若き日の慎思は、力を持て余し、母を早くに亡くしていたせいもあり、荒くれていた。
ある日、賭博の如何様(いかさま)を見抜いた慎思は、胴元と言い争いになった。開き直った胴元に腹を立てた慎思は、その胴元を拳で半殺しにした。
すぐさま兵によって捕縛され、役所に引っ立てられた慎思は、その胴元の如何様を暴露し、いかにそれが重罪なのかを役人に説いた。多少学もあり、弁も立つ慎思は、その場で無罪放免となり、意気揚々と帰宅した。
事の顛末を自慢げに父に話すと、父は突然、慎思を殴りつけた。訳も分からず床に転がる慎思に、父は容赦なく拳を浴びせた。
ついには、その胴元と同じような状態になった。
人の痛みもわからぬ輩なら、そのままくたばってしまえ。意識が遠のく慎思の心に、その言葉だけが響いてきた。
傷が癒えた慎思は、いたたまれなくなり家を飛び出した。この一件で、名門耶律家のならず者、と揶揄されたことが耐え切れなかったのだ。
ひたすら山で刀を振り、けものを狩ったり木の実で飢えをしのぐ毎日だったが、身体はむしろ頑強になっていった。刀のひと振りで、一抱えもある木も二つに斬れた。
ある日、河で魚を獲ろうとしていたところ、突然鉄砲水に襲われ流された。
河の水の勢いは凄まじく、慎思がどんなにもがいても、身体は沈んでいく一方だった。岩が身体の方々を打ち、あちこちの骨が折れた。
このまま死ぬのだと、慎思は思った。そう思うと、自然に力が抜けた。
そのまま激流に身を任せると、不思議と水は、優しく慎思を包み込み、岩が身体を打つこともなくなり、息苦しさも消えた。感覚が、心地よかった。これが死の感覚か、慎思はそう思った。
目が覚めると、慎思は河原に打ち上げられていた。死んではいない。それだけがはっきりと分かった。
水の感覚。時に柔らかく、時に激しく。それが慎思の武の感覚となった。
山を下りた慎思に、以前の悪友たちが言い寄ってきたが、相手にしなかった。
怒った悪友が、慎思の家に襲撃することもあったが、出てきた慎思に、誰も触れることはできなかった。
それからの慎思は、学問に没頭した。
武の真理に気が付くと、不思議と世の中の事の、あらゆることに興味が湧いてきた。歴史や経済、各地の風土や産物、中華の外の世界。慎思はあらゆる書物を読み漁った。世の真理を知りたい。その慎思の知的欲求が、熄むことはなかった。
そんな慎思の噂が広まり、慎思と一度話がしたいという者や、武術の指南を受けたいという者が後を絶えなかった。
慎思は私塾を開き、その者たちを受け入れていった。
月日が流れ、慎思は父より家督を継いだ。その頃、幻王軍と金国が攻め込んできて、慎思は降伏することになった。
阿骨打(アクダ)は慎思の降伏を心から喜び、完顔姓を下賜された。慎思は幻王楊令の指揮下に加わることを望んだが、認められなかった。戦は女真族が行うもの、という暗黙の掟は、その頃よりあったと思われる。
時を経て、その梁山泊軍と向かい合うことになるとは因果なものだが、やるからには全力で立ち向かう。そのための準備と調練を、重ねてきたつもりだった。