「胡土児(コトジ)、遅れるな」
胡土児が懸命に呼延凌の背後に喰らいつく。呼延凌の馬の軌道に瞬時に反応するが、どうしても馬の挙動が半拍遅れる。そして少し膨らんだ呼延凌の騎馬隊の腹を、秦容の騎馬隊が突っ込んできて瞬く間に崩していく。
呼延凌は片手を挙げ、調練の休止を伝えた。胡土児が呼延凌に馬を寄せる。
呼延凌が、胡土児の頭を張り倒した。胡土児は勢い余って落馬したがすぐに跳ね起き、馬に飛び乗った。その胡土児の首筋に、七星鞭が突き出された。呼延凌の目が烈火のごとく燃えている。
「貴様、同じことを何度も言わせるな。これで何度遅れた」
「三度」
「それが何を意味するのか、お前に分かるか」
「味方が三度、全滅した」
「全滅、ではない。この二百の兵の命が全て、三度も死に絶えたのだ。すなわちお前は味方の兵六百を殺した。そういうことだと思え」
胡土児には返す言葉が、見当たらなかった。
連日、梁山泊騎馬隊の調練が続いていた。金国に場所を悟られないために、場所や規模はまちまちだが、あまり多くの兵が会することはできない。せいぜい二百から五百の騎馬隊の遭遇戦の調練だった。
それでも梁山泊騎馬隊の実力は想像以上だった。騎馬隊というよりは、騎馬の集団がまるで一頭のけもののように一丸となって原野を駆ける。先頭の呼延凌が頭脳となり、その意思を瞬時に騎馬隊が読み取り、手足となって実現していく。そんな気さえした。
胡土児はまるで異物かのように、その動きから弾き出される。こんな体験は胡土児にとって、初めての事だった。
「本来貴様のような奴は調練から外される。だが、もう一度だけ機会をやろう。次、同じように遅れたなら、玄旗隊¥を連れて蒙古へ帰れ。いいな」
呼延凌は胡土児を一瞥し、再び騎馬隊を分け調練の準備を始めた。
「おいおい、あんな言い方はねえだろう。呼延凌の奴、いつになく熱くなっているが」
秦容が、馬を寄せてきて言った。
「いや、秦容殿、実際俺が肝心なところで半拍遅れたせいで後続が詰まり、隙ができました。呼延凌殿の言葉には、戦場でいかに兵を死なせないか、という想いを感じます」
「お前、真面目だな。何ならあいつが夜寝込んだところを、拳骨でも喰らわせてきてやろうか?」
それを真面目な顔をして言う秦容に、胡土児は苦笑した。
「お気遣いなく。今度こそあの速さに付いていって見せます。こんな騎馬隊の調練に参加できて、むしろ心が躍るくらいです」
胡土児はそう言うと微笑み、呼延凌の後を追った。秦容が胡土児の背中に鼓吹した。
再び調練が開始された。なだらかな丘を挟んで睨みあう。呼延凌と秦容は馬を駆けさせながら、相手の虚を突く構えを見せる。
この騎馬隊の速さの秘訣は何か。胡土児は呼延凌の背後をよく観察した。梁山泊騎馬隊は指揮官の挙動を瞬時に馬に伝えている。身体の使い方か、馬への伝達の仕方に工夫があるはずだ。馬の質に大差はない。旋回では遅れても、直進では呼延凌の馬に追いついている。
呼延凌が疾駆しながら、わずかに身を屈め右に旋回した。
「手綱」
思わず胡土児は呟いた。呼延凌は馬に進行方向を伝えるのに、手綱を引いていない。通常は行きたい方向に手綱を引き馬に伝える。それをしていない。
と、いう事は。できるか。いや、やるしかない。
二頭の騎馬隊は徐々に速度を上げ、目まぐるしく絡み合う。この三度は呼延凌が機を掴み、急旋回する刹那にいつも遅れていた。
呼延凌が不意に身を屈め、左に寄った。
今。
胡土児は腿でめいっぱい鞍を締め、左に体重を傾けた。頼む、こっちへ行ってくれ。胡土児は祈った。馬は胡土児の祈りを感じたかのように左に旋回する。呼延凌のすぐ背後。
そのまま胡土児は馬を責め、呼延凌に並んだ。正面には秦容がこちらに向かって駆けてくる。そしてこちらを見る秦容の目が、剥いている。
そのまま呼延凌と二騎で、秦容を挟み込むように駆けた。すれ違い様、七星鞭と胡土児の棒が一閃した。
秦容は攻撃を防ぐのが精いっぱいで、身体が宙に浮いて地面を転がった。そして秦容の騎馬隊が次々と突き落とされていく。
騎馬隊が駆け抜けると、呼延凌が右手を上げた。
「よし、胡土児、それでいい」
呼延凌の馬が一度、棹立ちになった。
「腿を締めて馬に方向を伝える。今まで考えにも及びませんでした」
「よくそこに気が付いた。昔、徐寧という騎馬隊長が考案した長槍隊というのがあった。馬上で長槍を両手で扱うため、腿の締め付けだけで馬を御す騎馬隊だった。実際やってみると、馬への意思の伝達が迅速になるほか、武器を使いながら片手で指示も出せると、いいことばかりであった」
「梁山泊騎馬隊の速さの秘訣、ですね」
「もちろん習得には厳しい鍛錬が必要だが、お前はこの短い調練でそれを習得した。普段からよく馬と語り合っていたようだな」
「玄旗隊に、良い土産ができました」
胡土児が微笑む。呼延凌は馬を返し片手を挙げると、騎馬隊が散会していく。今日の調練はこれで終わりらしい。呼延凌が駆け去ってゆく。
胡土児は腿を締め上げる感覚を反芻した。そこへ秦容が馬を寄せてくる。
「なんだ呼延凌の奴、やたら上機嫌だな。さてはあいつ、俺に三度もやられたので不機嫌になっていただけじゃねえのか?」
「秦容殿、お怪我はありませんか」
秦容がおう、と笑った。この笑顔に胡土児はいつも狼狽する。この感覚は一体何だろう。懐かしい様なくすぐったいような。故郷で共に暮らす兄弟と話をしているような気さえするが、胡土児には実感のない感覚だった。