「ここは」
胡土児(コトジ)は、思わず声を漏らした。
「轟交館(ごうこうかん)という施設だ。俺も初めは驚いたさ。決して国に把握されない、秘密裏の施設だ。中華のあらゆるところに存在するらしい。牧は今回の件で新たに増設されたという」
屋敷の前で、一人の若者が全身汗まみれで剣を振っている。片脚が不自由のようだが、踏み込みの勢いには凄まじいものがある。
「やってるな、宣凱(せんがい)。胡土児を連れてきたぞ」
若者がこちらを振り向き、にこりと微笑んだ。
「呼延凌(こえんりょう)将軍、お待ちしておりました。そして胡土児殿も。ようこそ轟交館へ」
胡土児は馬を降り、一礼した。
「胡土児です。お初にお目にかかります、宣凱殿。それにしても凄まじい剣の踏み込みです」
宣凱が一気に破顔した。
「これは、胡土児殿に褒められるとは光栄です。この通り脚が不自由なので戦場には出られませんが、こうして身体を鍛えるために、毎日鍛錬しております」
「立派な技として、完成の域に達しています」
「実はこの技は、遊撃隊の葉敬殿に教わったのです。私の脚が不自由になったころ、史進殿が葉敬殿にこの技を教えるようにと」
「史進殿」
史進の名を聞くと、やはり胡土児の心に、かすかな火が灯る。
「史進殿は今、子午山で隠棲されております。今すぐに、とはいきませんが、状況が落ち着けば訪れるとよいと思います。きっと歓迎してくれますよ」
「その時が来るのを願っています」
胡土児はその想いを、胸にしまい込んだ。
「では立ち話もなんですから、屋敷の中へ」
宣凱が手招いた。
「宣凱殿、不躾ではありますが、まず馬の手入れをさせていただけませんか。数日駆け通しで、ろくに身体を拭いてやることもできませんでしたので」
宣凱が、はっとした表情を浮かべた。
「これは失礼しました。どうぞ裏の牧を自由にお使いください。秣もございます。玄旗隊の皆さんにも、今食事の用意をさせます」
「何から何まで痛み入ります」
「胡土児殿と玄旗隊は、私がお招きしたようなものなのです。ご遠慮なさらずに」
「感謝いたします。して宣凱殿、候真殿はこちらにおられますか」
「いえ、候真殿とはここへ来る途中まで一緒でしたが、旅路の途中、やることができたと言って別れました」
「そうですか、それは残念です」
胡土児は一礼して、玄旗隊を牧へ誘導した。
「胡土児殿、よろしいですか」
牧で馬の身体を拭っていると、宣凱が話しかけてきた。
「何でしょう」
「あの若者の左腕ですが」
宣凱は耶律哥(やりつか)の方を向いて言った。
「これはご紹介が遅れました」
胡土児は蕭尤(しょうゆう)と耶律哥を呼んだ。
「玄旗隊将校の、蕭尤と耶律哥です。
二人が頭を下げた。
「耶律哥殿の左腕を見せていただきたい」
耶律哥が巻いていた布を解いて、宣凱に見せた。
「賊を討ち払っている最中、不覚にも私が誤って斬り飛ばしてしまいました」
宣凱が傷を覗き込む。
「なるほど。この腕、生えてきますよ」
「えっ」
胡土児と耶律哥が、同時に声を漏らした。
「かの岳飛殿が隻腕だったことはご存知でしょう。彼の義手を作った毛定という医師が、南方の岳都にいます。今は弟子が育ったので引退していますが、彼の作った義手を、岳飛殿は終生大事にしておられました。彼に頼めばきっと作ってくれると思いますよ。それはもう見た目が生身の腕と変わらず、戦では刃も防ぐ盾にもなったとか」
三人が顔を見合わせた。
「ぜひお願いしたい」
胡土児が声を上げた。耶律哥は驚いて、言葉が出ないようだ。
「では明日、職人を呼んで耶律哥殿の肩から先を、粘土で型を取りますね。それを焼いて岳都に送ります。少々時間はかかるかもしれませんが、お待ちいただけますか」
「よかったな、耶律哥」
胡土児と耶律哥が肩を叩きあった。
「それともう一つ。胡土児殿が輸送隊長に預けた赤子、一命を取り留めたそうです。幸い、矢が臓腑を外れていたようです。昨日報告がありました。一応父親も探しましたが、見つかりませんでした。あの子はしばらく、轟交賈で預かりたいと思います」
胡土児は思わず尻餅をついて、息を吐いた。こんな日があるのだろうか。
「今日はもう遅いので、今後の詳しい話は明日にしましょう。ささやかながら宴の用意もあります。玄旗隊の皆さんも、牧で申し訳ありませんが、ゆっくりしていっていただきたいと思います」
宣凱の声が、胡土児には遠いもののように感じた。