胡の地より   作:遼心

100 / 100
張朔は久方ぶりに、大地を馬で駈けた。長らく船の上で生活していた張朔にとって、大地は人本来の安息を感じるものだった。その張朔に、並んで駆ける一騎が現れた。


第九十九話 

 原野を馬で駆けるのは、いつ以来だろう。永い間、船の上にいた。船の揺れも心地よいが、やはり大地を踏みしめる安心感は、人としての本能がそう感じさせるのだろう。

 張朔(ちょうさく)は無心で馬を責め、風を切った。馬もそれで喜んでいることがよく分かる。

 張朔は目をつむった。頬を打つ風、草の匂い、馬の鼓動すべてが新鮮だった。生まれ変わったかのような気にさえなってくる。

 梁山泊水軍の総帥として、各地を転戦した。もちろんそうしたくて、したわけではない。父、張清は梁山泊の将軍として、童貫戦で戦死した。張朔は母、瓊英(けいえい)に付いて、日本との交易の仕事がしたかった。

 しかし、水戦と交易は表裏一体。交易を妨害する南宋水軍との戦闘は避けられなかった。気づけば水軍の総帥として、艦船を率いていた。

 船と海、水軍の全てを張朔に教えてくれたのは、李俊だった。李俊は梁山泊水軍の創成期を支え、水戦と交易のあらゆることに精通していた。梁山泊入山前は、海を使って闇の塩を捌くこともしていたらしい。

 李俊と母は、日本との交易で協力し合い、十三湊(とさみなと)との昆布の交易路を拓くことに、成功した。その交易は今、張朔が受け継いでいる。

 李俊と母は、惹かれ合っていた。そう、張朔は確信していた。言葉や態度にはあまり見せないが、李俊の張朔に対する態度も、我が子に接するような思いだと感じることもあった。そして張朔も、李俊が父親になることを、切に願っていた。

 しかし、李俊は決して、母と結ばれることを肯んじなかった。その理由が、母が戦友である張清の妻であるという、ただその一点にあることに、張朔は気付いた。張清は戦死したが、李俊の心の中では生き続けていた。李俊がそう思い続ける男だという事も、張朔にはよく理解できた。

 李俊はすべての戦いを終えた後、十三湊に行き隠棲することを望んだ。それは母に会いに行くのだと思い、張朔は嬉しかった。しかし李俊が十三湊に到着するわずか十日前に、母は病で亡くなった。李俊もその後、十三湊の海でおぼれた少年を助けるために海に飛び込み、力の限り泳ぎ、力尽きた。少年は李俊に助けられ、無事だった。

 そんな人の縁もある。張朔はそう思うことにした。いくら過去の不運を嘆いたところで、どうにかなるものでもないのだ。

 張朔は目を開いた。そこには変わらず、新しい世界が広がっている。そしてどこでもない場所へ駆けていきたいと、張朔は思った。

 丘の向こうから一騎、駆け寄ってきた。ひときわ大きな汗血馬。張朔に追いつき、並んで駆けてくる。張朔も負けじと馬を責めた。

 二頭はじゃれ合うように左右入れ替わりながら、ひとしきり草原をかけた。

「万里風にしがみついているだけではないのだな、宣凱(せんがい)」

 張朔は馬を並足に落としながら言った。

「お前は船の乗りすぎで、馬の乗り方を忘れていると思っていたよ、張朔」

 二人は声を上げて笑った。久しぶりに見る宣凱は随分たくましくなった。片足は不自由でも、剣の鍛錬は欠かさなかったのだろう。

「王貴はどうしている?」

「王貴は岳飛の娘と結婚して、楡柳館(ゆりゅうかん)にいる。西域の交易の統括だ」

 宣凱と張朔、王貴の三人は同世代で、青年の頃、顧大嫂(こだいそう)に連れられて西域を旅し、世界の広さと交易を学んだ。

 梁山泊で生まれ育った者は、その将来は自分で選択する。梁山泊に入山するもよし、商人になるもよし、その本人の意思が尊重される。

 しかし武術の鍛錬や書見、社会の仕組みなどはしっかり学ばされる。教育があっての自由だと、梁山泊では考えられていた。

 王貴には、王清という異母兄弟がいるが、王清は笛を好み、放浪の道を選んだ。笛の名手で、行く先々で出会った人の心を癒し、今は十三湊で昆布の交易の差配をしている。李俊の最期を看取り、その死に涙したという。

「王貴も王清も結婚して、同期ではお前だけだな、張朔」

 張朔は苦笑した。これこそ人の縁、と思うしかなかった。結婚することが目的になり、情の持てない女と結ばれるのも嫌だった。

「それより今は、戦のことを考えよう」

 張朔は言った。無理やり話題を変えようとしている自分に気づいて、張朔はまた苦笑した。

「轟交館(ごうこうかん)でもいいのだが、たまには山で野営をしよう。環境が変わればいい考えも浮かぶかもしれん」

「それはいい。山で兎でも獲ってゆっくり話そう」

 宣凱とは、軍議のために会うことになった。日本と中華を往来し、常に海上にいる張朔にはやはり情報が乏しい。金水軍の事はもちろんだが、陸上戦力のことも知っておくべきだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。