異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-   作:鹿紅 順

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第二章 第1話「異なる世界へ」

 かつて世界には光も闇もない、完全なる無だけが広がっていた。

 時間すらも存在しなかったため、初めからそうだったのか、そうでなかったのかすら分からない。

 

 だがある時、何もないはずの無に、一つの波紋が生まれた。

 

 波紋は一つ二つと別れながら、波紋同士が交わり新たな波紋を生んでいく。

 無限に重なり合った波紋から――神が生まれた。

 

 最初の神は自ら波紋を奏で、それは歌と名付けられる。

 神は歌った。自らの考える世界を。永遠に孵らぬ卵の歌を。

 そうして世界は始まったのだ。

 

 最初の神は創造神と呼ばれ、特別に尊い最高の神であると崇められた。

 生まれたばかりの世界を整えるため、創造神は歌い、自身を支える神々と、世界を支えるための三女神を想像した――。

 

 これが創世記の冒頭である。

 

 

 

   ***

 

 

 

「……ごめんなさい。私のせいで」

 

「……気にするな(無理もない。今まで乗馬などしたことがないのだから)」

 

 美剣士、ビカム。

 サムライ、リン・ツカモト。

 

 疾走した父を探すことと、敵対する相手の正体を探るべく、二人は今リンダリアル世界を訪れていた。

 

 アキツ・シティ近郊の〝ゲート〟を抜けてからしばらく荒野を駆けていたのだが、森林地帯に到達したところでリンが限界を迎える。体に無視できない疼痛が生じていた。人生初めての乗馬に加えて、初心者に遠慮のない全力疾走……むしろよく我慢した方であろう。

 

 体を労るべくビカムは休息を申し出たが、リンは断った……なにせシティ内で兵器の使用を躊躇わない相手だ。ここで可能な限り移動距離を稼いでおきたかった。

 何よりも、出会ってから今の今までビカムに助けられ守られっぱなしのこの状況、リンとしても忸怩たるものがある。あるからこそサムライなのだ。

 せめてこれ以上は迷惑をかけまいと、リンなりの気遣いなのであった。

 

「はあ……」

 

 少女の唇から漏れた、か細い溜息。

 物を考える余裕が出てくると、勢いでリンダリアルへ来てしまった不安が急に鎌首をもたげてくる。

 

 元々異世界を見てみたいとは思っており、実際勢いに身を任せなければ来る機会が無かったようにも思うのだが……本当にこれでよかったのかと問うてくる自分がいる。

 アキツ・シティのある列島から大陸に渡ったこともないのに、先にリンダリアルに来てしまうとは。

 

「けど……異世界も意外に普通の場所なのね」

 

「……(ん……? 私に話しかけている……? いやでも独り言だったなら……)」

 

 辺りを見渡した感想を投げかけたつもりだが、前を行くビカムは無言を貫いている。

 

 リンにも、この美しい剣士が類稀(たぐいまれ)な奥ゆかしさを有していることに気づいていた。

 まさか自分に向けられた意識に鈍感だとは思えない。今はリンの感想にリアリスティックな注釈を付け加えるのではなく、見たまま感じたままの原体験を大事にさせたいのだろう。

 

 とはいえ、訊くべきことは訊かねば話が始まらない。リンは気を引き締めながら周辺の安全度について問うた。

 

「ビカム、この辺りに脅威となる存在はいる? 噂に聞く魔――」

 

『――いつの間に呼び捨てなんて。ちょっと馴れ馴れしいんじゃないかしら』

 

 (いら)えはビカムではなく、彼の左腕から発せられた。

 

 幾度となくその声を聴きながら、リンはようやく存在を思い出した。

 コートの下のビカムの装いは、いかにもファンタジーに登場する西洋風の鎧であるのに対し、左腕のみが機械鎧(メカ・アーマー)というちぐはぐさ。

 今までは戦闘でそれどころではなかったものの、落ち着いてみると、なかなかバックストーリーを感じさせそうな出で立ちといえる。

 

 リンは直感的に声がAIの機械音声であることを悟ったが、まさか異質な鎧そのものが非友好的な空気を滲ませながら話し出すとは、さすがに面食らった。

 

『ただの依頼者でしかないのに、まさかビカムと肩を並べたとでも思っているの?』

 

「それは……」

 

 二の句が詰まる。

 今までリンが役に立った事と言えば『こみげむ』までの道案内のみ。戦闘に関してはお察しの通り、良いところが無い。

 

「……(急激な距離感の縮まり、私も気になる。……もしかすると、既に私と彼女は友達という関係に……?)」

 

 ビカムもあまりに自然体だが、こちらに注意を払っているのが分かる。彼の肩越し、帽子の鍔とコートの襟の隙間からサファイアのような碧眼が覗いているのが見えた。

 リンに関心と言う名の圧を駆けないようにしつつ、どのように答えるか、道連れとしての心構えを見定めようとしているのだ。

 

 アイの評したように、守られるだけの力なき案内人としてなのか。

 それとも、別の何かとしてなのか。

 

「……っ」

 

 この回答でビカムが失望するかどうかが決まるだろう。

 しかし、リンとしてもサムライの啖呵をきった以上、後になって臆する選択肢などない。

 

「……確かに、サムライの矜持にかけて、肩を並べたとは言えないわ」リンは言う。「――でも、共に窮地を潜り抜けた同士(・・)だと思ってる」

 

 背中を預け合う関係だと過言を吐く厚顔さはない。

 しかし、仲良しこよしのお荷物になる気もない。

 

「……フッ(まあそうだよな。友達ではないよな……。友達と同士は何が違うのだろうな……)」

 

 爽やかなビカムの微笑。

 答えは――満点のようだ。リンは胸を撫でおろした。

 

 同時にその撫でおろした胸が締め付けられるのはなぜだろう……。

 ビカムの微笑に垣間見えた……寂しさ。

 自らが到達した力の頂に絶対の自信を持ちつつ、己に比肩する存在に飢えた強者の寂寥感とでも言うべきか。

 いずれにせよ、今のリンに孤独を癒してやれる実力はなかった。

 

『ふうん……』

 

 納得したような、不服かのような……。

 曖昧な感嘆を漏らして以降、アイが口を開く気配はなかった。

 AIに気配というのも何だが、この人工知能は妙に人間味があるのである。

 

 さて、脱線したものの、話題は、この辺りに出没する注意すべき存在についてだ。

 渓流のごとき清らかな声が、リンの求めに応じて言葉を紡いだ。

 

「……この辺りの……と言うより、リンダリアル(この世界)に住まう者について」

 

 ビカムは言う――概ね五つのグループを頭に入れておけば困ることはないと。

 

 

 

 一つに人類種。

 人間族、獣人族、蜥蜴族、鉱人族……多種多様な種族がいて、言語により意思疎通が可能で、それぞれが概ね友好関係を維持している。

 

 

 

 二つに亜人種。

 言語による意思疎通は不可能だが、積極的な敵対関係に陥ることはない。向こうの縄張りを侵さなければ基本的に問題ない。

 人類種が〝仲良くなれる生き物〟ならば、亜人種は〝仲良くなれない生き物〟と表現される。ノームやドライアド、ゴブリンにオークなど。

 極まれに、ケット・シーといった人類種に友好的な種もいる。

 

 

 

 三つに百獣種。

 ただの野の獣とは違う、脅威の力を持った怪物。生存権を巡って人類と敵対することも多い。こちらは亜人種よりも殺伐とした関係だ。

 百獣種にとって他種族は生存競争の相手でしかなく、好悪の感情は介在しない。興味が無ければ無視するし、腹が減っていれば襲って食う。

 人間もまた同じく、害が無ければ放置し、邪魔になれば駆除する、素材が有用であれば狩猟する……。

 ゆえに彼らは〝近づくべきではない生き物〟である。

 

 

 

 四つに精霊種。

 同じリンダリアル世界の、次元を異にする時空において、誕生と消滅を営む非実体生命。〝理解困難な生き物〟。先の二種以上に研究は進んでおらず、生体にも謎が多い。

 

 

 

「……五つ……最後の存在は――遭遇次第、討伐しなければならない」

 

「それは……?」

 

 剣呑な表現にリンは頭の上に疑問符を浮かべ、しかし急に引き締まった表情へと早変わりした。

 ビカムの手に、霊剣フェーレがいつの間にか握られていたからだ。

 同時に、枝を掻き分け雑木林を揺らす音が耳に届いた。

 

 

 

 ――最後の種は〝殺しに来る生き物〟。

 喰らうために、生きるために殺すのではない――殺すために殺す。そうあれかし、と創られた(・・・・)悪の生命体。

 人々は彼らを総称し、こう呼んだ。

 

「――魔獣種」

 

 

 

   ***

 

 

 

 ビカムとリンの前に、狼に似た巨体が現れた。

 艶のない黒い体毛に覆われ、地を掴む鉤爪は一つ一つが軍用ナイフと遜色ない大きさをほこっている。

 紅い瞳孔がこちらを見据え、言葉にならない敵意が剥き出しになっていた。

 

 黒狼……最も多く見られる魔獣の一匹である。

 

 いかなる理由か、黒狼は手負いであった。片目は潰れ、全身に裂傷を負っており、鮮やかな色の血がどくどくと流れ出ている。

 黒狼は息荒く唸り声を上げているが、それは苦痛によってではなく人間に対する憎悪から来るものなのだと、理屈抜きにリンは悟ってしまった。

 チキュウ世界でも様々な相手と戦ってきたが、この魔獣という生き物、いかなる存在とも根本を異にする。

 本能を刺激するような緊張感が、額から顎に汗を伝わせ、地面に染みを落とした。

 

 それでも、

 

「ビカム、ここは私にやらせて」

 

 高周波ブレードを抜き放ち様、リンは前に出て宣言した。

 武人としての覚悟を充溢(じゅういつ)させた、凛と乙女の立ち姿である。

 自分も戦えることを実力で示す――砕けて言えば、ここらで一つ良い格好を見せたい――強靭なる意志が背に宿っていた。

 

「……(え……? 大丈夫かな……? 私が戦うつもりだったが……)」

 

 お手並み拝見――そんなところだろう。ビカムは霊剣を携えたまま動かない。

 本来、学び舎で学問に勤しんでいるべき年頃の少女が、かような覚悟を抱いた様子に、さしものビカムであろうと場を譲らざるをえなかったか。

 彼が困惑し立ち尽くしていたと見る者は二流三流である。

 

 獰猛な雄叫びを引き連れて突進してくる黒狼にリンはまだ一歩も動かない。

 数百キロは下らない体重が真正面から突っ込んでくる恐怖は筆舌に尽くしがたいはず。それを逃げずに待ち構える、リンの胆力が窺えた。

 

「シッ――」

 

 少女の体が前のめりに倒れたかと思うと、重力の向きが変わったかのような爆発的な加速で体が撃ち出された。

 黒狼すらも捉えきれない速度。すれ違いざま振り抜いたブレードが、空中に血の線を引く。

 すかさず黒き魔獣は反転しリンを追おうとするが、地面を濡らす何かに脚を滑らせ転倒した。

 大地に染み込む紅い液体は、黒狼の首元を水源としていた――ブレードの一閃は魔獣の肉と骨を裂き、首の半分ほどを断ち切っていたのだ。

 

 黒狼は立ち上がるも、ふらふらと体に力が入らず(くずお)れた。

 そして打ち上げられた魚のようにもがくも……再び立ち上がることはなかった。

 途端、黒狼の亡骸は端からボロボロと崩れていき、流れ出た血すら黒い粒子と化し、風に吹かれ完全に消滅した。

 

「どう? 私もなかなかやるもんでしょ」

 

 体重差のある相手と真っ向から競うマネはせず、相手の潰れた視界側から攻めるという堂々と虚を突く思考。弱点を捉えて正確に切り捨てる技の冴え。それらを怯まず実行する心の強さ。

 サムライ! 魔獣だろうと刀の錆にしてしまうチキュウの戦士だ。

 

 ――しかし、ビカムは褒め称えるどころか一瞥もくれず、黒狼がやってきた方角へと走り出した。

 

「えっ、ちょ、ちょっと!」

 

 リンはビカムの急変に困惑しながら後を追った。

 そして彼女の聴覚が捉えたのは、

 

(――剣戟の音……! 誰かが戦ってる!)

 

 リンは残心を忘れた自分を恥じた。あの魔獣が手負いであることに注意していれば容易に想像できたはずなのに……と。

 

 視界に飛び込んできたのは、立ち往生する一台の荷馬車と、それを取り囲む黒狼の群、武器を手に立ち向かう四人の男女である。

 御者台の上では一人の老婆が馬に入れるための鞭を握りしめて、分かるはずもなかろう黒狼に罵声を浴びせていた。

 

「こなくそォ、薄汚い魔獣めが! アンタらに構ってやる時間はないんだよ! 失せな! ああ、早く追い払っておくれ! 何のために護衛を雇ったと思ってんだい!」

 

 そうは言うものの、黒狼と戦う四人の表情は苦しそうだ。傷を負ってこそいないが、いかんせん数が多い。このままではいずれ押し切られて敗北するのは目に見えていた。

 

「――助太刀します!」

 

 言うや否や、リンは手近な黒狼に斬りかかった。突然の奇襲に一体が為すすべなく倒れ伏す。

 同時にビカムは――

 風を纏い、ふわりと、重さを感じさせぬ優雅な跳躍。

 疲労に息を荒げる四人と黒狼の間に舞い降りた。

 

「だ、誰……⁉」全身に細かい傷をつけた少女が叫ぶ。「い、いえ、誰でもいい! 手を貸して頂戴!」

 

「……承った」

 

 救援の要請に、ビカムはフェーレを己が眼前に構えることで応えた。

 下から上へ、黄金の剣身に指を這わせる。すると、たちまち剣は鋭い風の渦を帯びた。

 それを黒狼の群へ薙ぎ払うように振り抜く。

 不可視の暴風が彼らを襲い、手近な個体を吹き飛ばしていく。獣の爪と牙を大きく遠ざけた。

 

「……今のうちに態勢を整えるといい」

 

「感謝する……ッ! 【主の光、淡く遍く】」

 

 男の一人が早口で詠唱する。淡い光が仲間たちの体を覆い、傷を癒していく。治癒の奇蹟だ。彼は僧侶であろう。

 

「【火は来ませり、虚空より響きあらん】!」

 

 今度は少女が呪文を唱える。手にした杖を黒狼に向けた。先端から炎が迸り、避け損ねた数匹を包んで焼き尽くしていく。

 黒狼側の陣形が崩れた。

 その隙を逃さず、男性と女性の剣士が斬り込んだ。これが本来の実力だと言わんばかりに次々と魔獣に鋭い剣撃を浴びせていく。

 

 ビカムは主力を彼らに任せ、自身は遊撃として気を逸らした個体を美しく仕留めていく。

 

「やあああ――ッ‼」

 

 この戦い、最も働きが大きいのはリンであろう。勇ましく雄叫びを上げながら果敢にブレードを振るっている。

 後ろから彼女が攻撃することで、黒狼は前後に挟まれ、全力の攻めに転じられないでいた。リンダリアル人のように魔力を用いた身体強化こそできないが、強化外骨格の出力は優るとも劣らない力を発揮している。高周波ブレードも鉱人族の打った業物と遜色ない切れ味だ。

 

 しかし、明確な形勢不利に陥りながら、ほとんどの黒狼が逃走を選ぶ気配はなかった。

 これこそが百獣種と魔獣種の違いだ。魔獣種は人類への憎悪に衝き動かされているゆえに、死に瀕していようと逃げる選択をしない傾向にある。むしろ、それができる個体こそ意志が強く狡猾で危険だ。ビカムとリンが遭遇したのもそういう一体である。仕留められたのは僥倖と言えよう。

 

 やはりというか予想の通り、最後の一体になるまで抗った黒狼はビカムに首を刎ねられ、ようやく森に静けさが取り戻された。

 

 

 

 

 

「いんやぁ助かったよ。地獄で女神様に会ったような気分さ。しかも助けてくれたのがこんなに美しいエルフときたもんだ。アタシにもツキが向いてきたかもねえ」

 

 戦闘後、御者台で大立ち回りを演じていた老婆はしみじみとした口調で言った。

 

「アタシはテスカ・ヨーロン。王都近くの村の外れで代々罠猟をやっとる家のもんだ」

 

 老婆はテスカと名乗った。

 顔は日に焼けてシワくちゃであるが、笑うと愛嬌のある面立ちである。若い頃は太陽のような笑顔で男を引き付けてやまなかっただろうと思わせた。

 

「……んで、こっちの役立たずどもが、途中の町で雇った護衛の冒険者さ。払っ-+

た金の分も仕事のできない穀潰しじゃて」

 

「おいおい婆さん、そりゃないぜ! あの数の魔獣を蹴散らしてえんならもっと数を揃えるか、俺たちより遥かに腕利きの冒険者を雇うんだな」

 

「黙らっしゃい! テメエの実力を棚に上げて、なんて物言いだい」

 

 一喝するテスカに冒険者四人はげんなりした表情を隠さない。この道中の間に似たような光景が繰り広げられていたのだろうか。

 

 冒険者四人もビカムとリンに礼を言い、それぞれ名乗った。

 剣士のビラート、同じく剣士のマルティナ、魔法使いのニチカに、僧侶のモルデン。彼ら四人で徒党を組んで冒険者活動を行っているという。

 ビラートは軽妙だが爽やかな雰囲気の青年、マルティナは快活な女性といった印象。

 ニチカは彼らより年若く、だが奥まで見通すような老練な空気を纏っていた。

 最年長のモルデンは逞しい巨躯に似合わぬ落ち着いた柔和な性格をしている。

 先の戦いぶりを見る限り、モルデンが徒党の中心となって指示を出し、ビラートとマルティナが前衛を担当、ニチカの魔法とモルデンの回復で支援する……そんなバランスの取れた構成である。

 

「そっちの兄さんはエルフだな。俺も見るのが初めてってわけじゃないが、同性ながら惚れ惚れするような顔だ」

 

「……ビラート、失礼な物言いはやめてくださいよ。私たちの恩人です」

 

「わーかってるって、モルデン。んで、そっちの嬢ちゃんは……あんま見たことねえ格好だな?」

 

 ビラートはモルデンに諫められたばかりだというのに、乙女たるリンを上から下までじろじろと眺める。

 しかしリンは、己に向けられた視線よりも、不安げな表情でビカムのコートを摘まんで引っ張った。

 

「ビカム、あの人が何を言ってるのか私分からない……」

 

 リンの困惑はもっともである。異なる世界で生じた言語体系が同じなわけがない。

 

「……これを着けるといい」

 

 そう言ってビカムが差し出したのはイヤリングの形をした魔道具だ。

 言われるがままおずおずと身に着ける。リンとしては母の入院費を貯めるために努めて無駄遣いの類は遠ざけていたのだが、やはりそこは年頃の乙女、赤らむ頬を完全に隠すことができなかった。

 

 同時に気づく――アキツ・シティにいる間、当たり前のようにビカムがチキュウの言語を操っていたことに。彼の耳は何の装具も着けていなかったのだ。

 このエルフの底知れなさに、リンはごくりと喉を鳴らした。

 

「……っと、これでいいのかな」

 

「おおっ! 急に話が分かるようになった」

 

 冒険者たちが目を丸くして驚いている。その驚きをリンもまた理解することができた。どうやらこのイヤリング、聞くだけでなく喋る言葉も自動で翻訳してくれるようだ。

 

「えっと、私はリンです。チキュウから来た――」

 

「チキュウ……!」

 

 ビラートは劇的な反応を見せた。

 それまで好意的だった様子が一変、わずかにだが半身を引くような、警戒心を露わにした佇まいになる。

 マルティナとニチカも同じ様相であった。無意識であろうが、携えた得物をいつでも抜き放てる体勢を作り出していた。

 

「――やめましょう」

 

 緊張を解きほぐすように、平坦な声が響き渡る。

 声の主は、僧侶モルデンだ。

 

「彼女は悪い人には見えません。何より危険を顧みず我々を助けてくれたではないですか」

 

「……まあ、モルデンがそう言うならよ」

 

 ビラートは居心地悪そうに居住まいを正した。

 

「すまねえがな、嬢ちゃん。俺らもチキュウの奴らにゃ色々と思うところがあるんだわ。たとえアンタが悪い奴じゃねえとしてもな。だから仲良しこよしってのは期待しないでくれ」

 

「いえ……お気になさらず」

 

 ……とは言ったものの、リン自身、彼らの悪感情の由来が気にならないではなかった。

 ただし、大方の予想はつく――リンダリアル人の〝鬼蜘蛛〟のジャガンがチキュウ世界で殺し屋のような活動をしていたように、チキュウ人もリンダリアル世界で非合法な活動を行っているのだろう。

 自分は異世界リンダリアルに来たのだと、リンは真の意味で実感した気がした。

 

「……王都近くの村、と言ったな」

 

 ビカムが口を開く。

 ただそれだけでテスカと冒険者たちは並々ならぬ関心を彼に向けた。

 

「……我々も護衛に加わる代わり、村に着くまで、リン……彼女を荷馬車に乗せてほしい(たくさん人がいるのは緊張するが、リン殿の体調には代えられない)」

 

「ビカム! 私は……」

 

 ビカムは首を左右に振る。金色の髪が優雅に波打つ。

 

「……無理をする必要はない」

 

「そうさね、そうさね!」テスカが満面の笑みで首肯した。「アンタも嬢ちゃんも腕っぷしが立つのはさっき見させてもらったからねぇ。こちらも渡りに船ってやつだ。人っ子一人、なんてことないよ」

 

「え~、んだよ婆さん。俺らは頑なに乗っけてくれなかったくせによぉ。チキュウ人は特別扱いってか?」

 

「ビラート!」

 

 不満を口にしたビラートに、マルティナが声を荒げて窘める。

 気まずさを顔に浮かべるリン。

 

 ――その前を横切り、ビカムがビラートの眼前に立った!

 

「……何だよ」

 

 咎めるような碧眼に見据えられ、若き冒険者の剣士は思わずたじろいだ。

 ビカムはビラートと、そしてマルティナたち三人を見やり、最後に荷馬車を一瞥してから言った。

 

「(あれぐらいの魔獣は余裕だから)……護衛は私一人でも構わないが?(貴方たちも疲れているなら荷馬車か馬に乗って休ませてもらうといい)」

 

「……ッ‼」

 

 傷がつく音がした。彼ら四人の、冒険者としての矜持に。

 

 ビカムはこう言ったのだ――お前たち程度の強さなど居ても居なくても同じことだ。荷馬車に揺られてくつろいでいろ……と。

 荒事を生業とする冒険者にとってこれ以上ない侮辱である。リンに対する意地の悪さへの完璧な意趣返しといえた。

 思慮深いモルデンに、自分たちの態度に引け目を感じていたマルティナだけでなく、あまり感情を露わにしていないニチカも悔しさに口を(つぐ)んだ。

 

 だがビラートは違う。彼は皮肉を受けて黙っていられるような性格をしていなかった。

 

「テメ――」

 

 一歩踏み出そうとした瞬間――いつの間にかビカムの右腕がビラートの左肩を掴み、容易く押し留めていた。

 動作の起こりを瞬時に捉え、相手が本格的に動く前に機先を制する。

 腕一本、目にも留まらぬ速さで。

 たったこれだけの行為で、力と技の埋め様のない差をビラートに分からせてしまった。

 

「……(肩に消えていない黒狼の毛が……。この魔獣の毛は抜けて時間が経つとボロボロに崩れて衣服を汚すからな。さりげなく……)」

 

 出鼻をくじかれたビラートが息を呑んだまま引き下がると、ビカムは荒々しくも思える勢いで手を払ってから背を翻し、テスカと話し込むリンのもとへ歩いていった。

 

「……」

 

 その後ろ姿をニチカの視線がずっと追い続けていた。

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