突然、胡土児(コトジ)の馬が前脚を折った。急峻な斜面に投げ出されそうになり、我に返った胡土児は、咄嗟に両手を馬の首について、逆さになりながら跳躍した。一回転して岩に降り立ったが、勢い余って岩肌を転げ落ちた。ひとしきり転げまわり、ようやく立ち上がることができた。
少し前を駆かけていた蕭尤(しょうゆう)と耶律哥(やりつか)が振り返って、きょとんとしている。
「大丈夫ですか?」
耶律哥が声をかけた。蕭尤は笑いを噛かみ殺している。
「ああ、すまない。ちょっと考え事をしていたようだ」
「お怪我は?」
「怪我はない、だが弓が折れてしまったよ」
胡土児は裂け目の入った弓の弦を外すと、膝で折って投げ捨てた。幸い馬にも怪我はないようで、立ち上がって足踏みをしている。胡土児は馬に乗り二人に駆け寄った。
「今日は私の弓を使ってください。森に着くまでは私が預かっておきますが」
耶律哥が笑いを堪こらえながら言う。蕭尤はさらにこみ上げる笑いを噛み殺すのに必至で、言葉を発することができないようだ。
「お前たち、帰ったら鍛錬で思い知らせてやる」
胡土児が言うと、二人は慌てて前へ駆け去っていった。
三人は森の手前で馬を繋ぐと、奥へ奥へと進んでいった。風が出て、雨も降りだしてきた。
「お前たちついているぞ、風と雨は俺たちの気配と臭いを消してくれる。寒いなんて言ったら晩飯はなしだからな」
「胡土児様、機嫌が悪いからと言って我々に当たらないでください。私が鹿の糞ふんを見たのはもう少し行ったところの水辺の近くです」
耶律哥は、一言多い性格のようだ。図体は大きいが性根がどこかねちっこい。武の鍛錬でも、力は強いが動きが一拍遅れることがある。戦でそれは命取りになりかねない。今後の鍛錬の課題でもあった。
「鹿の行動範囲はあまり広くないといいますから、その水辺あたりで張っていればうまく出くわすでしょうね」
蕭尤は逆に小柄だが身体能力は高い。好奇心が旺盛で、物事を深く考えてから発言するので、軍では副官や軍師に向いているかもしれない。ただ感情的になると見境いがなくなるのが珠に瑕だ。
「そろそろ日が傾き始めるな。鹿は薄暮時が一番行動に出る時間だ。早めに行って潜むぞ」
胡土児は足並を速めた。胡土児も幼いころから狩りに勤んだ。速足でも足音はほとんど立てない。頭や肩はほとんど動かず、うまく鳩尾から下をひねり、膝や股関節を柔らかく使い、常人が駆ける速度でも余裕をもって歩くことができる。横から突き出る枝も速度を落とさず躱かわし、足元の悪い岩場でもほとんど岩が存在しないかのように歩く。二人にも岩山で徹底的に練習させた。この身体の使い方は武術の基本でもあるからだ。ただ、まだ胡土児についていくことはできていない。
二人の速度に合わせながら胡土児は森の奥へと進んでいった。