島全体を覆っていた兵の気配が、消えた。隠れ家の小屋からは、獄舎越しに南の港が見える。二百艘の中型船と二十艘の大型船。丸一日かけて兵と資材を積み込み、明け方、一斉に出港していった。島に残った兵は二千といったところか。
造船作業は行われているが、規模は小さい。木材置き場にはいまだ板が山と積まれているが、罪人たちの作業も少なくなっている。
燃える綱の束と、油の板の仕込みは終わっている。あとは今夜、綱を引き出し何本かまとめて結び、道の目立たないところに隠しておく。あとは道を駆けながら結び目に火を放っていけば、板の山に火が着いていく。
馬来たち罪人は、戦う道を選んだ。
戦いを拒んだものもいたが、その者たちは後方にいて、騒動に乗じて獄舎を脱出する。脱走に反対する者もいたが、馬来と、小屋にいた主だった者達が、皆戦う決意をしたことが大きかった。
武術を教えてほしいという罪人もいたので、候真が密かに武の鍛錬を施した。短い期間だったが、身のこなしを覚えると、作業時の動きも格段に良くなった。
「候真、俺は西の資材置き場を、火を着けながら北に駆ける。お前は南の資材置き場から、聚義庁に向かって同じように駆けろ。そのまま北岸まで駆け脱出する」
この造船所には、西と南に大きな資材置き場がある。西はかつて牧と畠があった場所で、かなりの広さがある。南は木戸があり、聚義庁があった場所まで坂道で、その両脇に板が積まれている。
「羅辰、俺は罪人たちと騒ぎを起こす方に回る。俺が先頭になって戦わなければならないだろう」
羅辰が候真を見て、目を見開いた。
「馬鹿を言うな、候真。罪人たちが騒ぎを起こすのはあくまで守兵の目をそらすためだ。板に火が着けば、罪人などどうなってもいい」
「いや、俺は罪人たちをここから脱出させる。そう約束した」
「おい候真、お前自分が何を言っているのか分かっているのか?罪人にかまけて板に火が着くのが遅れれば、計画が水の泡だ。守兵はまだ二千もいるのだぞ」
羅辰の言うことはもっともだった。しかしそれでもなお、候真は罪人たちをこの島から脱出させてやりたかった。ろくに武器もないまま、命を懸けて戦う決意をした者たちなのだ。
だが羅辰を説得する言葉が見つからず、候真は黙ってうつむいた。
しばらく沈黙が続いた。
不意に、羅辰が息を漏らした。
「分かった。計画を変えよう。お前は罪人と騒ぎを起こしたら、そのまま獄舎に籠れ。脱走を防ぐ塀は、そのまま砦にもなるはずだ。二千の守兵を釘付けにして時間を稼ぐ間、俺が西で火を放つ。火を見た兵は、一部消火に走るだろう。その兵を俺が引き付けておく。その間にお前は残りの兵を倒し、罪人を脱出させる。それからお前は南から火を放ちながら駆けあがれ」
「すまない」
候真はうつむいたまま言った。胸に、熱いものがこみあげてくる。
「まったく、公孫勝殿が見ていたら、お前は致死軍から外されるな。間違いなく」
羅辰があきれたように言った。
「過去に縛られず、自由にものを考えろ。これはお前が言った言葉だぞ」
候真は顔を上げて言った。羅辰が、あきれたような視線を候真に投げかけた。
「まあいいだろう。南と西が燃えだし、手が付けられなくなったら、聚義庁の裏手で合流だ。そのまま北へ脱出するぞ」
候真は頷いた。聚義庁があった建物の裏と言えば、「替天行道」の旗が掲げてあった場所だ。そこから燃える梁山泊を見た時、どんな気持ちになるのだろう。候真はそんなことをぼんやり考えた。
夜も更け、月明りが梁山泊を照らしている。
「そろそろ行くぞ、候真」
いつの間にか羅辰が隊長のようになっていたが、候真は気にしなかった。
羅辰は間違いなく、死線をさまよって苦しみながら生還した。その経験からくる、余人にはない風格のようなものを確かに感じていた。現場での判断力も抜きんでているだろう。
それにこの造船所を焼くという発想や、燃える綱を発明し膨大な量を編む忍耐力も、候真には真似のできない事だった。
自分は自分のできることを、全力でやる。馬来たちを梁山湖へ逃し、聚義庁へ続く坂を駆けながら火を着ける。それでいいはずだ。
板が積まれている資材置き場は、見張りの兵の数が極端に減っていた。その目をかいくぐって、燃える綱を引き出し結びつける作業は、拍子抜けするほど容易かった。
結び目の場所と、駆け上がる経路を頭に叩き込む。
一つの結び目に火を着ければ、五、六か所の板の山に火が着き、百枚ほどの板に火が着く。風もこの季節は南から吹き、空には雲一つない。天気も晴天になるだろう。
候真は身体を起こし、梁山湖を見下ろした。静かで涼やかな夜の風が、候真の火照る身体と心を、心地よく鎮めている。
梁山湖の湖面が月の光を浴び、どこまでも美しく輝いていた。