候真が目覚めると、あたりはすでに暗くなっていた。そばで焚火が焚かれ、羅辰が薪をくべていた。
「もう動けるのか、羅辰」
言葉は、はっきりと出すことができた。
「俺は胸骨が折れただけだからな。お前は腸(はらわた)がやられている。しばらく寝ていろ。だがお前が眠っている間に、丸薬を尻の穴から突っ込んでやった。これで明日には起き上がり、水も飲めるようになるだろう」
「爺の尻に、勝手なまねをするな」
「化け物は、何をやってもいいのだよ」
羅辰が、覆面の下で笑ったような気がした。
「お前は化け物ではない。俺の友、羅辰だ」
焚火の火が、一度爆ぜた。
「ようやく自由を手に入れたな。候真」
「不思議な気分だ。心が軽い」
「梁山泊や替天行道が心の支えであることはわかる。しかしそれに心を支配されてはならん。替天行道の志を胸に、お前は自由に考え、自由に行動すればいいのだ」
「羅辰。お前はその想いに至って、象山の焼き討ちを決行したのか?」
「さあな。俺は象山で死ぬつもりだった。だが生きてしまったので、いろいろ考えるようになったのかもしれん」
「やっぱり聞かせろよ。あのとき何があったかを」
羅辰はしばらく、目をつむっていた。
「俺は兵糧を納入する商人に扮し、造船所に潜入した。倉庫まで運べと言われ、結構基地の奥まで入ることができた。倉庫まで辿り着くと、百五十名は隠してあった油と武器を取り一斉に散った。造船所はすぐに火の海となったが、兵の数も多く、仲間は次々と討たれていった」
「象山の造船所の警備は厳しく、俺の致死軍は潜入はおろか、規模を確認することすらできなかった」
「火の勢いが増し、消火が困難になったのを確信すると、俺は兵をかわしながら脱出を試みた。しかし行く手は火の壁に阻まれ、後方には兵が押し寄せてきた。俺は迷わず火の壁に突っ込んだ」
「焼き討ちで進退が極まったときは、火に向かって駆けた者が助かる。以前、狄成殿が言っていたな」
「そうだ。俺はその言葉を信じた。当然、全身火達磨になりながら駆けた。髪や服は燃え、熱だけが俺を支配した」
「それでも駆けられたのか?」
「死んで当然。そう思うと、熱も苦しみも、受け入れられた。唯一受け入れられないこと、それが駆けることを止める事だった」
羅辰は一度、死を経験したのだ。候真はそう思った。
「しかし俺が覚えているのはここまでだった。気づくと俺は漁師の家で横になっていた」
「助けられたのか?」
「ああ、その漁師はなかなか豪胆な親父でな、小さな娘と暮らしていた。あの日、造船所から火の手が上がると、小船で様子を見に行ったらしい」
「普通は闘争や騒ぎがあると、民は引き籠るものだがな」
「その親父は過去、妻を兵士に攫われて、犯された挙句に殺されたらしい。それ以来、軍を憎み、もし兵士が流されてきたら、銛で突いてやる気だったのだ」
「今の時勢、なくはない話だな。役所に訴えても、軍が相手だから聞き入れられなかったのだろう」
「そしたら火達磨の人間が海に落ちていったので肝を冷やし、すぐ助けに行ったという。俺は十日程、生死を彷徨った。普通は死ぬほどの火傷だったが、娘は泣きながら俺の身体をずっと布で拭っていたらしい」
「その娘、必死だったのだな」
「俺が回復したことを、心から喜んでいた。生活に余裕もないのに、わざわざ街まで薬を買いに行っていたようだ。俺は礼として銀一袋を渡そうとしたが、親父は頑として受け取らなかった。俺が無理に渡そうとすると、薬代だけは、と渋々銀一粒受け取ったがな」
「民の心が豊かなのは、いい国の証だ」
「それは南の民だからだ。北ではそうはいかないだろう。北の民の顔色はいつも暗い」
「北の民は、もう限界だろうな」
海陵王の暴政は止まることを知らない。それは街を歩くだけでもよくわかる。市場に物は溢れているが、行き交う民はあまり品を見ることなく過ぎ去っていく。たまに羽振りのよさそうな役人だか商人だかが、供回りを引き連れて闊歩してゆく。見ていて反吐が出そうな光景だが、見慣れてしまっていた。
しばらく二人は、焚火の火に見入っていた。