南方は、ちょうど雨期に差し掛かったところだった。一日に四刻(二時間)は激しく雨が降る。雨が止むと水は陽に照らされ蒸発し、霧が立ち込め、一刻ほどでその霧は消えていく。
もう何度この光景を目にしてきたことだろう。秦容(しんよう)は宣示庁の突き出しの、椰子の葉で編んだ椅子に深く腰かけ、昔を思い出していた。南方の建物は高床になっていて、風通しもよく心地よい。
北の大戦が終結し、小梁山に戻ってくると、秦容は歓喜の渦に包まれた。妻の公礼は、子の秦輝を抱きながら人目も憚らず抱き着いてきて、泣いた。秦容は戸惑いながらも、初めて抱いた我が子の感覚が、忘れられなかった。
その後、宴が三日三晩続き、七日を過ぎるころ、ようやく日常の落ち着きを取り戻していった。そのお祭り騒ぎを、秦容は何となく冷めた目で眺めていた。
秦輝は北進の最中に生まれ、すでによちよちと歩き始めている。その姿を見て、単純に父として嬉しく思う反面、妻子の傍そばにいてやれなかったという悔悟の念も込み上げてくる。
それ以上に秦容は戦を終え、何の戦果を残せなかった想いの方が強かった。形としては金軍の総帥、沙歇(さけつ)を討って戦闘は終結させたが、金軍を追撃する余力はなく、秦容も撤退せざるを得なかった。
岳飛は南宋の宿敵、程雲を破り、南宋に抗金の国を建てることには成功したが、己の死期を悟り、南の岳都へ帰還していった。
元々梁山泊の将軍だった秦容は、戦を指揮することに疑問を感じ、軍のすべてを呼延凌(こえんりょう)に押し付ける形で、南方へ来た。目的は甘蔗畑を開墾し、甘蔗糖を生産、梁山泊の交易品として物流に乗せるためである。
二十名ほどの部下とこの地に降り立った時、敵はまず森と水だった。深く濃く広がる森林を切り開き、切り株を引き抜き、降った雨で泥濘にならぬよう上流にため池を作り治水し、飲み水を求め岩を穿った。すべて戦と思い定め死力を尽くした。最初に甘蔗糖ができた時の感動は、生涯忘れることはないだろう。
梁山泊の支援もあり、甘蔗畑は徐々に広がっていった。次第に人が集まり、鍛冶ができ、水田ができ、商店ができ、独自の銭が流通し律もでき、あたかも一つの国ができていくようだった。小梁山と名付けたそのすべてを、朱利という部下に託し、北進の軍を興した。
当時南宋は、南に逃れた岳飛の討伐と、甘蔗糖を狙って南に軍を派遣していた。岳飛と連携し、激戦を重ねながら、やがて南宋を攻略した。
もし岳飛が死なずにいれば、もっと深く語らい、新しい世界が見えていたかもしれない。まるで満ちていた潮がすっと引いていくように、岳飛はいなくなった。
やはり秦容に残ったものは虚しさだけだった。小梁山はすでに、秦容がいなくても運営する仕組みが出来上がっており、重要な決定以外は朱利がすべて決済する。蒲甘がしきりに臣従を求め軍を南下させてくるが、軍は今、呼延凌が率いている。何も心配いらない。
つまり秦容は今、暇なのだ。
戦で死んでいった者たちを想うと、暇などと口が裂けても言えないが、とにかくやることがない。日長一日、椰子の実の水を啜すすり、気が向いたら狼牙棍を振るい汗をかき、小梁山を見回っては友や兵と語らい、日暮れと共に夕食を食い、夜酒を飲んで眠る。人から見れば羨ましい生活に見えるかもしれないが、秦容には耐え難いものでもあった。こんな生活を送るために死力を尽くしてきたのではない。小梁山が発展していくのは喜ばしいことだが、何か魂を揺さぶるものがないか、日々そんなことを考えながら過ごす日々だったのだ。