胡の地より   作:遼心

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海東青鶻旗、それは女真の苦しみを体現した旗だ。契丹族である阿列はその旗を掲げることに違和感を覚えたが、阿列の思いは一つ、海陵王に忠を尽くし南宋に攻め入ることだった。


第百七話 青鶻旗と忠

 海東青鶻旗(かいとうせいこつき)。青空にはためくその旗を見つめて、阿列は複雑な気持ちになった。

 海東青鶻旗は金軍総帥の旗印だ。

 女真族が契丹族の国、遼に支配されていたころ、貴族が娯楽の狩で使う海東青鶻(隼)を、税として納めていたという。

 海東青鶻は独自には巣を作らず、岩棚に生息する。その捕獲にはかなりの危険が伴い、女真の男たちは多くの犠牲を払った。

 一定数の海東青鶻が納められなければ、その代わりに、若い女か、奴僕を納めなければならなかった。

 女真族が独立し金国を建国した時、その苦しみと屈辱を忘れないために、海東青鶻を旗印としたのだ。つまり女真族にとって海東青鶻旗は、戦いそのものを意味していた。

 その旗を、契丹族の自分が掲げている。

 阿列にとって、国と民族の関係を、さほど大きな問題として捉えてこなかった。生まれ落ちた地で、懸命に生きて務めを果たす。それがたまたま遼という国であり、父 慎思の元で軍を率いて治安を守る。ただその任に邁進してきた。

 もちろん軍人としての鍛錬は、並大抵の苦しみではなかったが、その任に誇りを持てと父に教えられ、その通りだとも思った。

 自分の何が買われたのかは分からないが、海陵王に禁軍総帥に抜擢された。それは軍人として誉れ高いものではあったが、同時に不穏なものも感じた。契丹族の総帥など、今までの金国のやり方から考えると、およそあり得ない事だったからだ。

 父はその思惑を、即座に見抜いたようだった。海陵王の行動に決して目を離さぬよう、念を押された。

 父は、海陵王は我ら親子の利用価値がなくなれば、即座に処断するだろうといった。阿列はその父の言を頭では理解したが、心では海陵王に身命を尽くそうと思っていた。主に尽くすことは、軍人としてあるべき姿だからだ。

 禁軍五万を率いて、南宋に侵攻する。阿列にはただそれだけがあった。後のことなど分かりはしない。身に危険が及びそうになったら、その時に判断する。それでいいはずだ。

 開封府を出て三日、行軍は順調だった。ひたすら街道を南下し、まずは淮水を渡渉し、国境を越える。

 今ある情報では淮水から長江流域までは、さしたる防衛線は引かれていない。いかに長江を渡り、南宋の本土へ侵攻できるかが鍵になる。

 淮水が金国と南宋の国境になっているが、淮水と長江の間の地域は緩衝地帯のようになっていて、南宋は長江以南の繁栄に力を注いでいた。

 海陵王からの命令は、第一に合肥の攻略である。合肥と、水軍が揚州を押さえることで長江の渡渉の足掛かりとする。それが南進の第一段階である。

 その海陵王は後方で、禁軍に守られながら進軍している。帝による親征だが、軍の指揮権はすべて阿列にあり、海陵王は輿に乗って従軍している。

 父慎思の率いる契丹兵十万は、後詰として寿春を目指し、戦況に応じて柔軟に対応することになっている。

 指揮権は総帥である阿列にあったが、父の戦に口を出そうとは思わなかった。父の軍はいないものとして、あくまで禁軍五万による侵攻を考えていたが、後方に父がいることは、この上なく心強かった。

 阿列が直接指揮を執る、女真族の禁軍五万の兵士たち。すべて騎兵である。調練で彼らを指揮して、その闘争心に阿列は心を奪われた。

 古来、女真の男は戦うことを宿命づけられていた。金建国以来、常に戦に身を投じてきた彼らの心には、まず戦があった。遼との戦いで独立を勝ち取って以降、時には北宋、時には梁山泊と常に戦を続けてきた。

 金国で生まれた男児は、まず闘うことを教えられて成長する。

 今回率いている五万騎は、国の存亡をかけた梁山泊との戦の、最後の生き残りだった。まさに死力を尽くした大戦が糧となり、調練ではこの上ない精強さを示してきた。それは阿列の心を揺さぶるのに充分であった。

 

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