瀬踏みも、対峙もなかった。
梁山泊の歩兵は三千ずつ三段に構え、第一隊が重装兵に突っ込んだ。
重装兵は盾を前面に構え、隙間から槍を突き出してくる。ただ、攻撃は拙い。梁山泊兵は巧みに槍を捌きながら、一枚ずつ盾を剥がしては、重装兵を突き倒していく。
それでも厚い具足に身を包んだ重装兵は、しぶとく踏みとどまろうとする。
「さすがに硬いな」
呼延凌が呟いた。
「通常なら、重装兵が圧倒的に有利でしょうが、梁山泊兵が巧みに大楯を剥がしていっています。時をかければ崩せるでしょう」
高亮が言った。
呼延凌と高亮が二千騎ずつ率いて、丘の上から戦況を窺っている。秦容の隊五百騎と、胡土児(コトジ)の玄旗隊二百騎は丘の向こうに埋伏し、不測の事態に即応する。
寿春の契丹兵は今のところ動く気配はなく、四方十里に軍勢の存在がないことは、斥候の報告を受けていた。
慎思の騎馬隊の所在がつかめていないのが懸念されるが、即応の態勢はできている。
左右の敵の軽装兵が、第一隊の戦闘に介入しようと、挟撃をかけてきた。
「俺と秦容が軽装兵に当たる。歩兵の指揮は任せるぞ、高亮」
呼延凌は片手を挙げると、左翼の軽装兵に突っ込んだ。少し間を置き、秦容が丘の上から駆け下りてくるのを目の端でとらえた。
呼延凌が敵陣に突っ込むと、呆気なく陣は二つに割れた。いや、騎馬隊の突撃を躱かわすように、飛び退く訓練を積んでいるようだ。呼延凌は、騎馬隊を返し、幾度も陣を突き抜けた。
あまり損害は与えられないが、とにかく軽装兵を第一隊に介入させなければいい。
第一隊は、確実に重装兵に食い込んでいる。秦容の隊も、うまく右翼の兵を止めている様だ。
しかし奇妙な部隊だった。指揮官らしき将校が見当たらない。兵の動きは新兵そのものだが、部隊は一つの意思を持って行動している。まるで一万五千が、一つの生き物のように蠢いているように見えた。
ついに第一隊が、重装兵の陣を突き抜けた。第一隊三千は他の重装兵の方陣の中に飛び込む形になったが、堅陣を敷いていた陣形は完全に崩れた。これでは長槍の利は活きない。
第一隊はけものの胃袋を内側から破裂させるように膨らみ、暴れまわった。重装兵が次々と倒れていく。
呼延凌も騎馬隊で突っ込んでいく。力ない長槍は脅威ではなく、重装兵は騎馬を避けられない。
七星鞭が唸りを上げた。五人、十人と重装兵の甲冑を砕いていく。秦容の騎馬隊も突っ込んできて、重装兵の一隊は完全に崩壊した。
「よし、第一隊の陣を立て直せ、次だ」
呼延凌は叫んだ。
その時、別の重装兵の部隊が二つに割れた。中から五百騎ほどが飛び出してくる。
馬甲から具足まで黒で統一された騎馬隊。闇の騎馬隊、という表現がぴったりだった。異様な気を放っている。
その騎馬隊の中央に、大刀を構えた将。その将の放つ気が、戦場を貫いた。間違いない、耶律慎思だ。
「重装兵の陣に隠れていたか」
意外な埋伏だったが、姿が見えればどうということはない。秦容と連携し、押し囲んで殲滅できる。
そう確信した呼延凌が、片手を挙げようとした時、異様な光景を目にした。
慎思の五百騎は、第一隊と呼延凌の騎馬隊を無視して、後方に構えていた第二隊に突っ込んでいった。とてつもない速さだった。しかも第二隊の手前で、各騎が横に広がって突っ込んでいく。
「馬鹿な」
呼延凌は思わず呟いた。いくら騎馬隊でも、歩兵に囲まれれば戟の餌食になる。陣を構えた歩兵に騎馬がばらばらで突っ込むなど、およそ考えられない戦法だった。
しかし、それは信じられない光景だった。
横に広がり突っ込んでいく騎馬隊を、誰も止めることができない。
第二隊の兵が、まるで木偶のように、闇の騎馬の槍で突き伏せられていく。遮ろうとした兵の戟を巧みに躱しながら、槍の一撃で確実に兵の戟を弾き、急所を貫いていく。一騎一騎が信じ難い馬術と武の力量だった。
呼延凌は懸命に追いすがりながら、全身の血の気が引いていくのを感じた。
闇の騎馬隊が第二隊を駆け抜けると、再び縦列になり駆け去っていく。
第二隊三千は、壊滅していた。立っている者は、ほとんどいなかった。
「騎馬五百が、たった一度、駆け抜けただけだぞ。梁山泊軍の精鋭を」
呼延凌の呟きが、むなしく戦場に吸い込まれた。