張朔が薪を担ぎ、兎をぶら下げて戻ると、宣凱は上半身裸になって日本刀を振っていた。それはまるで別人のような気を放っていて、張朔は、その気に圧倒された。
「張朔、戻ったか」
気配を感じたのか、宣凱は振り返らずに行った。
「ああ、兎も取れたぞ」
「そうか、今夜はご馳走だな」
宣凱が、振り返って微笑んだ。顧大嫂と四人で西域を旅した時は、獲物が取れるたび飛び跳ねて喜んだものだが、こういう宣凱の反応を見ると、自分たちもずいぶん大人になったのだと思う。
張朔は焚火を起こすと、手早く兎を捌き、肉を棒に刺した。初めは肉を火に近づけ表面を焼き、あとは火から離してじっくり焼く。二刻ほどで焼きあがる。
蛇は皮を剥いでぶつ切りにして、昆布でとった出汁で米と一緒に炊く。
昆布は日本の北の海で採れる交易品で、中華では薬として重宝され、高値で取引されている。特に長江上流地域では謎の病で動けなくなった者に、昆布をかじらせると、たちどころに良くなるという。中華では昆布は薬という認識だが、日本では食品として一般に食べられている。
その昆布を湯で煮ると、出汁というものが出て、それで米を炊いたり、肉や魚を煮ると旨くなる。張朔はその方法を、日本で学んだ。
「昆布の出汁で炊く米とは、贅沢だな」
宣凱が言った。もう汗を拭って上着を着ている。
「昆布など、十三湊(とさみなと)では庶民が当たり前に口にする、何の変哲もない食べ物なのだが」
「それを中華まで運ぶと、莫大な利を生む。楊令殿が水軍の船を交易に使うというのは、とんでもない発想だったが、それが梁山泊を支え続けた」
「さらに日本の金を遥か西域まで運び、大量の銀に変え、中華全土の市場に影響を与えた」
中華では金よりも銀が流通し、金は西域で重宝された。そこに楊令は目をつけ、日本から西域までの長大な交易路を拓いたのだ。梁山泊商隊の通行料として、かなりの額が、金国や耶律大石が建国した西遼に落ちた。
「かつての梁山泊は闇塩を糧道としていたが、それを楊令殿は交易に路線変更し、梁山泊はかつてないほど繁栄し、その民は極めて安い税の生活を謳歌した。それは中華の歴史上類を見ない事だった」
「宣凱、お前はその梁山泊をあえて、消滅させた。後悔はしていないのか?」
宣凱はしばらく黙り、焚火の火を見つめていた。
「それを後悔しないために、今歯を食いしばっているつもりだ」
「金が南宋を併呑すると、その想いも雲散霧消するのだな」
「ああ、海陵王が南宋を支配すれば、その民の生産力を全て吸い取るだろう。暗黒の歴史が始まる」
「領土を持たない梁山泊と、平定間もない南宋が連合したとして、勝算はあるのか?」
宣凱は、今の状況を張朔に細かく伝えた。 張朔の表情が険しくなっていく。
「あの秦容殿がいともたやすく敗れたのか」
「耶律慎思やと阿列の親子、想像以上の武人のようだ。特に、慎思はかつての童貫とも肩を並べるのではないかと思っている」
「まさか」
「いや、あり得るぞ。秦容殿と部下五百を容易たやすく葬ることができたにもかかわらず、一人も殺していない。慎思には底知れぬ何かを感じる」
焚火が弾ける音がした。張朔は慎重に薪を足した。なるべく燠で加熱するのが、肉をうまく焼くこつだ。
「金軍の進路は?」
「阿列率いる禁軍五万と、慎思率いる契丹兵十万が南下、一月ほどで淮河以北を制圧するだろう。その頃水軍が揚州を制圧、渡渉拠点とし長江を渡る計画だろう。金軍はその攻撃目標を隠してもいない」
「それで、南宋の迎撃態勢は?」
「今上の趙構は暗愚だ。未だ強固な迎撃態勢はとっていない。まだ講和の余地があると考えている様だ。敵対行動は極力控えるように幕僚には通達している」
「講和とは、命懸けで戦をした後に考えるものだ。趙構は兀朮(ウジュ)に追い回されたときの記憶が蘇っているのだろうよ」
「ただ南宋軍総帥の岳霖殿は、地方軍にも苛烈な調練を課してきた。ただ時が足りなかった。岳家軍を除けば戦に動員できる地方軍は十万程度だろう。海陵王は戦を急ぎすぎたとみる者もあるが、この時期に戦を仕掛けたことは、実に理にかなっている」
「岳家軍の兵力は?」
「騎馬三万といったところか。これでも多く見ている。岳霖殿とは書簡を通じてこちらとの共闘の意思を伝えている。無論、快諾を得た」
「呼延凌将軍と、秦容将軍の様子は?」
「秦容将軍はしばらく沈黙していたが、今は胡土児(コトジ)と苛烈な調練の日々を送っている。既に何名か死者も出ているそうだ。呼延凌将軍も騎馬隊を毎日責めている」
「胡土児。あの楊令殿の遺児か。宣凱、お前はどう見る?」
「一代の麒麟児。しかし未だ蕾」
「おい宣凱、まさかお前、胡土児を梁山泊の頭領に育て上げるつもりではないだろうな」
宣凱は、焚火の火に目をやりながら微笑んだ。