「金国が造船、ありえない話ではないが、造船の技術が金国にあるとは思えない。あの兀朮(ウジュ)ですら水軍を造るとは言わなかった。水夫を育てるのにも時間がかかるというぞ」
「候真殿の方で詳しく調べられないのですか」
「致死軍の生き残りの部下はいるが、梁山泊が消滅した今、もう危険な任務はさせたくない。せいぜい商人に扮して外から眺ながめるくらいだ。風玄殿も同じだろう」
「わしも手の者を失ってから、できることは少なくなった」
「仮に金国が造船しているとして、目的はやはり南宋侵攻でしょうか」
「海陵王の性格からしてそれ以外あるまい。南宋の帝、趙構を跪せる夢はすでに明言している」
「南宋は立ち向かえるのでしょうか」
「岳飛殿亡き後、岳霖が岳家軍を継いではいるが、経験では岳飛殿に遠く及ばないだろう。騎馬隊長の孟遷も大将って器ではない。それに今、南宋に水軍は存在しない。南宋水軍は張朔が先の大戦で壊滅させてしまったからな」
張朔は元梁山泊水軍の総帥そうすいで、今は轟交賈(ごうこうこ)の海上交易を担っている。今頃は退屈そうに礫でも打って魚を取っているのだろう。
「なら金国の造船技術が稚拙でも、難なく南宋に侵攻できそうですが」
「侵攻だけなら水軍はいらん。水軍建設には何か別の目的があるはずだ」
「うむ、板の行き先ぐらいは、わしの方で調べておこう」
風玄が細い目を少し開いて言った。候真は風玄の瞳の奥に、底知れない何かを感じた。
「風玄殿、無理はなされるな。貴殿の身に何かあれば簫炫材(しょうけんざい)も悲しむだろう」
「なに、多少身体は不自由になったが、偵察くらいのことはできるじゃろう。それに簫炫材殿はもはや我らの前に姿は見せんよ。個人の感情など無縁のところに沈まれていった」
候真は少し考えて、頷いた。
「簫炫材殿がどのような社会を目指されているのか。僕らでも想像できません。楊令殿の志を受け継ぐ唯一の人物でしょう。彼がいたからこそ、梁山泊を無くすことができました」
「確かにこの館の存在一つとってもその力の大きさを感じる。このような館が中華全土にあるらしいからな。それに凶作に苦しむ荘(村)に、どこからか麦が届けられた、という話も何度か聞いたことがある」
「轟交賈の輸送網はそのまま情報網として機能しています。以前は戦場付近の物流を止めることで、軍の徴発を避け、侵攻を思い留とどまらせる、といった戦術を取っていましたが、今そのようなことはしません。物流を止めれば民はたちまち飢えますし、国に敵対する行動をとると、追及も厳きびしくなりますから」
「確かに昔に比べると、小さな荘でも物が潤沢になっている。轟交賈の物流には、まずは民が飢えないように、という思想を感じるな」
「轟交賈の物流の網は中華全土に広がっています。物の値も、一部の商人に富が集中しないよう、市場に出回る物資の量が調整されています」
「で、金国の動きだが」
「金国が水軍の建設を進めているとして、おそらく南宋侵攻は秋の収穫が終わったころでしょう。それまでに迎撃の体制を取らなくてはなりません」
「宣凱、もう梁山泊はないんだぞ。なぜそこまで金国の侵攻を止めようとする。戦が起きても、轟交賈はあまり影響なく活動できるはずだ。それにこれはお前の独断専行によるものだろう?簫炫材の意に反することではないのか」
「いえ、風玄殿のおっしゃる通り、簫炫材殿はもう我々に表立って指示を出したり報告を求めたりはしません。簫炫材殿の考えを汲くみ、実行するのが私たちです。行動その他の情報は何もしなくてもすべて簫炫材殿に上がります。例えば僕が差配した交易で得たもので私兵を募ったり、兵糧を工面したりすることも何も問題ありません。何千万という民の物流を担う轟交賈の規模で、数万の軍と兵糧は微々たるものですので、轟交賈の組織が機能し、民が飢うえない、という原則のもと活動していけばよい、と考えています」
候真はしばし言葉を失った。轟交賈が、これほどの組織になっていたとは。規模の大きい交易組織くらいに思っていたが、その影響力はすでに国の隅々までいきわたり、国政に影響を与えることもできる。しかし国はその陰すら追うことができない。轟交賈とはいったい何なのだ。候真はそう思わざるを得なかった。
「それにあの海陵王が南宋を攻め、占領したとしたらどうでしょう。彼は南宋の民に凌辱の限りを尽くし、民は地獄の苦しみを味わうことでしょう。南宋はいま岳飛殿の、盡忠報国(じんちゅうほうこく)の旗印でまとまっています。願わくば彼らが金を攻め、漢民族を解放することを望んでいます。おそらく簫炫材も同じ意見でしょう」
中華の歴史は帝にとって替わり、栄華えを極める覇業の繰り返しだった。民の暮らしを見据えた楊令の志や、簫炫材の轟交賈はむしろ異質だ。新しい思想が中華に芽生めばえたといっていい。梁山泊はなくなったが、誕生した意義は確かにあったのだ。
「そして胡土児のことなんだが」
二人が目を向けた。