すべてが白い。張朔の吐く息も、白に溶けていく。船を打つ水の音だけが、船尾楼に立つ張朔に、微かに聞こえてくるだけだった。
想像していた通りの光景だった。
「進発」
張朔は小声で言った。そばに控えていた致死軍の一人が頭を下げ、音もなく船尾楼を下りていく。
致死軍の兵の名は一人も知らない。知ってはならない、という気がしている。
この霧の中、洪沢湖の中央に百艘の中型船。各船がぎりぎり視認できる距離で縦列に、しかも隠密に集結した。その事実だけでも、梁山泊水軍の力が、少しも落ちていないことを物語っていた。この時のために、張朔はできうる限り、梁山泊水軍で戦ってきた水夫を集めた。
十二挺櫓の中型船。水夫一人一人の力量が揃わないと、本来の船の性能を引き出すことはできない。従って水戦では、まず水夫の損耗を少なくすることが、第一に考えられる。船は失ってもまた建造すればいいが、一人の水夫を育てるには、長い年月を要する。
張朔の乗る旗艦を先頭に、船隊がゆっくり南下を始めた。
金水軍二百余艘は、洪沢湖の東岸に停泊していることが、昨夜の時点で確認されている。おそらく陽が高くなり、霧が晴れてから出港するはずだ。この洪沢湖を南に下れば、すぐに揚州である。
梁山泊水軍は、洪沢湖南端から船を返し、霧に紛れながら百艘をそれぞれ敵船に横付けさせる。そして一斉に赤手隊により制圧、船底に油を撒き火を放ち、離脱する。霧が晴れた後、残りの百艘を水戦で殲滅させる。
作戦に、まず遺漏は無いはずだ。
宣凱からの報告で、金水軍になんと、あの陳武の姿があったという。
その報告を聞いて、張朔はすべての合点がいった。何故金国がこれほどまでに早く、水軍を建設することができ、開戦に至ったのか。
陳武は、旧南宋水軍の造船所の責任者だった男だ。先年の戦の後、行方が分からなくなっていた。その陳式が何らかの形で金国に赴き、旧南宋の造船技術を提供したのだろう。南宋水軍は今、再建の途中である。
梁山泊が事実上消滅し、岳飛亡き南宋は与しやすい。海陵王はそう考えたのだろう。短気で執念深い海陵王なら、水軍新設のめどが立った段階で、開戦に踏み切ったと考えられる。
しかし梁山泊そのものが、消えたわけではなかったのだ。
宣凱は簫炫材(しょうけんざい)と画策し、轟交賈(ごうこうこ)として梁山泊を残すことにした。これは一部の幹部にしか伝えられなかったことだが、宣凱と簫炫材は梁山泊の志を、違う形で実現しようとしている。
それが、どのようなものかは分からないが、宣凱の頭の中には、しっかりとした構想があるようだ。
今海陵王に南宋を併呑されると、轟交賈にとっては相当都合が悪いはずだ。海陵王はおそらく南宋の富を喰らい尽くし、抑圧し、民の生産性は著しく落ちる。中華全土の物流はかつてないほど停滞するであろう。張朔が目指す交易の姿にも、大きな影響をもたらす。ここは何としてでも、海陵王の南進を阻止する必要があった。