「胡土児(コトジ)、吹毛剣(すいもうけん)を見せてはくれないか」
呼延凌が穏やかな口調で言った。胡土児は腰に佩いていた吹毛剣を手に取ると、呼延凌に差し出した。受け取った呼延凌は静かに鞘を払った。鈍い光を放つ吹毛剣は、焚火の灯りを映し、ゆらゆらと生き物のようにうごめいているように見えた。秦容も覗き込んでいる。
「宋江殿の血を吸い、岳飛と兀朮(ウジュ)の腕と脚を斬り飛ばし、そして人の寿命よりも遥かに長い年月、戦場を斬り裂いてきた剣が、今なおこの輝きを放つのか」
「手入れは欠かさずしていますが、磨くたびに光の強さが増すような気がします」
「胡土児、お前はこの剣を持つ意味を探す、と言っていたな」
「この剣は史進殿から受け取りました。何も言わずに受け取れ、と。そして候真はこの剣を持つ意味を知れ、と言いました」
「吹毛剣を持つ意味、か。この剣は楊令殿の死後、長らく梁山泊聚義庁で保管されていた。しかしお前が楊令殿の遺児であると判明すると、統括である宣凱がお前に託すべきだと言ったのだ」
呼延凌は吹毛剣を鞘に納めると胡土児に返した。するとそれまで場を支配していた、艶やかな気配が消えた。胡土児が吹毛剣を腰に佩いた。
「俺はただの一振りの剣、そう思っています」
「剣自体は、だ。ただその剣には様々な人間の想いが込められているのも、また事実なのだ」
「その想いは俺には無縁のものです。ただ候真がこの剣のことを伝えに来なければ、俺は住んでいた岩山を海陵王の軍に攻められ、命を落としていたでしょう。そういう意味でも俺は海陵王と決着をつけることで、この剣を持つ意味を知ることができるのではないか、と思っています」
「誰も梁山泊の想いを、お前に押し付けたりはしない。それだけは覚えておいてくれ」
呼延凌は酒を呷った。呼延凌もまた、楊令やこの吹毛剣に、何か想いがあるに違いない。しかしそれは決して表には出さないだろう。
「俺も海陵王だけは気に食わねえ。昔から戦はとんと駄目なくせに、やたら出張ってきやがる。一発ぶん殴ってやらないことには気が収まらんぞ」
秦容が肩を怒らせて言った。
「秦容殿にはまず、耶律慎思という老将がいますよ」
「ふん、爺の相手なんていつまでもしていられるか。おい呼延凌、慎思の野郎をやったら返す刀で開封府を攻めるってのはどうだ?」
「お前は敵を飲みすぎる。そのうち痛い目に遭うぞ」
秦容は横を向いて酒を呷った。
「ところで呼延凌殿、林冲騎馬隊はどういう騎馬隊だったのでしょう」
「おお、林冲殿か」
「恐ろしい騎馬隊を率いていたそうですが、宋軍三万をたった五百騎で潰走させたとか」
呼延凌がしばし目を閉じた。
「俺も直接見たわけではないが、宋江殿が江州で所在が割れ、河の中州に閉じ込められ三万の兵で包囲されたところ、林冲騎馬隊が敵の予想より一日早く到着し、そのまま三万を潰走させたという」
「何なのでしょう、その速さと強さ」
「志と覚悟の賜物、と言えるだろう。だが俺は三万を五百騎で潰走させる、そんな騎馬隊は存在してはならぬ、と思っている」
「存在してはならない?」
「林冲殿はいつも死に急いでいた。林冲殿の戦の記録を見るたび、俺はいつもそう思った。死地に飛び込み、生を拾うような戦い方だ」
「武人としては、勇敢で誉れ高いことだと思いますが」
「胡土児、戦とは本来禍々しいものだ。人同士が殺しあうのだからな。戦に誉れや喜びを感じてしまう武人は、本当は悲しむべき人なのだと思う。林冲殿も騎馬隊を創設する前に、妻を青蓮寺の謀略により亡くしている。愛する者の死は、人に拭いようのない翳を落とす。俺はそうやって哀しみを拭い去れず、死地に飛び込み死んでいった同志を多く見てきた」
呼延凌は平静としているが、呼延凌がその胸に込み上げてくるものに、必死に堪えようとしているのが、胡土児にははっきりとわかった。
「それでも呼延凌殿は、七星鞭を振るわれようとしている」
「ここで海陵王を止めねばより多くの民が不幸になる。心を鬼にするしかあるまい。だが俺は武人である前に、人でありたいと思う」
呼延凌が薪をくべた。焚火の火が、火の粉を散らす。
胡土児は父に言われた、吹毛剣で梁山泊の兵を斬れば、人ではなくなる、という言葉を思い出した。
人の想いや志というのは、硬い岩のようなものではなく、きっと柔らかく形を変えやすいものなのかもしれない。常に己の心に注意を払い、想いや志が哀しみに潰れてしまわないようにしなければ、潰れた志はこの焚火の火花の様に、一瞬で燃え尽きてしまうのだろう。