胡の地より   作:遼心

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日本刀を構えた宣凱。その心に去来するもの。過去の自分、重圧、師匠、楊令。それはあらゆるものに姿を変え、宣凱と対峙した。


第百二話 幻王の幻

 自分自身を、斬る。

 宣凱は日本刀を構え、考えた。呉用は梁山泊の行く末を、自分に託していた。

 自分は、頭領の器ではない。

 呉用には、梁山泊の全てを叩き込まれた。梁山泊のあらゆることに対して対処できる自信がある。

 しかし頭領の器量とは、そのようなことではなかった。

 楊令のように武で人を惹きつける魅力も、交易を中心とした経済国家を築く、という発想もなかった。軍と民政の責任者や指揮官の裁量によって行動するという、呉用の方針を踏襲し、頭領という席は空席とし、自分は統括という立場で各方面の調整を行う。

 そのやり方で間違いはなかった。軍は精強を維持し、交易の利は莫大な額に及び、梁山泊は成長を続けた。

 しかし今にして、はっきりと分かったことがある。

 当時の自分のその選択は、単なる怯懦でしかなかった、という事だ。

 梁山泊の志は、精強な軍を率いる事でも、交易で利を得る事でもないはずだった。

 楊令は、確かにその先を見ていたはずだ。それが何か考えることを放棄した結果が、統括という立場を作ったのだ。

 あの呉用でもできなかった。そう思い込んで自分にはできないと決めつけてしまったのだ。指揮官はみな、統括という宣凱の立場を受け入れた。

 しかしそれは梁山泊という、国家の限界を意味するものでもあった。すなわち楊令の考えた国家というものを、考えるものがいなくなったという事だ。

 史進は自分自身を斬る、といった。もしかしたら、史進は呉用という同志の死に、心揺さぶられる自分を斬りたかったのかもしれない。史進ほど、同志の死を多く目の当たりにした人はいない。表には決して見せないが、それらの死が、心が押しつぶされそうになることも、あったのではないか。

 自分はあの時、梁山泊の頭領になると、高らかに言うべきだったのか。おそらくそれで離れていく者もいたはずだ。しかし覚悟を持って頭領という座に飛び込めば、少しでも楊令の思想に近づけたかもしれない。

 それから毎日、宣凱は日本刀を振り続けた。

 かつて金国との講和へ向かう前日も、岳飛との会談に向かうときも、無心で日本刀を振った。刀を振ることで、心に起こるさざ波が収まり、己の底から自信のようなものが沸き上がってきた。すると不思議と、どんな困難に思えることでも、臆することなく行動に移すことができた。

 これが宣凱にとって、自分を斬る、という事だった。

 史進と刀を振ったときは、雨が自分だった。雨が自分を打つ、その煩わしさを自分に置き換える。じっと雨に意識を集中する。すると雨が次第に自分に見えてくる。はっきりそれが感じられた時、日本刀を振る。それで雨の煩わしさはきれいに消えているのだ。

 岳飛と会談した時は「幻」の旗だった。楊令が率いていた黒騎兵が掲げていた「幻」の旗。宣凱は楊令の代理として岳飛に会う決意をした。その旗を前に日本刀を構えた時は、心が圧倒された。旗の重み、黒騎兵の誇り、様々なものが宣凱にのしかかってきた。本当にこの旗を背負えるのか。宣凱はただ、震えた。

 たかが旗、そう思ったとき、宣凱は旗の形をした自分を、斬ることができた。そして岳飛と対面した時も、岳飛の放つ圧倒的な気を、堅実に受け止めることができた。

 しかし、宣凱がどうしても斬れないものがあった。

 楊令の姿をした、何か。

 それはいつも現れるわけではなかった。日本刀を振っていると、それは不意に現れ、じっと宣凱を見つめる。お前は一体何をしている、何処に行こうとしている、そんな風に語りかけてくる。

 その時はいつも、宣凱の意識は全身を駆け巡り、一刻(三十分)ほど構えたまま立ち尽くし、全身汗まみれになって、膝を折る。

 まだ、まだ終わっていない。いつか必ず斬って見せる。そのために今、中華を駆け巡っているのだ。

 宣凱の振る日本刀が、絹を裂く風となって流れた。

 

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