胡の地より   作:遼心

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張朔は梁山泊水軍の総帥として、かつて南宋水軍と戦った。梁山泊の交易と、水戦は切り離せないものだったからだ。しかし張朔がほんとうにやりたかったことは、母の意思を継ぎ、新たな交易の道を切り拓くことだった。


第百三十七話 決意と覚悟に

 梁山泊の軍人たちは、死に憧憬の念を抱くものが多かった。

 雄々しく死にたい、どうせ死ぬなら官軍や役人に一泡吹かせたい。

 梁山泊の創成期は、人々は世の腐敗に喘ぎ、絶望していた。梁山泊に入山したものは、この反乱が宋を倒し、新しい国ができるなど、夢にも思わなかった者も多かっただろう。いずれは鎮圧され命を落とす。それならば、暴れるだけ暴れて死んでいこうというのだ。

 しかし、同じ死への憧憬でも、愛する者を失ったものは、もっと根が、暗い。明らかに死ぬために敵に突っ込んでいく。林冲や花飛麟は、どう考えても、死ぬために走った。

 しかしその疾駆が、誰かの命を救ったりもする。そこに戦の不条理と哀しさがあった。

  李俊がよく話してくれた男に、童猛という男がいた。童猛と双子の兄である童威は、李俊の弟分で、李俊と共に梁山泊に入山した。 その後、戦で兄を喪くした童猛は、喪失感から部隊指揮を離れ、水師として水深の測量を始めた。

 童猛は水深を測りながら、正確な河や湖の地底図を描き、それは水戦や交易に大いに役立ったという。

 小舟を浮かべて糸を垂らし、少しずつ移動しながら水深を測っていく。その膨大な作業の中で、童猛は浮かび上がった地底の形が、戦で死んでいった戦友に見えたという。そして童猛はその死者に向かって、語りかける。すると死者も語りかけてくる。そうやって死者と喋っていると、いつのまにかその一帯の、詳細な地底図が出来上がっている。

 そんな童猛を、周りは変人扱いし、近づく者はいなかった。童猛はそのことを意に介していなかったし、仲良くなってしまえば、そいつが死んだときに悲しくなってしまうからと、特に若い兵とは親しくしようとはしなかった。

 李俊は童猛の、そういうところを愛していたという。

 張朔は、死が怖かった。だから死なないために、あらゆる準備をする。

 飛礫の技を磨いたのも父が得意としていたから、ということもある。そしてその技が、暗器として自分の命を守ったり、戦を勝利と導くこともあった。

 張朔は、自分は恵まれている、と思うことがしばしばあった。梁山泊の将軍、張清の子として生まれ、梁山泊に守られながら育ち、西の辺境へ旅もさせてもらえた。それがなければ交易というものも知らなかっただろう。 中華の民は、常に飢えと重税に喘ぎ苦しんでいる。そう頭では理解できても、実感が沸かないこともあった。

 梁山泊の好漢たちは、その現実を変えようとして命を懸けた。だから張朔も梁山泊水軍総帥として、戦うことを肯んじた。そこに命を懸けることもできた。

 しかし張朔は生き延びたかった。生きて母瓊英(けいえい)の後を継いで、交易がしたかった。もっと交易の路を広げて、様々な国に行ってみたい。その想いはこの一年、胸の中でどんどん膨らんでいった。

 人はそれぞれ夢を抱き、そのために人生を歩むべきだ。だから戦で人が死ぬなど、人らしい最期であるはずがないのだ。

 敵将だが、死んだ夏悦(かえつ)にも、夢や叶えたい想いは、あったはずだ。

 船尾楼に出てきた夏悦が、自ら首を斬り、血を吹き出しながら船から落ちた。

 夏悦が水に落ち、しぶきを上げた所に、小舟が一艘浮かんでいた。目を凝らすと、幼い自分と、狄成(てきせい)が剣の稽古をしている。二人とも楽しそうだ。

 すると、項充(こうじゅう)が平底船で二人の船に近づいてきた。平底船には赤手隊が乗っている。項充と赤手隊は二人の船に乗り移って、二人と戦い始めた。調練なのだろう。

 どこか微笑ましいその光景を、張朔は見守った。

 戦っていた者たちが、次々と水中に落ていった。項充も狄成もみな水に落ち、水面でもがいている。

 そこに、一艘の船が近づいていく。その船には誰か乗っている様だが、霧がかかりよく見えなかった。水に落ちた者達は、その船に向かって泳いだが、河の流れが速くどんどん下流に流されていく。

「早く小舟を出せ」

 張朔は椅子から勢いよく立ち上がり、叫んだ。轟交館の窓から、一条の朝日が差し込んでいた。その窓に一羽の鳩が佇んでいる。

 張朔はその鳩に近づいて、その足に結ばれていた書付を開いた。

 張朔の夢が、決意と覚悟に変わった。

 

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