『今日のお昼頃に私の家でお茶会をしないかしら? 鹿目さんや美樹さんも来るわよ』
マミからそんな連絡が届いたのは、午前9時頃のことだった。
いつものメンバーで集まり、美味しいお菓子と紅茶を囲む、変わらない日常。
そう、○○は信じて疑わなかった。
見滝原の閑静なマンションの一室。インターホンを鳴らすと、玄関の向こうから軽快な足音が響いてくる。客人が来たことを心から喜んでいるような、少し弾んだ足取り。
「はーい」
ガチャリと鍵がひらき、少し控えめに扉を開けたマミが姿を現した。
○○の顔を見た瞬間、彼女はまるでいたいけな少女のような潤んだ目で見つめ、嬉しそうに微笑む。
「さあ入って。もう準備はできているの」
お邪魔します、と声をかけてから玄関へ一歩を踏み出し、丁寧に靴を揃えてリビングへ向かう。
丁寧に靴を揃えてリビングへ向かう○○の背後で、マミはこれから起こる未来への期待を膨らませるように、恍惚とした吐息を漏らしていた。
ガチャリ、と背後で静かに鍵をかけられる。
○○はその音に気づかず、一人暮らしにはあまりにも広すぎるマミの部屋に圧倒されつつも、リビングの緑のカーペットの上へと腰を下ろした。
けれど、ふと周囲を見渡した瞬間、奇妙な違和感が胸を突く。
まどかも、さやかも、まだここにはいなかった。
「……あら、どうやら鹿目さんと美樹さんは遅れてくるみたいね」
その違和感を敏感に察したのだろう。玄関から戻ってきたマミが、手元の携帯画面を見つめながら柔らかく説明を付け足した。
しかし、その言葉に引っかかりを覚えた○○は、マミの手元を凝視する。
──画面の光が、ない。
真っ暗な画面を見つめたまま、マミはさもメールを読んでいるかのように平然と言い放ったのだ。
それが何を意味するのか、○○にはまだ分からなかった。ただ、この状況が言いようもなく異常であることだけが、直感的に伝わってきた。
マミは携帯をポケットにしまい、優雅に言葉を紡ぐ。
「紅茶が冷めてしまうし、先に二人で始めてしまいましょうか」
こうして、逃げられないマミのお茶会が、静かに幕を開けた。
紅茶を淹れる音が台所から鼓膜を静かに響かせる。
同時に、この部屋の違和感を融かすかのように、瑞々しいベルガモットの華やかな香りが立ち上がった。
マミがいつも淹れてくれる、この紅茶。
けれど、いつもと決定的に違うのはこの部屋の澱んだ重々しい空気。
マミはそんな緊迫感など存在しないかのように、上品な手つきでカップの乗ったソーサーと、瑞々しいショートケーキの皿を○○の前に並べる。
「さあ、召し上がれ」
マミは○○の真向かいに座り、彼が口にするのを今か今かとじっと見つめていた。
「いただきます」
少し身を屈め、温かい紅茶を口に含む。ほのかな苦味とフローラルな甘味が、鼻を突き抜けた。
そこにショートケーキをフォークで一口大に切り分けて食べる。
苦味と甘味が調和し、病みつきになりそうな食べ合わせ。
頬を綻ばせる○○。マミは目を細めて慈母のように微笑む。
「美味しそうで何よりだわ」
ふふ、と上品に口元を手で隠す。
そんな甘美な余韻に浸る○○を余所に、マミは唐突に、静かなトーンで話題を切り出した。
「……ところで、○○さんに大事なお話があるの」
互いの表情が固くなり、空気の流れが澱む。
フォークを皿に置き、背筋を伸ばして彼女の言葉を待った。
マミはどこか不安げに、両手をきつく握りしめて胸元に当てながら、とんでもない提案を口にした。
「私と一緒に、ここで暮らす気はないかしら?」
部屋の中の音の分子が、一瞬で凍りついたかのような錯覚がした。
告白、あるいはそれ以上の意味を持つ言葉に、○○は所在なさげに指を動かし、頬を赤らめる。
「どう……かしら?」
あまりにも突然すぎる、そして常軌を逸した提案に困惑しつつも、○○は手を膝に置いて、冷静に言葉を返した。
──ごめんなさい、それはできない。
「そう……」
当然の拒絶だった。数年前に両親を亡くして天涯孤独の身である彼女とは違い、○○には家族がいて、家で帰りを待つ人がいる。何よりお互いはまだ未成年だ。仮に頷いたとしても、社会がそれを許すはずがなかった。
○○がそうやって懸命に理由を思考した、その瞬間。
マミを中心にして、空間そのものがぐにゃりと歪むような強烈な悪寒に襲われた。俯いた彼女の顔は見えない。けれど、彼女の全身から、底知れない悲しみと絶望、そしてどす黒い何かが溢れ出しているのがはっきりと分かった。
数十秒もの間、息の詰まるような沈黙が流れる。
壁の秒針の音と、自身の激しい心拍音だけがシンクロして鼓膜を叩く。マミの想いを無碍にしてしまった申し訳なさと罪悪感で胸が潰れそうになった、その時だった。
ゆっくりと持ち上げられたマミの顔。その瞳は、瞳孔の全面積を使って、狂気的に○○だけを映し出していた。
「──やっぱり鹿目さんと美樹さんの方が良いんでしょう!?」
張り詰めた沈黙が、金切り声のような大音量で破られた。思わず身体が硬直する。何のことだと理解するよりも早く、マミの口から怨嗟の言葉が溢れ出す。
「私、見てしまったの。○○さんが、あの二人と一緒に、私には絶対に一度も見せないような笑顔で買い物をしているところを……!」
その声色には、これまで完璧な『頼れる先輩』の裏側に隠し続けてきた、おぞましい嫉妬の感情が乗せられていた。
「本当は、後輩たちが仲良くしているのを喜ぶべきよ。分かってる、そんなこと分かってるわ! でも、心のどこかでどうしても思っちゃうの。『○○さんの隣は、私だけのものなのに』って……!」
彼女の剥き出しの視線が、刃物のように○○の顔に突き刺さる。
「ずうっと、ずうっと一人きりで、暗闇の中で命を削って戦い続けてきた私にとって……○○さんは、やっと手に入れた希望そのものなのよ!?」
「だから……っ!」
叫び声を聞きながら、突然、○○の視界が急激にぼやけ始めた。
凄まじい目眩。平衡感覚が完全に失われ、世界がぐらりと傾く。
(……あ、の、紅茶……?)
いつもよりほんの少し強かった、あの不自然な苦味の正体に気づいた時には、もう遅かった。
力が抜け、机に倒れ込みそうになった○○の身体を、無数に伸びてきた魔法のリボンが優しく包み込み、宙で受け止める。
「ふふっ。やっと薬が効いてきたみたいね」
急速に遠のいていく意識の向こうで、マミの表情が歪んでいく。それはまるで、ずっと欲しくてたまらなかった新しいお人形を手に入れた子供のような、純粋で、圧倒的な狂気に満ちた笑みだった。
「こうでもしないと、○○さんはまた私の手を振り払って、他の女の子のところへ行ってしまうでしょう?」
上半身を縛り上げるリボンの締め付けが、彼女の歪んだ愛の深さに比例するように、じわじわと強くなっていく。
「ああ、ごめんなさい。お話が途中だったわね」
マミは優しくリボンを操り、完全に融解していく○○の身体をそっと抱き寄せた。
「だから……もう絶対に、失いたくないの」
そこで、意識はぷつんと途絶えた。
意識を失い、完全に人形と化した○○を、マミは愛おしそうにお姫様抱っこで自身のベッドへと運んでいく。
目を覚まさないように、ゆっくりと。まるで少しでも衝撃を与えれば壊れてしまう、繊細なガラス細工を扱うかのように、ベッドの上へそっと下ろした。
彼女の脳内からは、彼を元の場所に「帰す」という選択肢は、完全に消滅している。
これから始まる、誰にも邪魔されない二人きりの果てしない生活を想像しながら、彼女は頬を染め、うっとりとした表情でその寝顔を見つめた。
「これからはずっと、ずーーーーっと一緒よ……○○?」
部屋の明かりを消した暗闇の中、彼女のソウルジェムの濁りが急速に満ちていく。
けれど、至上の幸福に包まれた彼女の耳には、その破滅へのカウントダウンの音さえも、もう何も届いてはいなかった。
ご招待。
Next Time Preview
彼の前に立ち塞がる少女達は、タッグを組む。
「佐倉さんと話し合ったの、その結果……」
「あたしとマミが、あんたの"お姉ちゃん"になるって決まったんだ」
時には家族として。
「まさかあなたと○○を共有することになるとはね、美樹さやか」
「そのセリフ、あたしが言いたいんだけど!」
時には不本意な形で。
「マミさんのリボンで○○くんをぐるぐる巻きにしちゃえば、3人でずっと一緒にいられますよね?」
「もしもの時、鹿目さんがキュゥべぇにお願いして離れられないようにすれば……ふふっ、完璧ね」
それぞれの少女たちの思惑が交差する。
次章『夢の魔法少女タッグ編』
不定期更新。