胡の地より   作:遼心

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開放に流れ着いた襤褸は、かつての南宋の造船技術の全てを知る、陳武だった。金国はその技術を活かし、水軍の建設を始めていた。


第十八話 襤褸の正体

「は。あの襤褸は、驚くことに、梁山湖に浮かぶ船を見るなりみるみる眼の色を変え、かつての記憶と能力を取り戻したようです。失った言葉も蘇り、工夫に指示を出すようになりました」

「ほう、そのようなことが起こるのか」

 一年前の大戦の最中、開封に一人の乞食が現れた。大通りをぶつぶつ言いながら歩き、時々大声を出したと思えば紙に何かをしたため、そのまま眠る。衛兵が門外につまみ出しても、翌日にはまた大通りにいる。宿の残飯などを漁りながら生きながらえてきたようだった。話しかけても、ぼそぼそと何を言っているのか分からない。

 衛兵が不審に思って、持っていた鞄を検めてみると、訳のわからない設計図のような分厚い紙の束だったという。

 開封にいる学者にそれを見せると、なんとそれは船の設計図のようだった。しかも学者の誰も、その内容を理解できなかった。その報を受けた開封の知府(長官)が燕京に報告を上げ、析律の目に留まった。

 析律は急遽造船の稟議を上げ、許可を受けると、放置されていた梁山湖の造船所を改修し、船を造り始めたのだった。梁山湖周辺は今、厳戒態勢で警備が敷かれている。

 金国に造船の技術はない。かつて南宋侵攻の際は、河に小舟を浮かべて連ね、板を渡して渡渉していた。もし金国に造船の技術が備われば、一気に南宋攻略に勢いがつく。

「それで、襤褸は何と言っている」

「名を陳武と名乗りました。陳武は南宋の造船を指揮していた者です。私はその名を聞いて、金国に天啓が降りたと感じました。陳武は、南宋水軍が梁山泊水軍によって壊滅させられたと聞いて、気が触れたのだそうです。その後の記憶は曖昧で、気付けば開封に流れ着き、それでもなお、造船の工夫は湧き上がり、記録に留めていたという事です」

「では、南宋の造船技術をそっくり頂いたというわけか。水軍建設は金国の悲願であった」

「そう簡単にはいきますまい。造船技術は手に入れても、我が国には水夫がおりません。水夫の育成には長い年月を必要とします。梁山泊も水戦の際には、船よりも水夫の救出を最優先させていました」

「では船を手に入れても、それを扱える者がいない、という事か」

「基本的な操船の技術は、身に付けるに造作ありませんが、外洋にでて交易を成したり、海での海戦はできますまい。此度の南進でできることといえば、せいぜい河の渡渉や、沿岸の航行くらいでしょう」

「戦には使えぬか」

「いえ、陳武の工夫は造船にとどまりません。とにかく梁山泊への復讐に燃えているのです」

「待て、梁山泊はすでに消滅しているではないか」

「梁山泊水軍は健在です。今でも日本から中華、南方への交易は変わらず動いております。私は、梁山泊が完全に消滅したとはとても思えません。何を企んでいるかはわかりませんが、それをおびき出して殲滅できれば、金は水の覇権を一気に握ることができます」

「梁山泊水軍の歴史は長い。そう簡単に行くかな」

「水軍に関しては私にお任せください。陛下は水軍の指揮する将軍をお選びください」

「ふむ。では檀奴(だんと)と、阿里白(ありはく)がよいな。奴らは戦好きで、今は力を持て余しているはずだ。半年間、死ぬ気で操船と指揮を覚えさせろ」

「御意。しかし陛下、金国の戦は本来、女真族がなすもの。支配下の契丹族、漢族は戦での死がない代わりに重い税を課してまいりました。此度の徴兵、民の間で怨嗟の声が上がらぬか不安でございます」

「先の大戦で女真の兵は五万程に減ってしまった。文字通り死力を尽くした戦だった。金国は多くの将兵を失ったが、結果岳飛は死に、梁山泊もなくなった。見方によっては金国の勝利と言えるのではないか、析律。南宋は今、岳飛の軍勢が各地に散りまとまっておらん。南進の機は今をおいてほかにないのだ。何が盡忠報国だ。何が替天行道だ。民のための国など朕は認めぬ。天は陽と雨をもたらし、地は家畜と作物を育て、それを人が統べるのだ。その人の頂点に立つ朕こそが、万物の主である。逆らうものは潰す。それが朕の覇業だ」

 海陵王が窓から眼下に広がる、燕京の街並みを眺ながめた。

 

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