「昨日、宣凱から梁山泊の変遷を語ってもらった。その中でどうしても分からないことがある」
「それは?」
「楊令が、童貫を討った後、何故速やかに開封府を攻めなかったか、という事だ。宋打倒が梁山泊の志だったはずだ。童貫亡き後、それは容易に成し得たのではないかな」
暫く場が沈黙した。
「さすが胡土児(コトジ)殿、見るべきところを見ています。確かに梁山泊の将は皆そうするであろうと思っていましたし、宋を倒し、楊令殿が帝で呉用殿が宰相の、新しい国が生まれるものと信じていました。そのために死力を尽くして戦ったのです」
呼延凌が口を噤んで目を閉じている。当時を思い返しているのかもしれない。
「しかし実際は冀州一帯を切り取って、梁山泊は小さな国を建てました。そこを物流中心の交易国と成したのです。領土を切り取ったのは、おそらく軍を維持するためだったのでしょう。最低限それらを実現できる広さの領土が、冀州一帯という事だったのです」
「そのどれも、宋を倒した新しい国でもできる、という気がするが」
「楊令殿は帝になることを、心の中で拒み続けていたと思います。楊令殿が帝になってしまえば、それまで中華の歴史で行なわれてきた、血で血を洗う歴史の繰り返しになってしまうと」
「それが覇者の宿命、といえるのではないか?」
「もう一つ重要な事実は、童貫が討たれる、という国としての大事変が起こったにも関わらず、民の蜂起がほとんど起きなかったことです」
「民の蜂起?」
「かつて晁蓋様、宋江様が梁山泊の湖寨に拠ったとき、中華全土には少なからず同志がいました。お二人は梁山泊が反政府の旗を掲げることで、もしくは官軍と戦い続けることで、全国の民が打倒宋に向かって蜂起し、それが燎原の火のごとく広がっていくことを期待したのです。でなければ梁山泊は、一地方の反乱として、潰されて終わっていく運命でした」
「確かに、当時の宋は強大な国だった」
「当時の宋が強大が故、腐敗、不正がはびこり、それは役人ひとりひとりの心の奥底まで根を張っていたのです。いくら呉用殿が宰相になり、民のための国の施策を打ち出したとしても、それを実行する役人が腐敗していたのでは、元も子もありません。かつて王安石が民のための改革を行おうとした際も、改革により利が損なわれる大商人や大地主、高官達の猛烈な抵抗により、実現できませんでした」
「だから国を変えたい、という民の想いがなければ宋を倒しても意味がない、と」
「賊徒の掃討をお願いしたのも、中華の若者の考え方を変えたい、という願いがあるからです」
「賊徒の叛意を煽ればよいのか?」
「いえ、辛い状況でも己を見失わず、希望のために力を使うことを学んでほしいのです。私はいくらかでもその助力がしたい、と考えています」
宣凱の目に、光が宿っていた。
「俺からも一つ言いたい」
呼延凌が目を開いて言った。
「童貫がかつて梁山湖の湖寨を陥落させた後、梁山泊軍は領地を持たない流浪の軍となった。俺の父親の呼延灼(こえんしゃく)はその軍を率い、その惨めさと悔しさを噛み締めていたという。軍人は戦のことだけを考えればいい、という風潮も確かにあった。しかしなぜ戦うのか、その意味を本当に理解したものにしか、出し得ない力があるのも確かだ。この秦容もこれでいて小梁山を一から築いた男だ。人の想いが何たるかを、知り尽くしている。胡土児もしっかり見ているといい」
そう言うと、三人が秦容の方を向いた。秦容は難しい表情をしてうつむいている。いや、眠っている。
秦容の頭に、呼延凌の拳骨が吸い込まれていった。