しかし同時に、それと同等の大きさの、危うさのようなものも感じていた。
兀朮(ウジュ)が討たれた後、沙歇(さけつ)の採った決死隊による突撃による攻撃。あの作戦で戦友や兄弟を失った兵も多いだろう。調練で果敢に馬を駆る姿に、時折狂気にも似た想いを感じることがあった
禁軍の兵が稀にのぞかせる狂気、阿列はそれを正面から受け止めるつもりだった。
梁山泊は国としてはもうない。やり場のない哀しみが暴れて我が身を滅ぼさぬよう、彼らをこの戦を勝利に導くことで、少しでもその哀しみを癒したいと思った。戦いで傷ついた心は、戦いでしか癒せない。本当の兵とはそういうものだと、阿列は思っていた。
「殿、海東青鶻旗(かいとうせいこつき)を戴く気分はいかがですかな」
馬を寄せて声をかけてきたのは、副官においた王祥(おうしょう)だった。王祥は阿列より五歳ほど年長だが、幼少の頃より、父の鍛錬に共に耐えてきた友人でもある。
軍人らしい性格で、果敢な指揮をするが、思慮も深く判断力も優れている。臨潢府では領土の守護を任務としていたが、他国に攻め入るという今回の戦では、王祥のような軍人が力を発揮するだろうと思い連れてきた。海陵王への拝謁もしていて、他に唐括(とうかつ)、斡盧保(あろほ)という指揮官も伴ってきた。いずれも二千騎の指揮は秀でている。
王祥は昔から、阿列のことを殿と呼んでいたが、阿列が禁軍総帥になっても、その呼び方はやめようとしなかった。
「王祥、二人だけの時はよいが、軍議など他の将校がいる前では総帥と呼べ。いろいろ面倒なことになる」
阿列が、苦笑しながら言った。
「殿、分かっておりますとも。女真の兵どもはやたら大将の威厳を気にしますからな」
そう言うと、王将は声を出して笑った。
「女真の兵にとって、禁軍総帥は誇りそのもの、と考えている」
禁軍の調練は主に王祥と二人でやった。王祥の調練は過激だが、気さくに兵に語りかけたりもして、兵からも信頼を得ている。禁軍五万の指揮を預けても、十分に戦えるだろう。
「殿、それよりも合肥の攻略に、懸念が二つばかり」
やはりその話か。阿列は思った。
「一つは梁山泊の残党だ。奴らの動向がまったくわからん。どこにいるのかもわからなければ、常に奇襲の危険におびえなければならん。殿は何か策をお持ちでしょうか?」
梁山泊については鷹羽衆(おううしゅう)が探索に当たっている。その情報は今まであったことも含めて、すべて王祥と共有している。
「梁山泊はその軍を、民の営みの中に隠している。いくら鷹羽衆でもその存在を突き止めるのは、原野に落ちる一本の針を探し当てるようなものだ」
「では、奴らのなすがままですか?」
「丞相はあえて軍を整然と進ませることで、奇襲に即応しようとされている。見えない敵を恐れず胸を張って進め。たかが数千騎ではないか」
「俺は梁山泊が、陛下を奇襲で襲うのではないかと危惧しています。陛下さえ除けば進軍は止まると考えるでしょう」
今回の南征は親征である。海陵王は一万の兵で守られているが、それは漢族の兵だった。
「王祥、いかに人の海に紛れていても、数千騎が集結するのには必ず兆候があるはずだ。鷹羽衆は禁軍を遠回しに取り囲み、常に人の流れを探っている」
「そう言って殿は、その斥候の内側に二千騎の集結を許したのでは?」
王祥は得意げに阿列の顔を覗き込んだ。こういった皮肉を言う性格は昔から変わっていない。しかしその率直な物の言い方で、はっと気付かされる事も多くあった。
率いている麾下たちは、やはり発言に気を使った感じが否めない。阿列にとって王祥のような友は、かけがえのないものだった。
「俺がそんな愚を、二度も犯すような男に見えるか?梁山泊の部隊が現れたら、真っ先にお前に突撃させてやる」
王祥はそれを聞くと鐙に立ち上がり、大声で笑った。
「では呼延凌と秦容、二人の名将と一番に闘えるのですな、それは光栄だな。胸が高鳴りますぞ」
「ふん、ぶつかった瞬間、その高鳴りは冷や汗に変わるぞ。俺に泣きついてきても助けんからな」
こんな会話が、阿列の心をいつも解きほぐしてくれた。