胡の地より   作:遼心

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山に入った宣凱と張朔。野営の準備をしていても、宣凱は張朔に嫌味な言葉ばかりかけてしまう。そんな自分に嫌気がさした宣凱は、張朔が薪を拾いに行ったあと、静かに日本刀を抜いた。


第百一話 斬己

 張朔が薪を拾いに山に入った後、宣凱は上半身裸になって、日本刀を抜いた。

 久しぶりに張朔に会ったというのに、嫌みなことばかり言ってしまう。張朔は黙ってそれを受け入れる優しさがあるが、王貴などは、きっと激しく言い返してくるのだろう。

 梁山泊時代の聚義庁では、王貴と一緒に仕事をしていた。些細な意見の食い違いでも、言い争いをしていたことが懐かしい。梁山泊聚義庁の政務は、それこそ無限とも思えるものだった。

 そんな時、優雅に船に乗っている張朔を思い浮かべると、皮肉の一つでも言いたくなったものだった。

 もちろん張朔の任務が、簡単なものではないことはわかっている。ただ何日も聚義庁に詰めて仕事をしていると、嫌みの一つでも言いたくなる気持ちになってしまう。

 そんな自分の心を払拭したいときは、いつも日本刀を抜いた。

 毎日の素振りは欠かしていない。それは剣だったり棒だったりするが、なにかを思考したり熟慮したいときは、決まって日本刀だった。

 今まで、人やけものを斬ったことなどない。

 日本刀を振るときは、刃先が少しでもぶれると、その重さがずしりと肩や腕に返ってくる。刃に集中し振ると、絹を切り裂くような音がして、肩や腕の負担はほとんどないのだ。

 その音を何度も聴いているだけで、自然と心が澄んでいく感覚がある。

 宣凱は左脚を前に日本刀を構え、左脚を踏み込むと同時に斬り上げ、左脚を引くと同時に斬り下げた。

 絹を切り裂く音がした。

 この足の運びは遊撃隊の葉敬に教わったものだが、史進がそれに大切なものを、つけ足してくれた。

 しばらく無心で、日本刀を振り続けた。

 呉用が死んだ日、聚義庁の主だったものは皆、呉用の元を訪れ、別れを惜しんだ。

 しかし、一人だけ訪れなかった者がいた。

 それが、史進だった。

 史進はその日、雨の中練兵所で日本刀を振っていた。

 史進の背中には、竜の刺青が彫られている。元々九つの竜が彫られていたのを、ひとつの竜に彫り直したという。史進が振るう日本刀のひと振りごとに、背中の竜が蠢ういているように見えた。その後ろ姿を見ると、宣凱は声を掛けられなかった。

 雨に打たれている竜が、涙しているかのようにも思えた。筋骨隆々の史進の背中だが、無駄な力みは一切なく、その所作は美しいとさえ感じた。これが、史進なりの呉用との別れなのだ、宣凱はそう思った。

 その時、史進が声をかけてきた。宣凱、お前も刀を振れ、と。

 何を斬っていたのかと、宣凱は思わず声を上げた。

 自分自身、と短く返事が返ってきた。宣凱は意味が解らず、言われた通り刀を振り始めた。雨が邪魔して、なかなか思うように刀が振れない。

 宣凱を一瞥した史進が、宣凱と同じ構えをとった。左脚を前にして、刀を低く構える。

 史進が気息を調えた。左足を一歩踏み出すとともに刀を斬り上げ、出した左足を引くと同時に斬り下げる。

 その瞬間、何かが斬れた。いや、斬られたのか。確かに何かが斬れた。雨が一瞬、止んだようにも見えた。

 そのことが、宣凱の心に、かすかな灯をともした。

 

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