胡の地より   作:遼心

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胡土児と呼延凌、秦容は焚き火を囲んでいた。焚き火の柔らかい火が三人の心をほぐしていったのか、お互いの胸の内が、ひとつひとつ漏れてくる。しかしその優しい空気が、不意に血の匂いに変わった。


第五十八話 七星の夢

「俺はよう、胡土児(コトジ)」

 秦容が、焚火のそばに横になりながら言った。

「俺は昔、軍の全てを呼延凌に押し付け、無理やり退役し南方へ開拓に出た。一応甘蔗糖という交易品を作る目的はあったが、多くの同志の死に耐え切れず逃げだした、ともいえる。だが今こうやって再び共に戦うことになったが、不思議にあの頃のような不安や恐れは感じない。心の陰も、時が解決してくれることもある。だからお前も戦で何が起きても、自分を見失わないようにしろよ」

 秦容の語りかけは、まるで弟を諭すかのようで、胡土児を優しく包み込んだ。胡土児はしばらく焚火の火を見つめながら、酒を呷った。

 不意に場の気配が変わった。血の匂い。森を突き抜け誰かが向かってくるが、危険な気は発していない。

「胡土児様、面目ありません」

 蕭尤(しょうゆう)だった。胡土児の前に倒れこんできた蕭尤の顔は痣だらけだった。

「何があった」

「ある賊の頭領のひとりに。耶律哥(やりつか)殿と玄旗隊数名に負傷者が出ましたが、死者は出ておりません」

「たった一人にか」

 蕭尤の話では、その賊の頭領は千名もの若者を引き連れているらしい。こちらの語りかけにも全く応じず、近寄ろうとしたところいきなり暴れ出したらしい。その膂力は凄まじく、瞬く間に玄旗隊が倒されていったらしい。こちらに殺意がないことを感じたのか、武器は使わず、拳で打ちかかってきたそうだ。 

「面白いじゃねぇか。俺が行って立ち会ってやろうか」

 秦容が上体を起こし、興奮気味に言った。

「いえ、これは玄旗隊の問題です。俺が行きましょう。蕭尤、場所はどこだ」

「少華山です。胡土児様、油断なきよう」

 蕭尤はそれだけ言うと気を失った。胡土児にはにわかに信じられないことだが、ともかく行って確かめない事には何も分からない。

「秦容殿、蕭尤を頼みます。俺は今から発ちます」

「おう、でも一人で行くつもりか?」

「はい、玄旗隊を率いていっても警戒されるだけでしょう。それに話を聞いていると、無法を働く輩でもないような気がします」

「胡土児、気をつけろよ」

「はい、呼延凌将軍。玄旗隊は牧で待機と、蕭尤に伝えてください。では」

 胡土児は二人に頭を下げると、馬に飛び乗った。

 

 胡土児が駆け去ると、秦容は呼延凌の椀に酒を注いだ。

「秦容、胡土児をどう思う?」

 呼延凌が声を腹から絞るように言った。

「紛れもねぇ、楊令殿の息子だ」

 秦容も酒を呷った。

「顔はあまり似てはいないが、騎馬を駆る姿など瓜二つだ。その姿、胸に込み上げるものを感じる」

「おい、呼延凌、まさか胡土児を担ぎ上げて、梁山泊を再興させようってんじゃないだろうな」

 秦容が息巻いて言うと、呼延凌がふっと微笑んだ。

「志あってこその梁山泊だ。残念だが胡土児には未だそれがない」

「確かにな。こればっかりは胡土児の心の問題だ」

「きっと兀朮(ウジュ)の愛情をたっぷり受けたのだろう。ある意味、幸せなことなのだが」

「楊令殿は幼いころ、二度も両親が目の前で殺された。絶望の底から人生が始まった、といっていい」

「仇を討つ、というよりただひたすらに強くなりたい、そういう子供だったらしい」

「胡土児は何を想い、戦おうとしているのだろうな」

「志とは何か、それを見つけようとしているように思う。海陵王との決着がつけば、何か答えを見つけるのだろう」

「俺は早く慎思と戦いたくなってきた」

「俺たちも戦い続けて、老齢と言えなくもない年になってきた。もう一度『替天行道』の旗を掲げて戦場を駆け巡る。そんな妄想の一つくらい、抱いてもいいのではないか?」

 呼延凌が笑って言った。秦容が無邪気に草の上に寝転がった。見上げると、月はいつまでも艶やかだった。

「胡土児様」

 蕭尤がうめき声を上げた。

「お、蕭尤、気が付いたか」

「胡土児様は」

「胡土児は賊のところへ駆けて行ったよ。お前、いい大将に巡り合えたな」

 秦容が、笑って言った。

「胡土児様は、胡土児様です」

 蕭尤はそれだけ言うとまた気を失った。いや、傷が痛むというよりは、ここまで駆け通しできて、疲れたのだろう。すぐに蕭尤の寝息が聞こえてきた。

 

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