一刻(三十分)ほどで水辺に出た。森がやや開けていて川が穏やかに流れている。胡土児(コトジ)は周囲を見渡した。
「よし、ここだな。二人はあそこと、あそこの木に登って潜め。俺はそこの木の陰に毛皮をかぶって腹ばいになるから葉を被せてくれ。あと耶律哥(やりつか)、弓」
弓、という言葉に二人は同時に顔を伏せた。しばらくこの話でからかわれることを思うと、反吐が出る。胡土児は耶律哥が顔を伏せたまま差し出した弓をひったくると、木の陰の土に二つ、足で穴を穿ち、毛皮をかぶって腹ばいになった。
「よし。葉を被かぶせてくれ。そうしたら木に登り潜め。水辺から目を離すなよ。そして木と一体になれ。狩りの基本は自分が自然の一部となることだ。二人のどちらかが動いて獲物が逃げたら、まずそいつを射るからな」
二人は葉を被せると、木に登って行った。そしてひたすら待った。吹く風と、わずかな雨音だけの世界になった。
へくし。
蕭尤(しょうゆう)が盛大にくしゃみをした。胡土児は伏せたまま弓を放ち、蕭尤の足元の木の幹に矢を突き立てた。しばらく幹が揺れ、やがて静かになった。耶律哥が登った木は、静寂そのものだ。
それから二刻ほど待つと、かさかさと葉を掻き分ける音がした。三頭の雌の鹿が水辺に駆けてきた。二頭は大鹿で、一頭は小鹿だ。三頭はしばらく周囲を見渡して、並んで水を飲み始めた。胡土児はやや斜め後方からそれを見ていた。距離はおよそ十丈(二十メートル)程か。胡土児は一番手前の大鹿に狙いを定めた。
胡土児は鹿を見つめたまま、ゆっくり両手を腰の位置に持っていき地面を押す。身体を左に寄せ、ゆっくりと右膝を曲げ、右膝をさっき穿った窪みに入れた。続いて身体を右に寄せ、同じように、今度は左足部を窪みに入れる。次に前においてあった弓矢を掴み、地面と水平に矢を引き絞しぼる。引ききったところで呼吸三つ。気息が整う。
胡土児がおもむろに起き上がる。背負った葉が、はらはらと舞い落ちた。膝立ちになると同時に矢を放つ。その気配を感じ、振り返った大鹿の眉間みけんに、矢は吸い込まれていった。他の鹿は気配を感じ、即座そくざに駆け去っていく。眉間に矢を受けた大鹿は、しばらく胡土児を見つめたまま、ゆっくりと横倒しになった。
「すごい、たった一矢で」
蕭尤が木から飛び降りていった。耶律哥も降りてくる。
「どうやったんですか。なんで」
蕭尤は興奮して喚きたてた。胡土児は一発、蕭尤の頭に拳骨を突いた。
「落ち着け。いいか。当てやすい胴に矢を当てたとしても、鹿は力尽きるまで逃げてしまう。それを森の中で追いかけることは難しい。罠にはめて身動きを止めたとしても、もがき苦しんだ鹿は肉が硬くなり、うまくない。鹿はこうやって警戒心を抱く前に、一矢で頭部を射て、絶命させるのが一番うまい肉がとれる」
二人が、胡土児を見つめて何度も頷うなずく。
「そして狩りは一対一の勝負だ。一矢で仕留しとめられなければ俺の負けだ。こいつは俺との勝負に負けたのだ。こんな風にうまくいくのは十の内、五か六だろう。なので、こいつの肉はありがたく頂くことにしよう」
胡土児が微笑ほほえむと、二人は興奮してはしゃぎまわった。その姿を見ると、やはりまだ子供なのだ、と胡土児は思った。将来のことを考えるのは、まだ先でも遅くないのかもしれない。
「早速解体するぞ。今日はここで野営だ。解体が済んだら二人は乾いた薪を見つけてきてくれ。まだ濡れていないのがあるはずだ」
胡土児は素早く大鹿の解体に取り掛かった。まず幕を取り出すと木に縛しばり付け、雨よけを作った。雨はさほど強くないが肉は極力濡れないほうがいい。
獲った鹿をその下に逆さに吊り下げる。首周りを刃物で切って血を抜くと同時に、皮を剥いでいく。血は下に穴を掘って溜めておく。腹を割さいて臓を傷つけないように取り出す。肩甲骨と股関節に刃物を入れ、脚を外す。解体はものの半刻で終わった。
「肝と心の臓だけは、今日焼いて食べたほうがいい。あとはやっておくから二人は薪を頼む」
二人は頷くと森の中へ消えていった。胡土児は大鹿の腸を水辺で丹念に洗った。次に脚を一本、平たい岩に乗せ、大き目の石で肉を骨ごと砕く。砕かれたものに、たっぷりの香料と血を少し混ぜて捏ね、腸に詰めていく。 所々蔓で縛って、葉でくるんで幕の下に穴を掘って置いて、土をかぶせた。
ほとんど陽も落ちかけたころ、二人が戻ってきた。