「胡土児(コトジ)殿にはこれを」
宣凱が後ろから声をかけてきた。手には皮の鞄を持っている。
「これは?」
胡土児は鞄を手に取った。相当丈夫に作ってあり、少々の斬撃には耐えられるだろう。それほど重いものでもない。
「鞄の中身はあえて申し上げません。できれば戦場において常に携行し、梁山泊軍が危機に陥ったとき、中に入っているものを使ってください。きっと窮地を救ってくれるでしょう」
「承知した」
胡土児は即答した。胡土児には鞄の中身がなんであるか、およそ見当はついたが、口にはしなかった。
「巨骨」
胡土児が、大声で巨骨を呼んだ。すぐに巨骨が駆け寄ってくる。皆より頭一つ出た巨骨は、どこにいてもすぐにわかる。
「お前にこれを預ける。命より大切なものと思え。常に肌身離さず身に付け、俺が言うまで決してこの鞄を開けてはならん。よいな」
巨骨は頷くと鞄を腰に巻き付け、駆け去っていった。
「巨骨殿は純真な方ですね」
宣凱が言った。
「純真が故、心が痛むのだろう。俺がその傷を癒せるかは分からないが」
巨骨に関して、胡土児は多くの言葉で語ろうとは、思わなかった。
「宣凱、饅頭が蒸しあがったぞ、早く焼けよ」
秦容が汗を拭いながら叫んだ。
あたりはすっかり陽が落ち、涼やかな夜風と、焚火の温もりが心地よい。虫の音や薪が爆ぜる音が聞こえてくる。
たらふく焼き饅頭を食って、方々に玄旗隊の兵が倒れている。そここからうめき声も聞こえる。
「宣凱、お前料理人でも生きていけるだろうよ。こんな饅頭を作りやがって」
仰向けに倒れている秦容が言った。胡土児も、もう動けないと思うくらい、饅頭を食った。
「さすがに戦場へは持っていけませんが、轟交館に戻られたら、いつでも用意しておきますよ」
これから戦で人が死ぬ。そして、ここへ戻ってこれない者もたくさん出てくる。宣凱の言葉には、そんな意味が込められているように、胡土児には思えた。
「梁山泊の兵にも食わせてやりたい。俺達は戦へ行く。しかし、戦場に赴くから旨い饅頭を食っていい、というわけではない。人は皆、生きているなら旨い饅頭を食えばいいのだ。そうだろう、胡土児?」
胡土児は秦容の問いに、答えられなかった。今まで、ことさらに旨いものを食いたい、と思ったことがなかった。旨い物を食いたい、という人の想いは理解できる。城郭には食い物をたくさん食って太った人間もいるというが、胡土児は見たことがなかった。
「ところで秦容殿、蒼翼をしばらくお借りしたいのですが」
唐突に、宣凱が言った。
「ああ、いいぜ。あいつが狼牙棍を放ることは、もうないのだからな」
秦容は寝ころんだまま言った。少し寂さも混じった声だった。
その時、牧に数騎の馬が入ってきた。かなり長駆してきたのか、馬の気も荒かった。
「おい、耶律哥(やりつか)というのはどいつだ?」
声を聞いた秦容が飛び起きた。声を上げた先頭の騎馬に乗っているのは、遠目から見ても老人だった。
「毛定の爺さんか、何しに来た?」
「秦容か、黙っておれ。わしは耶律哥という奴に用があるんじゃ」
「まさか于姜(うきょう)殿も一緒じゃないだろうな」
秦容は一度後ろを気にして、于姜がいないことを確かめると、胸をなでおろした。毛定と呼ばれた老人は秦容には目もくれず、あたりを見回した。宣凱と呼延凌も、駆け寄ってきた。