胡の地より   作:遼心

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候真と羅辰は向き合った。お互いもっと言葉を交わし合うべきだった。しかし命のやり取りの前では、言葉はもはや無粋なものでしかなかった。


第五十二話 拳と掌

 候真と羅辰が、同時に地を蹴る。二人の拳が一閃し、それぞれの頬を掠め、すれ違う。

 候真は振り向き様、右足で跳躍し、その足に身体の捻りの力を加え、羅辰の頭部へ向けて放つ。軽く頭を下げ躱かわした羅辰に、捻りの勢いのまま左の裏拳を叩き込む。

 咄嗟に頭を防いだ羅辰の左腕に裏拳が直撃し、羅辰がよろめく。候真はすかさず間合いを詰め一撃を狙う。

 羅辰は体勢を崩しながらも、右の拳を軽く候真の腹に合わせ、一瞬その動きを止める。候真の拳がむなしく空を切った。

 羅辰はおもむろに候真の首に左腕を回し密着し、右の掌を候真の腹にそっと添えた。候真は慌てて身体をよじって候真の腕を振りほどき、後退った。候真が息を荒げた。

 致死軍の暗殺術。丹田で力を爆発させ、その気を触れたところから相手に注ぎ込み、臓器を破壊する。

 武松の拳の様な硬い拳は、相手の筋骨を破壊するが、この技は身体の内部に作用する。拳を振りかざすような動作は必要なく、密着した状況でも対象の命を奪うことができる。

 例えば街中ですれ違い様にこの技を使えば、あたかも再会を喜び、抱き合っているようにしか見えないだろう。しかし相手は死んでいる。つまり、密着は死を意味する。

「どうした候真。もう疲れたのか」

「まさか。鉄球を打ってもいいのだぞ」

「侮るな。そんな無粋なまねはせん」

 次の一瞬が勝負だ。それでどちらかが死ぬ。候真はそう思い定めた。羅辰もその覚悟を感じ取ったのか、気息を整えた。

「長い月日だった。候真」

「お前とはもっと、語り合うべきだった」

「別れだ。何も言うまい」

 静かに、風が流れた。

 候真は地を蹴り間合いを詰め、羅辰の人中(鼻の下の急所)に向け右拳を弾く。羅辰は右腕で候真の拳を跳ね上げた。候真は拳が上方に弾かれる力を流し、右肘を曲げる。そして全気力、全体重を地面に向かって 爆発させ、踏み込むと同時に肘を羅辰の胸に叩き込んだ。羅辰の胸骨が砕ける感触が、はっきりと伝わってきた。

 そして次の瞬間、候真の腹に衝撃が走った。腸(はらわた)が破裂した、候真はそう感じた。見ると腹に羅辰の掌が触れている。

 二人は同時に膝をついた。それも耐え難くなると、手をついた。

「候真、お前、手を抜いたな」

「いや、全てを注いだ。お前こそ。俺にはまだ、息があるぞ」

 言葉が途切れ途切れに漏れる。二人は懸命に息を吸おうとし、吐こうとした。

 すると身悶えする二人の懐から、潰れた二冊の『替天行道』がずり落ちてきた。二人はそれを見ると、呼吸するのも忘れ、お互いを見合った。くっくと笑おうとしたが痛みでできず、思わず地面に転がった。

「宋江と晁蓋に、救われたようだな」

しばらくして羅辰が言った。

「宋江様、晁蓋様と言え。羅辰」

「まだそれを言うのか。候真。お前はもう、自由なのだ」

 候真は何を言われたのか、分からなかった。とにかく躰はしばらく動きそうもない。今は大人しく転がっているしかないようだ。だが候真は、自分が死なない事だけは、はっきりと分かった。

 

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