○○と出会ったきっかけは、ほんの気まぐれだった。
あたしの縄張りの中、魔女の口付けに操られて縄で首括って死のうとしていたあいつを見て、最初は無視してやろうと思ってたさ。
でも、あいつの手から落ちたビニール袋には、あたしが買いたかった限定のお菓子が入ってたんだ。
「命拾いしたんだ、そのくらい安いもんだろ?」
魔女をぶっ倒した後、意識が戻って困惑している○○に、あたしは適当に恩を着せてやった。魔女のことなんて一般人に分かるわけないし、説明するだけ無駄だ。
予想通り、あいつは涙目になりながら感謝してきやがった。
「ありがとう」──その声を聞いた時、あたしの頭の奥の引き出しがガタッと鳴ったような気がしたけど、その時は気のせいだってことにしておいた。
それが気のせいじゃなかったと気づくのは、もう少し後のことだ。
あたしを命の恩人だと信じ込んでるお人よしの○○は、要求したお菓子を嬉々として差し出してきた。
そこからさ。あたしと○○の、奇妙な付き合いが始まったのは。
「へぇ、あんたもここ来るんだ」
次に○○と出会ったのは、あたしの行きつけのゲームセンター。
日が落ちきった外の暗さと、ネオンがうるさい店内の明かりでもあいつの顔だけは鮮明に見えたのを今でも覚えている。
筐体の駆動音に紛れてたあいつの声は、あたしと再開して嬉しそうにしていたのが分かった。
○○が遊ぼうとしていたのは、あたしがいつも遊んでるダンスゲーム。丁度あたしもそれで遊びたい気分だったから
「勝負してみるかい?」
と誘ったら、○○は意気揚々として乗ってくれた。
始めにあいつが筐体に100円を入れ、その後あたしがまた100円を入れる。
勝負は当然、あたしの圧勝だ。
女に負けた屈辱と、圧倒的な体力の差。魔法少女の身体能力を知らないとはいえ、床に手をついて息を切らすあいつの情けない顔は傑作だった。
「男なのにもう息が上がってんの? 情けないねぇ」
追い打ちをかけるように笑ってやりながら、あたしはその隙に晩飯のラーメンを奢らせた。一人で食う時より、やけに出汁の味が濃く感じたのを覚えてる。
月が薄らと見える夜。見覚えのある道を歩いていると、ガードレールに寄りかかってぼーっとしている○○を見つけた。
また魔女の結界に当てられたかと思ったが、あいつはあたしを見るなり笑って、控えめに手を振ってきた。正気だと分かってホッとしている自分に舌打ちしながら、あたしも近寄っていく。
「数年前、ここで教えを説いていた神父さんの言葉に救われたことがある」
ふいに○○の口から出たその言葉に、あたしは息を呑んだ。
親父がここで、誰も耳を貸さない教義を必死に叫んでいた、あの嫌な記憶。
──いや、たった一人だけ、真剣な顔して聞いていた男がいた。
記憶の中のその顔と、目の前の男の顔が重なった瞬間、とっくに壊れちまったはずのあたしの心臓が、ひどく嫌な音を立てて跳ねた。
あの日から、あたしと○○の距離感はぐっと縮まった。
ある日は一緒にゲームを。
ある日は一緒に新発売のお菓子を食い比べる。
ああ、そういえばその日に初めて○○の家に行ったっけ。
レンガの壁紙でおしゃれさを演出してる、外っ面だけの安アパートと○○は自嘲してたけれど、帰る家も家族もいないあたしにとっては少し羨ましく感じた。
○○が鍵を開け、玄関の扉を開けると先に入るよう誘導する。
「じゃまするぞー」
ブーツを乱暴に脱ぎ捨ててリビングに陣取るあたしに、○○は怒るどころかリンゴジュースとお菓子を用意してくる。
「早く食うぞ!」と、あたしが袋に手を伸ばそうとした時だった。
○○の携帯が震えた。
電話に出たあいつの声のトーンが、少し上がったのを聞き逃さなかった。あたしと話している時よりも、ずっと甘くて楽しそうな声。
魔力で聴覚を強化して盗み聞きすると──相手の声は、女だった。
その瞬間、胸の奥でどす黒い泥が沸騰した。
胸元のソウルジェムが、淀んだ色に濁っていくのが分かる。嫉妬だ。こんなに誰かを独占したくなるほど、あたしはこいつに依存してたのか。
口に放り込んだ新発売のチョコは、砂でも噛んでいるように味がしなかった。
──邪魔だよ、あんた。
あたしの○○に手を出すんじゃねぇ。
……次、○○に関わったら殺すからな。
分かったか?
ひどく曇った天気、周りに人がいるにも関わらず○○はあたしに泣きついてきた。「彼女から急にフラれた」、と。
あたしは○○の背中を撫で回し、よしよしと宥める。
これでいいんだよ、○○。
そうやってあんたはあたしの腕の中で守られてればいいんだ。
だから他の女なんかじゃなく、あたしを選べ。
思わず口角が上がっていたが、○○からは見えないことをいいことにそのままにしておいた。
──は? なんであいつ、あの女とヨリを戻してるんだよ……?
……許さない。
許さない。
あのクソ女、殺す。
あれから数日後、○○の元彼女は四肢がもがれ、見るも無惨な死体として見つかったというニュースが流れる。
まっ、当然だよね。
あたしの約束、破ったんだから。
槍で両手両足を丁寧に刺して、使い魔の群れに向かって餌をやるように突き出したあの女を見るのは最高だったよ。
あいつが何が起こっているのか分からず、あたしに向かって精一杯の命乞いをしてきたけどそんなの知ったこっちゃないさ。
むしろ、原型を留めて死ねるんだから感謝してほしいね。
ま、なんにせよ、これで○○はあたしのもんだ。
……あ? どうした○○?
──もう、関わらないでほしい……?
「……は?」
あたしがやったと気づいたのか、それともただ恐怖を感じたのか。
そんなことはどうでもよかった。その拒絶の言葉を聞いた瞬間、あたしの体は勝手に動いていた。
魔法少女に変身して、○○を押し倒して顔面を殴る。
一発殴るごとに、○○の顔の骨が折れる音がした。
普通の人間なんて、魔法少女のあたしにとっては枝を折るより簡単に壊せる、そんなことは分かっていたのに。
親父みたいに、お前もあたしを置いていくのか。ふざけるな、ふざけるな!
また殴る、殴る、殴る……
我に返った時、○○の顔面は元の顔が分からなくなるほど陥没していた。
「ああっ……ああああああああ!!」
冷たくなっていく○○の体、動かない脈。
あたしは必死になって○○を魔法で治す。
「ごめんっ……! あたしが悪かったからっ……!」
砕けた骨を無理やり繋ぎ、破れた皮膚を塞いでいく。でも、傷跡が綺麗になっても、呼吸が戻ることはなかった。
「あたしを、一人にしないでくれよ……」
血塗れの死体を抱きしめて泣き叫んでも、何も変わらなかった。
「よっ、○○」
ホテルの一室、ベッドに横たわっている○○に話しかける。
「今日はさ、またあのチョコ菓子を買ってきたんだよ」
返事はない。
「ほら、口に運んでやるからな?」
袋を丁寧に開け、菓子を摘んで取り出して○○の口へ運ぶ。
「あーん」
○○は拒絶するかのように全く口を開けない。
「ははっ……今日も食べないのかよ? これで1週間も食ってねーじゃん」
○○はもう喋らない。
「なあ……たまには話そうよ」
○○はもう笑わない。
「ダンスゲームも、まだあたしに勝ってないだろ……?」
○○はもう泣かない。
「あんたの彼女殺したこと、謝るからさ……」
○○はもう怒らない。
「だからさ……」
あたしはソウルジェムから魔力を絞り出し、○○の体に流し込み続ける。こうして魔力で時間を止めておかなきゃ、こいつはすぐに腐っちまうから。
「ひとりぼっちにしないでくれよ……」
胸元のソウルジェムは、もう真っ黒に濁りきっている。
グリーフシードなんて使わない。このまま穢れきって、あたしが魔女になれば。
結界の中で、今度こそ、ずっと一緒にいられるから。
自棄。