像できたからだ。
代わりに口をついたのは「どうしてこんな事を」と犯行の動機を問う言葉だ。
「そうそう、それさ。俺様が慈悲深くもまだお前たちを生かしている理由は」
ジャガンのヘルメットに隠された鋭い双眸がビカムとリンを射抜く。
「お前たちも、この店が仕入れた〝例のモノ〟を目当てに来たんだろう?」
「〝例のモノ〟……?」
「ハッ、とぼけやがって。嘘はよくねえな」
ジャガンが左の掌を握り込む。
動作に連動してワイヤーがギリギリと音を立て、リンの四肢を可動域の限界近くへ無理矢理に曲げる。
「ううぅ……ッ!」
たまらず零れる苦悶の呻き。
「いいぜ、俺様も暇してたところだ。我慢比べといこうか。お前が
「う、あああああッ‼」
さらに力が強まり、リンの額に冷や汗が浮かぶ。
「……その娘は、何も知らない」
――呟きは小さいながら、はっきりとジャガンの耳朶を打った。
「
「……俺が正直に答えれば、この娘を無事に解き放つか?」
「ああ、勿論――ダメだね! その女もこの現場を見ちまったからには生かして返せねえ。余計な事を喋る前におっ
「……そうか。
ビカムはそこで言葉を切り、
「――貴公の命を奪っても、心が痛まずにすみそうだ」
途端、彼を戒めていたワイヤーがたわみ、力なく床に落ちた。
縄抜けのような奇術の範疇を超えている。まさしく
ジャガンが驚きに目を剥いたのが気配で伝わってくる。しかしそれも一瞬。
三対の補助腕が蠢き、張り巡らされたワイヤーが命を吹き込まれたように死の包囲網を描きだす。
「ぐっ、こ、コイツ!」
――だが、迫り来る蜘蛛の凶糸を、美貌のエルフは華麗に避けていた。
目を凝らさなければ見えないような細いワイヤーを時に伏せ、時に跳躍し、コートの端すら裂くことなく鮮やかに回避する!
それはもはや舞踏だった。
大胆かつ繊細に世界へ身を躍らせる姿は、指の先まで姿勢を意識するプロのダンサーもかくやである。
捉えられない――ジャガンは確信した。
ならば……
「動くな! さもなくば女を、」
――黄金の軌跡が、鋼鉄の線を断ち斬る。
リンの戒めは解かれていた。いつの間にかビカムの手には黄金の剣が握られている。
バカな、とジャガンは目を剥いた。抜き放つ素振りなどまったくなかったというのに。
驚くのも無理はない。
ビカムの相棒、黄金の剣――霊剣フェーレは実在と非実在を行き交う。
いかに空手に見えようとも、ビカムの指は常に霊剣の柄に掛かっている。そしてビカムの意志に感応し顕現するのである。
ジャガンの背筋を名状しがたい感覚が走り抜ける。熱く、冷たい、危険を知らせる信号が。
だが、その感覚を彼は怖れと共に飲み込んだ。この者もまさにプロの凶手。冷静さを失った者から死ぬ戦場の掟を熟知している。
形勢は均衡に戻ってしまったが逆転されたわけではない。戦闘環境はジャガンに有利に働く。林立するアングル棚は糸を掛けてくださいと言わんばかり。〝鬼蜘蛛〟の名のとおり網を張り巡らせ相手を絡め取る戦法に好都合なのだ。
動けなくしてから情報を引き出した後は、巻きつけたワイヤーで輪切りにするもよし。操り人形のように四肢を操作し同士討ちさせるのも一興だ。真綿で首を絞めるようにじわじわと窒息させてやるのも捨てがたい。ジャガンの残虐な思考が脳裏に凄惨な画を夢想する。
決めた。そのどれとも違う苦痛をプレゼントしてやろう。
「素直に喋れば楽に逝かせてやったものを……苦しみ悶えろ!」
ジャガンの脊椎に沿って存在する全ての補助碗、その先端部分が弾丸のごとく射出される。
当然それもワイヤーで接続されており、縦横無尽に空間を駆け巡り、さらなる糸をかけていく。
瞬く間に鋼鉄の密林が濃度を増す。
十分に糸を張り終えたと見るや、六つの先端部分は様々な方向から一斉にビカムへと襲い掛かった。
補助碗の先端は鋭く尖り、それぞれに六種類の異なる麻痺毒を内部に備えていた。発射と同時に表面へ塗布された毒は、わずかにかするだけで体の自由を奪う恐ろしいものだ。
相手の視線を攪乱しつつ自分に有利なフィールドを形成し、六方向から麻痺毒の攻撃。たとえ命中せずとも、相手は蜘蛛の巣に囚われた獲物と成り果てている……。
――これぞ奥技〝監獄蜘蛛〟!
この磨き抜いた技により、数えきれないほどの相手を闇に葬ってきた。
勝利の確信に、ジャガンのヘルメットの奥で口唇が笑みに歪む。
しかし、彼は唯一にして絶対の事実を忘れていた――己がいったい何に敵対したのかを。
ビカムはコートの端を掴み、回転するように勢い良く翻した。
ビカムの玉のごとき肌を傷つけんと迫った毒牙は、全てコートによって打ち払われ、絡め取られた。
「……ッ⁉」
別方向から高速で迫る補助腕の攻撃をこうも簡単にいなされた。
しかし、同時に違和感もよぎる。なぜ、避ければ良いのにわざわざ……?
その答えに一瞬でも早く到達できていれば、ジャガンの命は、ほんの数十秒とはいえ延命が叶ったであろう。
コート越しに掴んだ補助碗の先端を、ビカムは大きく引っ張った。
どこにそんな力がと思わざるをえない秘めたるパワーにより、ワイヤーは限界まで引き絞られる。
「ぐ、がっ……何ィ⁉」
ジャガンがワイヤーを介してビカムに触れているというならば、逆もまた同じだ。綱引きは力の強い方が勝つ。
補助碗の動力を超えた力で引っ張られたことで、逆にジャガンの方が空中に吊り上げられる結果になった。自分の張った巣に自分が囚われてしまったのだ。
「こんな、こんなバカな攻略法が」
相手の技を逆手に取った喜びなど微塵も浮かべぬまま、ビカムはコートごとワイヤーを霊剣フェーレに巻き付けると床に突き刺し留める。
そして背中のハイテク銃を抜き放つ仕草を見て、ジャガンはようやく己が辿ろうとしている未来を悟る。
引っ繰り返った虫のように手足をばたつかせるが、それが何の用も果たさないことは明白だった。
裁判官のごとくビカムが宣べる。
「……ことわざが好きならば、これは知っているか」
『
「ま、待て! 俺を殺せばあの方が黙っちゃ、」
「――〝夜の蜘蛛は親でも殺せ〟と」
カチリ――引き金が引かれる。
銃口から放たれた徹甲弾はワイヤーの網目を潜り抜け、一直線にジャガンへと突き進む。
強化外骨格の装甲を容易く突き破り、心臓を熟れた果物のごとく粉砕し、背中から飛び出た銃弾は、倉庫のコンクリート壁に大きな弾痕を刻んで止まった。
痛みに喘ぐよりも、
〝鬼蜘蛛〟のジャガンと呼ばれた男の最期であった。