胡土児(コトジ)が南に十里進むと、玄旗隊が集結していた。蕭尤(しょうゆう)が馬を寄せてくる。
「報告します。賊百余名を討ち取り、駆け去った者が、この山の小径の奥に逃げ込みました。玄旗隊の死者零、軽傷一名」
胡土児は蕭尤を張り倒した。馬から転げ落ちた蕭尤が、すぐに跳ね起き馬に飛び乗った。
「ここからは馬は通れん。俺が先頭で行く。蕭尤は五十でここに残り、後方を哨戒、百五十で賊の根城を目指す。最後尾は耶律哥(やりつか)」
胡土児が小径を進む。人一人通るのがやっとの小径で、それほど急峻な山道ではなかった。所々罠が仕掛けてあったが、足元の縄に引っ掛かると矢が飛んでくるとか、積もった枯草を踏むと縄が足を絡めるといった、いかにも稚拙なもので、森で育った胡土児には、罠を見分けるのは造作なかった。そばの細い木が不自然に撓っている、枯れ葉が意図的に寄せ集められている。その程度の罠、という事だ。
二刻ほど進むと、山門が見えてきた。木の生え方を見ると、その奥は相当な広さがありそうだ。門の傍に櫓があり、その上に賊の姿が数名みえる。
「おい、お前たち、どこの軍だ。よくも仲間をやりやがったな。ここに何しにきやがった」
櫓にいた賊の一人が大音声を上げた。他の賊は櫓の縁に腰かけ、にやにやしながらこちらを見ている。胡土児は何も答えず、近づいていった。
「これ以上来ると、こうなるぞ」
山門が少し開くと、女がひとり飛び出してきた。いや、子供を抱えている。女がこちらに向かって必死に駆けてくる。門が閉じ、櫓の賊が矢をつがえる。
「やめろ」
胡土児が駆け出す。足元の縄に引っ掛かり、矢が胡土児の左肩に突き立つ。構わず女に向かって駆ける。
賊の放った矢が、女を背中から貫いた。胡土児が倒れこむ女の両肩を支える。見ると抱いていた子の躰も、矢が貫いていた。口から血を流した女が胡土児を見て、何かを訴えるように口を動かしたが、言葉にはならず膝を折った。背後の賊が歓声を上げる。
胡土児の中の、黒いものが暴れた。
胡土児は駆け出し、門に飛びつき上端に手を掛けると、門を蹴って飛び込み、中に躍りでた。
傍の賊が驚いてこちらを見ている。腰の吹毛剣を抜きざま、その賊の首を飛ばす。感覚は何もない。目に映る者、そのすべてを斬り伏せる。全身を駆け巡る冷めた心の澱。自分が自分でないようだった。
ふと気が付くと、頬を殴られ、胡土児は地面を転がった。顔だけを起こす。耶律哥の姿があった。耶律哥が泪している。何故だ。胡土児はよろよろと上体を起こした。胡土児の右手には、血に染まった吹毛剣が、握られていた。
「なんてお人だ」
耶律哥はまだ泪している。周りを見ると戦闘は終わっているようだった。胡土児は吹毛剣を放そうとしたが、右手が硬直してうまく離せない。耶律哥が胡土児の右手にそっと手を置くと、一瞬、躰が反応したが、すぐに手の緊張は解け、吹毛剣が地に落ちた。
「俺は」
そう言って耶律哥を見上げると、その左腕は肘から下が無く、血が噴き出している。一人が懸命に耶律哥の傷口と左肩を縛り上げ、止血している。耶律哥はその間もじっと、胡土児を見つめていた。
「ここにいた賊徒、三百余名はほとんど胡土児様が討たれました。この根城は袋小路で、奥に追い詰められた賊は、相当激しい抵抗をしたようでしたが、胡土児様がすべて討ち果たしました」
胡土児は、何も思い出せなかった。
「賊の頭は、櫓から胡土児様の鬼神のごとく戦うさまを見て腰を抜かし、櫓の上で震えていたところを捕らえてあります。玄旗隊は胡土児様が山門の向こうに消えた後、慌てて山門を破壊し突入しましたが、すでに賊の屍が散乱していたので、さらに奥に進みました。最奥部ですべての賊を討ち、立ち尽くす胡土児様を見た私が近寄ったところ、胡土児様が突然襲い掛かってきました。最初の剣を躱し、取り押さえようとした私の左腕を斬り飛ばしたところで、動きが一瞬止まりましたので、拳を打ち込みました」
「そうか、俺がお前の左腕を」
胡土児はようやく身体を起こし、耶律哥の左腕を見た。ほとんど血は止まっているが、未だぽたり、ぽたりと血が滴っている。
「すぐに火を興してくれ」
胡土児は傍にいた一人に言った。
「耶律哥、もう少し我慢してくれ」
耶律哥の顔色が少しずつ青ざめ、目の焦点が合わなくなってきている。胡土児は耶律哥を座らせると、傍に見えた井戸から水を汲み、飲ませた。そして火のついた薪を掴むと、炎を吹き消し、その先端を耶律哥の傷口に当てる。血が沸き立ち、耶律哥が苦悶の表情を浮かべる。薪の火が血で消されると、二本目、三本目と続けた。三本目を傷口に当てようとした時、耶律哥は気を失った。血が完全に止まると、胡土児は傷口に水をかけ、自分の軍袍を短刀で裂いて、傷口に巻き付けた。
胡土児は耶律哥を横たえると、座り込み一息ついた。周囲を見ると玄旗隊が慌ただしく賊の屍を並べている。胡土児は冷静に事を思い出そうとした。