慎思の陣まではひと駆けだった。この辺り一帯は丘陵地帯だ。丘の高さはさほどでもないが、丘の向こう側は死角になっている。慎思の一万五千は、やや見通しの良い開けた原野に陣を組んでいた。
「あれが重装兵か、胡土児、どう思う」
長槍に、身の丈を超すような大楯、甲冑も堅固なものを装備していた。おそらく戦闘時は大楯を前に出し、密集することで、長槍の利を活かそうというものだろう。二千程の隊が五つ、方陣を敷いている。他に軽装兵が両翼に布陣している。騎馬隊の姿はない。
「重装兵、まるで城壁のようですね。慎思という将軍、並ではありません。あの陣を騎馬で崩すことは、容易ではないでしょう。梁山泊との戦を想定し、以前より準備していたのでしょう。梁山泊軍の騎馬隊は、脅威ですから」
秦容は陣容をじっと見つめた。重装兵は二千程でまとまり、五隊、二隊は軽装兵で両側に布陣している。
「不敵だな。とっくに俺たちに気付いているはずだが、何の反応も見せん」
「好きなだけ見ていけ、と言っているようですね。先程の闇の気は、感じませんが」
「どこかに埋伏しているのかもしれん」
梁山泊軍の強さは、騎馬隊の精強さにある。歩兵同士の押し合いの中、機を見て騎馬隊が突っ込み敵陣を崩し、歩兵で押し込む。
楊令の黒騎兵、史進の赤騎兵など精強無比な騎馬隊がいくつもあった。呼延凌もそれらに劣らない騎馬隊を鍛え上げてきた。それに秦容の騎馬隊と胡土児の玄旗隊、数は少ないが隙の無い戦ができるはずだ。
「よし、戻るぞ胡土児」
「いよいよ、ですね」
秦容は胡土児を見つめた
「胡土児、お前、やたら落ち着いているな」
「そうでしょうか」
「ま、戦場など慣れているだろうが」
「いえ、久しぶりの戦ですが、自分でも驚くほど落ち着いています」
胡土児が、慎思の陣を見つめた。
「俺はこの吹毛剣で、賊徒三百を討ち果たしました」
「その話は、聞いた」
「その賊徒は、確かに非道を働きましたが、世の状況が違えば普通の若者だったかもしれないのです。宋万を見ていると、そう思わざるを得ない」
「そいつはその賊の頭だった男だな」
「宋万は俺が賊徒を討っていた時、櫓の上で震えていました。虚勢を張っていても、その程度の男でした。しかし今では玄旗隊を指揮し、賊の慰撫に成果を上げるようになりました」
「環境で人は変わる、という事だな」
「はい。今の状況、突き詰めると海陵王一人です。海陵王さえ討てれば、世はもっと良くなるはずです」
「それで?」
「俺は初めて、戦う目的がはっきりしたのです。今まで戦は父の戦場についていくだけでした。確かに命を懸けて戦いましたが、戦そのものの目的は考えてこなかった」
「賊徒三百を討ったことを、悔いているのか?」
「いえ、それを悔いたら、俺は生きてはいないでしょう。ただ、人が殺し合うことは少ない方がいい。ただそう思っただけです」
秦容がふっと笑みを浮かべた。
「それでも、人の世に戦がなくなることはあるまい」
「それでも、俺は、これ以上海陵王の勝手にはさせない」
「遠いぞ、胡土児」
胡土児は頷くと、二人は馬首を返した。