胡の地より   作:遼心

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宣凱は、秦容には剣を、そして胡土児には一つの鞄を手渡した。戦場で危機に陥った時に役に立つと。梁山泊には利害ではなく、思いを繋ぐ伝統があった。


第百十五話 旨い饅頭

「胡土児(コトジ)殿にはこれを」

 宣凱が後ろから声をかけてきた。手には皮の鞄を持っている。

「これは?」

 胡土児は鞄を手に取った。相当丈夫に作ってあり、少々の斬撃には耐えられるだろう。それほど重いものでもない。

「鞄の中身はあえて申し上げません。できれば戦場において常に携行し、梁山泊軍が危機に陥ったとき、中に入っているものを使ってください。きっと窮地を救ってくれるでしょう」

「承知した」

 胡土児は即答した。胡土児には鞄の中身がなんであるか、およそ見当はついたが、口にはしなかった。

「巨骨」

 胡土児が、大声で巨骨を呼んだ。すぐに巨骨が駆け寄ってくる。皆より頭一つ出た巨骨は、どこにいてもすぐにわかる。

「お前にこれを預ける。命より大切なものと思え。常に肌身離さず身に付け、俺が言うまで決してこの鞄を開けてはならん。よいな」

 巨骨は頷くと鞄を腰に巻き付け、駆け去っていった。

「巨骨殿は純真な方ですね」

 宣凱が言った。

「純真が故、心が痛むのだろう。俺がその傷を癒せるかは分からないが」

 巨骨に関して、胡土児は多くの言葉で語ろうとは、思わなかった。

 「宣凱、饅頭が蒸しあがったぞ、早く焼けよ」

 秦容が汗を拭いながら叫んだ。

 

 あたりはすっかり陽が落ち、涼やかな夜風と、焚火の温もりが心地よい。虫の音や薪が爆ぜる音が聞こえてくる。

 たらふく焼き饅頭を食って、方々に玄旗隊の兵が倒れている。そここからうめき声も聞こえる。

「宣凱、お前料理人でも生きていけるだろうよ。こんな饅頭を作りやがって」

 仰向けに倒れている秦容が言った。胡土児も、もう動けないと思うくらい、饅頭を食った。

「さすがに戦場へは持っていけませんが、轟交館に戻られたら、いつでも用意しておきますよ」

 これから戦で人が死ぬ。そして、ここへ戻ってこれない者もたくさん出てくる。宣凱の言葉には、そんな意味が込められているように、胡土児には思えた。

「梁山泊の兵にも食わせてやりたい。俺達は戦へ行く。しかし、戦場に赴くから旨い饅頭を食っていい、というわけではない。人は皆、生きているなら旨い饅頭を食えばいいのだ。そうだろう、胡土児?」

 胡土児は秦容の問いに、答えられなかった。今まで、ことさらに旨いものを食いたい、と思ったことがなかった。旨い物を食いたい、という人の想いは理解できる。城郭には食い物をたくさん食って太った人間もいるというが、胡土児は見たことがなかった。

「ところで秦容殿、蒼翼をしばらくお借りしたいのですが」

 唐突に、宣凱が言った。

「ああ、いいぜ。あいつが狼牙棍を放ることは、もうないのだからな」

 秦容は寝ころんだまま言った。少し寂さも混じった声だった。

 その時、牧に数騎の馬が入ってきた。かなり長駆してきたのか、馬の気も荒かった。

「おい、耶律哥(やりつか)というのはどいつだ?」

 声を聞いた秦容が飛び起きた。声を上げた先頭の騎馬に乗っているのは、遠目から見ても老人だった。

「毛定の爺さんか、何しに来た?」

「秦容か、黙っておれ。わしは耶律哥という奴に用があるんじゃ」

「まさか于姜(うきょう)殿も一緒じゃないだろうな」

 秦容は一度後ろを気にして、于姜がいないことを確かめると、胸をなでおろした。毛定と呼ばれた老人は秦容には目もくれず、あたりを見回した。宣凱と呼延凌も、駆け寄ってきた。

 

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