梁山泊軍の戦い方は、研究し尽くした。
楊令という希代の頭領から、軍を率いる将軍と戦い方。臨潢府(りんこうふ)の自宅で、梁山泊の戦を分析するだけでも心が躍った。そうして書斎で没頭していると、史進や林冲、呼延灼といった名だたる将軍の性格まで、手に取るように脳裏に浮かんだ。
阿骨打(アクダ)が挙兵し、遼に攻めてきたとき、慎思は矛を交えずに、阿骨打に降ることを決断した。
楊令率いる幻王軍の戦を、目の当たりにしたからだった。
特に黒騎兵の戦は、苛烈そのもの、いや、畏怖と呼ぶべきものだった。熟女真の城郭を攻める黒騎兵の速さは、今も眼に焼き付いている。それ以来、黒騎兵への敬意をこめて、慎思の麾下は、具足、馬甲共にすべて黒で統一した。
幻王軍の戦いは、明らかに新国家建国へ向けた意思と志があった。
通常軍とは、徴兵によって集められた若者を中心に組織する。強制的に集められた軍と、志を胸に集った軍とでは、明らかに戦闘力に差が生まれる。
事実、僅か一万足らずの幻王軍が、遼の大軍を次々と撃破していった。
当時、遼の中央は腐敗し、女真族に対する圧政も限界に達していた。遼の貴族は奢侈に走り、軍を軽んじ、慎思を含む有力な将軍達は、地方へと追いやられた。
慎思は軍での出世争いから身を引き、故郷である臨潢府の守護を志とした。
そんな中襲来した幻王軍は、遼の滅亡を感じさせるのに十分で、軍の在り方を常に追及していた慎思にとって、どうしても幻王軍と戦をすることを、肯んじることが出来なかった。
副官の婁薛(ろせつ)が櫓を登ってきた。
「大殿、ここでしたか。お姿が見えないので、探しておりました」
「婁薛、上級将校に伝令、第二戦闘態勢で待機、いつでも出撃できるようにしておけ」
「いよいよですか。敵はやはり、梁山泊軍ですか」
婁薛は、慎思の武術の弟子だが、呑み込みも早く、若くして頭角を現してきた。部隊の指揮も巧みで、目を見張るものがある。
しかし今回の遠征では、部隊の指揮権は与えていない。婁薛は、時に閃きで部隊を動かす。その判断に、新兵ではついていく事ができない。兵が指揮官の想いを汲んで、一致団結して部隊行動が取れるようになるまでには、長い時を要する。
婁薛は副官として、実際に部隊を指揮する上級将校に、慎思の意思を伝えたり、その報告を受け、慎思に伝えるという役目だけを負う。しかし慎思に何かあったときは、慎思に替わって、契丹兵十万を指揮することになっている。
婁薛が、櫓の下を通りかかった将校に、大声で戦闘態勢の指示を出した。将校が直立して敬礼し駆け去っていく。
「お前のその横着な性格は、なかなか直らんな。まるで賊の頭領だ」
慎思がため息をついた。婁薛が笑い声をあげる。
「大殿、俺はこんな感じが好きなんです。しかし、南に不穏な気を感じますな」
婁薛が櫓から身を乗り出し、目を細めて遠くを見つめた。
「では今夜、夜襲をかけるか」
慎思が、さらりと言った。
「止めてください。そんな、ちょっと遠乗りをするような感じで言われても困りますよ」
「なに、麾下五百騎だけだ。戦場の感覚を取り戻してくる」
「なら、大きな問題はないとは思いますが、俺は大殿の大刀がもう一度見られるとおもうと、小躍りしたくなるくらいです。でも梁山泊を侮らないでください」
「分かっている」
そう言うと慎思は、腰に佩いた大刀を抜いた。分厚い刃が鈍く光っている。
元は巨大な偃月刀だったが、歳を追うごとに打ち直し、徐々に軽くしていった。今では刀身がいくらか長く、刃の反りも少ないものになった。その方が、技が活きるからだ。刀の重みに頼らなくとも、楽に敵を両断できる。
最後にこの刀を実戦で振るったのは、十年ほど前になる。
街のごろつきが集まり、酒に酔って騎馬で民を殺し始めた。報告を受けた慎思は、何も言わず、一騎で駆けだした。
ごろつきの頭は、慎思を見て老人と侮っていたが、慎思は構わず駆け、馳せ違い様、刀を縦に一閃すると、ごろつきの身体は馬ごと両断された。
その出来事は瞬く間に街中に広まった。街からごろつきはいなくなり、治安は格段に良くなった。それ以来、慎思は〝契丹の浄魔〟とあだ名されるようになった。
そのあだ名を聞いた慎思は、自分が魔を浄化する存在なのか、浄化する魔物なのか、分からずに苦笑した。名など意味はない、と思うだけだった。
武は、修めた。そう思っている。