胡の地より   作:遼心

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胡土児と若き従者、合わせて三騎。海陵王の軍二千と対峙する。戦というものを知る胡土児にとって、その軍は脅威ではなかった。胡土児が丘を駆け出したとき、懐かしい気が、丘の陰から現れた。


第十二話 友の斬撃と泪

 胡土児(コトジ)は目の前の丘を駆け上がり、見晴らしの良いところに出た。

 およそ二千。三里(約千二百メートル)ほど先で待ち構えている。海陵王の姿は見えない。いや、おそらく一兵士の格好をしているのだろう。親征ではなくお忍びのようだ。兵も指揮官が帝だと気づいていないかもしれない。そして緊張感の全くない兵士達。ただ何となく整列し、兵士の間隔もまばらだ。それもそうだろう。まさか自分たちがたった三騎を相手に戦闘などするわけもない。早く任務を終えて帰営し、晩飯を食うことでも考えているのだろう。

「たった三騎に二千か。戦というものがどういうものか、あいつらに教えてやろう」

 二人はまったく言葉を発しない。戦の空気を感じると、二人は完璧な従者になる。

 胡土児はゆっくり進み始める。二歩、三歩、気息が整うのを感じると剣を抜き放ち、勢いよく丘を疾駆する。抜いたのは吹毛剣ではなく普通の剣だ。同時に二人も続く。

 胡土児が丘を駆け降りると同時に、一騎の偉丈夫が丘の陰から駆けてくるのを、目の端で捉えた。それは海陵王の軍と、胡土児の真ん中あたりを目指し駆けてくる。その少し後方を、およそ二百騎の蒙古兵が続く。先頭の一騎は斜律里(しゃりつり)だ。右手に大刀を構かまえている。蒙古兵に扮しているが、あの騎馬の乗りこなしは間違いなく斜律里のものだ。となると、後を追う二百騎が、玄旗隊だ。

 玄旗隊は、胡土児が金軍で率いていた騎馬隊だ。胡土児が軍を去るとき、解散し各部隊に再編制することを斜律里に頼んだのだ。昨日の書簡で、斜律里は候真の報を受け、即座に玄旗隊に招集をかけた。

 斜律里は玄旗隊解散の際、一人一人に、再び玄旗隊の招集が掛けられたら応じるか、という問いをしたという。それに対し全員が、はい、と答えたという。胡土児の懸賞を知った斜律里は一計を案じ、蒙古兵に扮し胡土児を捕えるふりをし、玄旗隊を合流させると言ってきた。場所と刻限がぴたりと合ったのは候真の慧眼という他ない。書簡には、ある程度海陵王を騙だますため、眼前で腕試しでもしよう、と締めくくられていた。

 胡土児は馬を斜律里に向けた。斜律里もこっちに駆けてくる。お互い表情が見て取れるくらいの距離まで迫る。斜律里は笑っている。俺も笑っているのだろう。

 斜律里が馳せ違う刹那、渾身の一撃を振り下ろした。胡土児は大刀の腹を剣で横から弾き軌道をそらす。すかさず剣を返す。が、手がしびれて思うように動かない。二騎が馳せ違い、大きく迂回し再び駆け寄る。

「吹毛剣を抜け、胡土児」

「吹毛剣は抜かん」

 胡土児は剣を腰に構え気を込める。極限まで力を抜き、一気に気を爆発させる。全身を槍の様にしならせ、剣先を斜律里の眉間に向かって弾いた。大刀を振る余裕は与えない。  

 剣先が凄まじい勢いで斜律里の眉間を襲う。斜律里はかろうじて身をよじり、剣先は頬をかすめただけだ。二騎が勢い余ってぶっつかる。お互い棹立になる馬を御するのに手間取った。一瞬早く立ち直った斜律里が大刀を横に薙ぐ。胡土児は上体を右に倒しかろうじて躱かわす。

 大刀によって切り裂さかれた空気が、胡土児の頬を撫なでた。落馬しそうになるが、その勢いで天に向かって蹴りだした左足が、斜律里の側頭を直撃した。その反動で胡土児は態勢を立て直す。よろめく斜律里。すかさず胡土児は剣を振り下ろす。斜律里は崩れながらも大刀を下から斬り上げ、胡土児の剣に合わせた。胡土児の剣は何の手応えもなく二つに断たれ、剣先が回転しながら草原に突き立った。

 胡土児が馬を返し駆けだすと、少し遅れて斜律里が後を追う。同時に斜律里は片手を挙げ、二百騎の玄旗隊を動かした。胡土児はひとしきり斜律里と玄旗隊に追われると、大きく迂回し海陵王の軍の前で馬を止め、片手を挙げた。斜律里が轡を並べ、玄旗隊がその後ろに速やかに隊列を組んだ。

 海陵王の軍にどよめきが起こる。

「胡土児、この剣を持っていけ」

 斜律里が、一振りの剣を胡土児に向かって放った。

「いいのか?」

 この剣は、父が特別に打たせた剣で、新しい剣を欲しがっていた斜律里に、胡土児が譲ったものだった。

「蒙古兵相手に、その剣はもったいない。気にするな。これで俺の役目も終わりだな。海陵王と遊んだら、一度俺の軍営に帰還しろ。楽しかったぞ」

 斜律里はそう言うと、駆け去っていった。

 胡土児はゆっくり玄旗隊の方へ振り返った。隊の端からひとりひとり顔を見て横切る。皆、顔も名前も憶えている。じっと胡土児を見つめる者。泪をこらえる者。肩をふるわせる者。しかし誰一人言葉は発しない。皆、身体が一回り大きくなったようだ。この半年、相当な鍛錬をしていたに違いない。放つ気も、半端なものではなかった。そして俺が半ば見捨ててしまった者たち。

「玄旗隊の再結成だ。今一度、俺に力を貸してくれ」

 鬨の声が上がり、それは天を突くようだった。

 胡土児は隊の中央に戻り、海陵王を見据える。

 胡土児には、梁山泊軍の強さが何となくわかったような気がした。軍の強さは兵力でも武器でもない。想いと鍛錬なのだ。それを教えてくれた玄旗隊に、胡土児は応えるべきだと思った。

「全騎抜刀。ただしひとりも殺すな。二度突き抜けたら、南へ脱出」

 胡土児は瞬時に命令が伝わるのを感じると、斜律里の剣を抜き放ち、海陵王に向け疾駆した。

 

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