十里軍を退げた。すぐに堅陣を敷き、馬抗柵を張り巡らし、斥候を四方に飛ばした。斥候隊には闇の騎馬隊を発見したら狼煙を上げ、すぐに帰隊するように命じた。一通り指示を出すと、呼延凌は今朝の戦を振り返った。
信じられない敗北だった。
歩兵の損害は四千を越え、闇の騎馬隊に突っ込んだ呼延凌の騎馬隊も、二千騎のうち六百程は失った。討ち取った闇の騎兵はおそらく二、三十騎程度だろう。呼延凌自身も無数の傷を負っていたが、戦えない程ではない。秦容の隊と玄旗隊の損害はないようだ。
第一隊は重装兵の突撃を受けたが、第三隊と玄旗隊の援護で、半数は撤退してきた。
高亮は具足を縦に断ち割られたが、棹立ちになった馬が盾になったおかげで一命は取り留め、今治療を受けている。意識ははっきりしている。
「よう七星鞭、まだ生きているか?」
秦容が呼延凌をあだ名で呼んだ。頬の傷は浅いようで、縫ってしまえば問題ないようだ。
「狼牙秦容というあだ名は、変えねばならんかな」
狼牙秦容というあだ名は、かつて童貫(どうかん)が子午山の王進を訪ねた時に、秦容に付けたあだ名だった。童貫は楊令が頭領となった梁山泊との決戦を前に、王進に合うために子午山を訪れたという。童貫はかつて、王進が禁軍の武術師範をしていた時の教え子だった。秦容の父、秦明は禁軍に二竜山を陥され、戦死した。秦容にとって童貫は、父の仇ともいえた。
「いや、狼牙秦容の名は、そのままでいい」
「それにしても、あの騎馬隊は何なのだ。まだ俺の七星鞭がわなないている」
呼延凌が言うと、秦容が大声で笑った。
「強がらなくていい、呼延凌。七星鞭がわなないているのではない。お前が怖くて震えているだけなのだ」
呼延凌は一瞬かっとなったが、すぐに冷静になった。秦容の言う通り、自分でも生きているのが不思議なくらいだった。闇の騎兵の攻撃は正確無比で、何度も味方が身を挺して、呼延凌の身代わりになった。
呼延凌の騎馬隊は、歩兵三千が見る間に討ち取られていくのを見て、心が燃えた。呼延凌の騎馬隊は懸命に呼延凌を追い、猛然と闇の騎馬隊に渾身の力で突撃していった。それでも六百騎も失った。
「しかし呼延凌があの騎馬隊を止めてくれたおかげで、俺は慎思に当たることができた」
「慎思はどうなった?」
「わからん。馬が棹立ちになり、胡土児(コトジ)が突っ込んでくるのが見えたが、一瞬気を失い、気付いたら慎思は消えていた」
胡土児は今、玄旗隊のところだった。示し合わせておくことでもあるのだろう。
「七星鞭、また一戦やるつもりか?」
まだ陽は高い。馬もまだ余力を残している。歩兵は五千をまとめてあるが、即座に二隊、三隊に分けることができる。
「当然だ、このまま退がれば、梁山泊軍の名折れだ」
兵の士気は高い。第一隊を支援して撤退してきた動きも、馬抗柵の設置も、迅速だった。
「やめておけ、兵が、怯えている」
「なんだと?」
「梁山泊の兵は勇敢で精強だ。だから表には出さないが、闇の騎馬隊の得体のしれない強さに怯えている。そして、お前もだ」
呼延凌は秦容に向け、七星鞭を振るった。凄まじい気が、秦容を貫いた。
「秦容、臆したのなら小梁山へ帰れ。止めはせぬ」
呼延凌が秦容を睨んだ。秦容が見つめ返してくる。
「七星鞭、次は、死ぬぞ」
「武人が死を恐れてなんとする。ましてやあれほどの強敵を前にして、戦わずして退くなど、俺の誇りが許さん」
呼延凌は、自分自身が本当に怯えているのか、分からなかった。