胡の地より   作:遼心

60 / 63
胡土児は賊のいる少華山へ。賊の根城は胡土児を拒むことはなかった。そこにいた一人の巨躯。その眼差しに、胡土児は惹き込まれた。


第五十九話 純真さに

 少華山。ここは叛徒の象徴的な場所となっていた。古くは梁山泊の史進が拠っていた山だ。山全体が物々しい争いの気配を帯びている。

 胡土児(コトジ)はゆっくりと馬を進めた。特に罠が仕掛けてあるわけでもなく、むしろ山頂へ誘われているかのような気さえした。

 千名の賊徒と言うと、さすがに地方軍の討伐の対象になりそうなのだが、今のところ軍に動きはない。金国の南進が近いことが関係しているのかもしれない。

 一刻ほど森の中を進んだ。斥候にさえ出くわさない、という事はそれほど統率が執れているわけではなく、ただ何となく集まった、という程度の賊なのかもしれない。

 銀号鎮の賊徒たちはそれなりに緊張感もあり、賊徒の連帯感も感じられた。

 呆気なく山門に辿り着いた。さすがに門は閉ざされ、櫓の上の賊に誰何されたが、胡土児は応えなかった。山門の向こう、ただならぬ気配を感じる。

 おい、臆病者出てこい。先日俺の部下をかわいがってくれた礼をしてやる。

 胡土児はそう念じ、気を放った。

 しばらくして、地響きのような足音が伝わってきた。駆けているのか、ものすごい速さだ。しかも重い。山門の内側まで迫ったと思ったら不意に門が揺れ、影が門の上に降り立った。

 巨躯。山門の上に立つその男に、胡土児はただ圧倒された。男は太陽を背にしているため、表情は伺い知れないが、とにかくその圧倒的な気の勢いは、今まで胡土児が感じたことのないほど巨大だった。男の大きな目が、胡土児を見下ろす。

 しばらくすると男は山門の内側へ飛び降りた。そして、山門がゆっくりと開いた。どうやら入ってこい、という事らしい。胡土児は馬を降り、山門の中へ入っていった。

 山門の中の広場にはすでに賊徒たちが集まり、胡土児をぐるりと取り囲んでいる。そしてその中央にあの男。こうして正対すると、よりその身体の大きさが際立つ。背丈は胡土児よりも、頭二つは高い。剣は佩いておらず、丸腰だ。

 およそ身体の大きい男は、普段人を見下ろす為、猫背になり性格も茫洋、動きも緩慢になる傾向があるが、この男は胸を張って威風堂々としている。動きも相当速いだろう。実際あの山門の高さを軽やかに跳躍したのだ。

 男は首だけを曲げて、胡土児を見下ろしている。その眼差し。瞳は純真そのものだが、その奥にどこか哀し気な光を宿している。見れば周りの賊徒たちも、威圧的ではあるがどこか翳を感じる。そして誰も声を発しない。

 胡土児は腰に佩いていた吹毛剣と、斜律里の剣を外し、ゆっくりと地面に置いた。語り合うつもりはない。ただ、ぶつかるだけだった。

 お互いほぼ同時に飛び出した。全身全霊で拳を打ち、躱し、蹴り、受ける。男は動きも純真そのものだった。武による鍛錬ではなく、けものの様に天性の勘のみで動いている。拳筋は容易に読めるが、胡土児はあえて隙を突くようなことはせず、その純真さに応えた。

 どれほど打ち合ったか。男は汗にまみれ、肩で息をしている。一方胡土児には、まだいくらかの余裕があった。

 男の膂力は凄まじいものだが、その分力みも大きく、体力の消耗が激しい。

 胡土児の身のこなしは、武の鍛錬によって身に付けた特殊なものだ。拳を打つ瞬間、躱す刹那、一瞬のみ爆発的な力を発揮し、それ以外は極限まで力を抜く。そうすることで体力の消耗を押さえ、体格以上の力を発揮することができる。玄旗隊との長年の組打ちで身に付けた技だった。

 男の目が燃えた。渾身の拳。胡土児は紙一重でかわし、男の懐に潜りこんだ、というより寄り添うように歩み寄り、男の肩に手を置いた。男は息を荒げ膝をつき、うつむいた。

 男がひとしきり息を吸うと、おもむろに立ち上がり、胡土児を見つめた。その肩と目は震え、今にも感情が爆発しそうにも見えた。

 だが男はその巨躯を翻し、駆け去っていった。賊徒たちは、しん、としている。

「お前、とんでもない男だな。こんな奴は初めてだ」

 賊の輪からひとりが歩み寄ってきた。男は胡土児の二振りの剣を拾い上げ、胡土児に差し出した。胡土児は黙って剣を佩いた。

 胡土児は男に眼差しを向けた。この男の目には、何も感じなかった。

「俺の名は孔最。ここの副官のようなことをしている」

「あの男は?」

「あいつの名は誰も知らん。出会ったときから一言もしゃべらんのだ。それじゃ困るので、俺はあいつのことを巨骨(ここつ)と呼んでいる。そう呼んでもあいつは何とも思わん。名などどうでもいいのだろうな」

 孔最が笑顔を見せた。その笑顔は、とても賊に身を落とすような男のものではなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。