胡の地より   作:遼心

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饅頭が蒸し上がるまでの時間、軍議が始まった。梁山泊軍は金軍に比べ圧倒的に寡兵だが、悲観するものはいない。それぞれが、持てる力を信じていた。その時、宣凱が秦容に一振りの剣を、手渡した。


第百十四話 托塔の光

「さて、饅頭が蒸しあがるまで、戦の話ですが」

 皆が一斉に宣凱の方を見た。

「耶律阿列(やりつあれつ)を総帥とした金の禁軍五万は、合肥を目指し進軍中です。そして慎思率いる契丹兵十万は寿春に後詰として駐留するようです」

「十万が後詰とは大層なことだ。女真兵五万だけで侵攻する肚か」

 呼延凌が言った。

「賢明でしょう。契丹兵は新兵ですし、あまり複雑な戦況では力を発揮できないでしょう。堅実な運用をするはずです。水軍は合肥攻略に合わせて、揚州に向かうはずです。今は梁山湖に駐留しています」

「で、俺たちの戦略は?」

 秦容が、腕を組んで言った。

「これらの軍を騎馬隊だけで止めることはできません。高亮(こうりょう)将軍が梁山泊の歩兵一万の調練を終えて、いつでも参集できる状態です」

「おお、高亮か」

 呼延凌が喜色をあらわにした。

「それに騎馬隊の五千と、玄旗隊の二百がいまの私たちの戦力です」

「梁山泊軍一万五千、十分すぎる兵力だ。それに胡土児(コトジ)もいる。負ける気がしねえ」

 秦容が立ち上がって、吠えた。秦容の胸のうちが燃えている。

「秦容殿、胡土児殿の調練の仕上がりはいかがですか?」

 宣凱が、秦容の眼を見つめていった。

「胡土児はもう誰にも負けはしない。俺が保証する」

 秦容が、胡土児の方を見て微笑んだ。胡土児は自分のことが言われたことよりも、秦容の微笑みを見て、やはり狼狽したが、この秦容に対する感覚が、兄弟に抱くものに近いものだということを確信した。理由はわからないが、胡土児が今まで感じたことのない家族の感覚が、きっとこういうものなのだろうと思った。

「俺にはまだ強くなった、という実感がないのですが」

「本当に強いものが、そんな実感があるわけはなかろう。それでいいのだ」

 秦容が言った。そして宣凱が微かに頷いた。

「皆さんにお伝えします。今日を持って調練は終わりです。各隊速やかに作戦行動にうつれるよう、常に準備をしておいてください」

 皆が頷いた。呼延凌もあまり表情は変えないが、心は燃えているだろう。

「あれを、持ってきてください」

 宣凱が声を掛けると、従者が細長い包みを宣凱に差し出した。

「現場の総指揮は呼延凌殿にお任せします。そして、秦容殿にこれをお預けいたします」

 秦容が包みを受け取り解くと、それはひと振りの剣だった。秦容は迷わず鞘を払い、剣を抜いた。

 その刃は光り輝き、どこまでも澄んだ気を放っている。皆がその輝きに目を奪われた。

「宣凱、この剣は?」

 秦容が言った。

「その剣は、かつて晁蓋殿が自ら打たれた剣です」

「なんと」

 秦容と呼延凌が、同時に声を上げた。

「晁蓋殿は梁山泊の湖寨を制圧した当時、替天行道の志を込めて、ふた振りの剣を打ちました。一振りは宋江殿に、もうひと振りはご自身で佩かれました」

 呼延凌と秦容は、剣に見入っている。

「宋江殿の剣は、童貫によって湖寨が陥落した際に紛失いたしましたが、晁蓋殿の剣は聚義庁に保管してありました。梁山泊が再興された以降も、その剣はずっと聚義庁にあったのです。呉用殿が、ずっとその剣の手入れをしていました。あの人ほど、替天行道の志を深く心に抱いていた人はいませんでしたから」

「呉用の奴、こんな大切なものをずっと隠していたのか」

 秦容が言った。

「いえ、誰もその剣を扱える者がいなかったのです。楊令殿には吹毛剣がありましたし」

「それを俺が、佩いてもいいのか?」

「むしろ秦容殿にしか、扱うことはできないでしょう。その剣を、佩いていただけますか?」

 秦容は少し下がって、剣を構えた。気息を整えると剣を一閃した。時が斬られた。そんな言葉が、胡土児の胸の高鳴りと共に現れ、消えて行った。

「軽い、そして決して折れない。この剣は、俺と一つになりたがっている」

 秦容が呟いた。

「決まりですね」

 宣凱が微笑んだ。

「折角だ、名をつけてやれ」

 呼延凌が、腕を組んで言った。

「名か。そうだな」

 秦容が少し悩んだ顔をした。

「托塔剣(たくとうけん)、というのはどうでしょう?」

 悩む秦容をよそに、宣凱が言った。

「なるほど、晁蓋殿のあだ名のからとったのだな」

 呼延凌が言った。

「おい宣凱、俺が名付けるのではないのか。というかその名前、どうせずっと前から考えていたんだろう」

「では、他の名にしますか?」

「いや、それでいい」

 秦容が低い声で呟くと、皆大声で笑った。秦容は不貞腐れたのか、少し離れて托塔剣を振りはじめた。

 剣を振り下ろしたところが、次の剣撃の起点となり、身体をうまく翻し撓らせて、斬る、突く、払うという剣技が途切れることなく繰り出されている。

 一見舞のようにも見えるが、秦容の膂力を考えると、戦場ではとても近寄れない存在になるだろう。

 

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