「陛下に拝謁いたします」
二人が平伏し執務室に入ってきた。
析律(せきりつ)は前丞相撻懶(ダラン)のもとで金国の政務を執ってきた。金国の問題点は、圧倒的少数の女真(じょしん)族が遼の契丹(きったん)族、中華の漢民族を支配している点だ。析律は、性格は臆病だが、粘り強く内政に取り組み、丞相としての才能を開花させた。
阿列(あれつ)は本名を耶律(やりつ)阿列といい、耶律家は契丹族の皇族であった血筋だ。太祖(阿骨打アクダ)が遼を攻めた際、早期に降伏し完顔姓を賜った。阿列は金名を完顔元宜(げんき)というが、海陵王は年の近い元宜を、親しみを込めて阿列と呼んでいた。
阿列は父親の耶律慎思(しんし)とともに武勇に優れ、特に耶律慎思は自領を犯すものには、容赦のない残忍な戦をしたという。阿列は慎思に比べると分別があるようだが、まだ実戦で指揮する姿は見ていない。
「阿列、徴兵と調練の進捗はどうだ」
「は、契丹族、漢族から十万ずつの兵を徴兵し、基礎調練を完了いたしました。あとは実戦を待つばかりです」
「漢族の十万は国内の反乱鎮圧に充てる。契丹族十万の内、三万を騎馬隊として編成せよ。半年以内にあらゆる作戦行動に堪えうる部隊に鍛え上げるのだ」
「御意」
「また、耶律慎思に出仕を命ずる。速やかに開封府に出頭させよ」
「お言葉ですが、父慎思は出仕に応じますまい。すでに隠居し、故郷で静かに暮らしております」
「今は戦時だ。南宋攻略の暁には臨安府(南宋の首都)の太守に任ずる。親子ともども栄華を極めよ」
「わが耶律家は太祖様の戦に惚れこみ、投降いたしました。父の戦は苛烈を極めましたが、実戦から離れること幾年、戦場に堪えうる力は残っておりません」
「親父殿には一度会ったことがある。親父殿から発せられる気は、尋常なものではなかったぞ。叔父が放っていた気にも通ずるものがある。そのようなものは時が去ろうとも変わるものではない。病さえ得ていなければ、戦に大輪が咲くものと私は踏んでいる」
阿列は平伏し、しばし言葉を発しなかった。いままで耶律家を軽視し、北へ封じ込めてきた。それが突然の招聘。その意味を考えているのだろう。
「阿列、本心を話そう。此度の南侵、国の威信と命運をかけておる。今までの其方らの忠心に応え、そなたには禁軍五万の総帥の印を授け、慎思には契丹兵十万の軍を率い、南宋への侵攻を考えておる」
阿列は平伏したまま、肩を震わせた。
「改めて命を下す。其方は禁軍五万、慎思は十万の契丹兵を率い南宋に侵攻せよ。朕は其方と共に臨安府の玉座を目指す」
「御意」
阿列は、力強く返事をした。
「行け、阿列。吉報を待つ」
阿列は一度直立し、踵を返し退出した。
「よろしいのですか。耶律家が力をつけると、後々面倒なことに」
析律がぼそりと言った。
「仕方あるまい。女真の将軍は先の大戦でほとんど失った。南宋を平定したら適当に罪を着せて葬ればよい。それまで耶律家、特に慎思の残忍性は役に立つ」
「では、監視の者を忍ばせておきます」
「それから阿魯、烏帯の一族、粘罕(ネメガ)の子孫を粛清する。謀反の罪を着せ、速やかに捕縛、処断を執行せよ。そしてその妻はすべて後宮に入れるのだ」
「なんと、正気ですか?およそ百二十名はおります。一族を滅ぼすおつもりですか」
「この機に血を糺すのだ。血は朕の血統だけでよい」
「烏禄(ウロク海陵王の従弟、皇太子)様はいかがするおつもりで?」
「奴は暗愚だ。妻が自裁した時も朕に平伏し、命乞いをしおった。もはや何もできまい」
「御、御意」
析律は平伏しながら大粒の汗を顎から滴らせて言い、その声もくぐもっていた。
「恐ろしいか析律、この魔王のごとき所業が。帝王たるもの、己の血にすべてを託さねばならぬ。太祖(阿骨打)の直系の朕のみが血を遺すのだ。後の世の騒乱の芽を摘むためにな。太祖の血が五代、十代と受け継がれれば、それは神聖なものとなろう。誰も犯す事のできぬものとなるのだ」
析律が再び平伏し、大きく息をついた。
「そして朕は南宋を平らげ、叔父の志を完遂させるのだ」
「陛下の御心、肝に命じました。この析律、身命を賭し陛下にお仕えいたします」
「それでよい。朕の覇業、しかと見届けるがよい。誰ぞ、茶を持て」
海陵王が手を叩くと、すぐに卓に熱い茶が用意された。
「ところで析律、あの襤褸の様子はどうだ」
海陵王が話題を変えた。椀に手を伸ばすと、析律も続いて茶を啜った。