「言葉が話せないとは、病なのか?」
「どうだろう、戦うときには雄叫びを上げることもあるがな。ん?お前は」
孔最(こうさい)が胡土児(コトジ)の顔を覗き込み、眉をひそめた。
「俺の名は」
「いや、知っているぞ。お前、胡土児だろう。街中に手配書が回っているからな。こんなところに現れるなんて思ってもみなかったが」
「なら俺を捕らえて、役所に引き渡すか?この人数でも賞金で三年は遊んで暮らせるぞ」
「俺たちを見くびるなよ。胡土児」
孔最が胡土児を睨みつけた。胡土児はじっと孔最の眼を見つめ返すと、ふっと口元で笑った。
「冗談だ。そんなことをする奴らと思ったなら、俺は一人でここへは来ない」
「ふん、まあいい。こっちへ来い」
孔最が顎で胡土児を促すと、歩き始めた。そして集まった賊徒たちを怒鳴りつけて散らした。この孔最という男、歩き方を見てもかなりの手練れであることがわかる。身のこなしにも隙がない。
孔最が櫓に登り始めた。孔最は梯子を音もなくするすると登っていった。胡土児も後に続いた。櫓の上は広く、亭の様になっていて、卓と椅子がしつらえてあった。眼下には少華山の壮大な山並みが広がり、樹々の命が萌え盛っていた。
「なかなか風流ではないか、孔最」
「俺は毎日ここに登り、少華山を眺める。見張りも兼ねているが、ここにいると何か大きなものに守られている、という気がしてくる」
孔最は卓の上にあった椀に、水を注いだ。
「座れ、胡土児。そしてなぜここに来たのか聞かせろ」
胡土児は椀の水を、一口飲んだ。
「それはこっちの台詞だ。お前たちはなぜ、千もの若者と共にこの山に籠っている」
孔最が、息をついた。
「俺は以前、軍の下級将校をしていた」
「ほう」
「だが部下の一人の手癖が悪く、よく官品をくすねたり、民に小銭をせびっていたりした。俺は何度もたしなめたが、いうことを聞かねえ。そればかりか俺が堅物だと周りに悪態をついていた」
「上の者に報告しなかったのか?」
「上は上で腐っている。役人とつるんで店の権利書をだまし取るようなことを平気でしていた。俺は軍に憧れて入ったんだが、正直辟易していた」
胡土児がいた軍は、総帥兀朮(ウジュ)が率いる禁軍だった。規律と誇りを重んじる、金軍の中枢だ。地方軍の下級将校の見る軍の世界とは、随分と違うのだろう。
「そんな中、その部下が騒ぎを起こした。巡回中、騒ぎを聞きつけた俺が駆け寄ると、その部下と五人が一人の巨躯を取り囲み、怒鳴り散らしていた」
「その男が、巨骨か?」
「ああ。理由はわからんが、部下が何か言いがかりでもつけて、銭をせびったんだろう。五人はあっという間に叩き伏せられた。倒された部下が皆、絶命していることは一目見ただけでわかった。そして残った部下の首を掴んで、身体ごと持ち上げた。やめろ、と叫ぶ間もなく、巨骨は部下の首をへし折ったのだ」
胡土児は、黙って孔最の椀に水を注いだ。
「俺はすぐさま応援を呼ぼうとしたが、見てしまったのだ」
「巨骨の純粋で哀しみを宿した目を、か」
「そうだ、その目を見たら俺は考えるより先に、巨骨に駆け寄っていた。そして巨骨を馬に乗せ、そのまま城門を突破してこの少華山に逃げ込んだんだ。不思議と巨骨は俺の言う事には従順だった」
「何か、通じ合うものがあったのだろう」
「それはわからん。巨骨は猟師の経験でもあるのか、飛礫や罠で兎や猪なんか獲って、俺に分けてくれた。何を話しかけても喋ろうとはしないが、俺はそれでも不快には感じなかった」
「それでそのまま、軍を抜けたってわけか」
「俺は決意した。腐敗に満ちた軍に鉄槌を下すと。これは巨骨にも何度も語りかけた事だ」
「孔最、お前家族は?」
「もういない。母は俺が幼いころ病で死に、商人だった親父は人生をかけた大きな取引で、信頼していた友に騙され財産を失い、そして失意のうちに死んでいった」
「そして残ったお前は、叛乱で死ぬのか」
二人の間を風が吹き抜ける。孔最が水を呷った。
「しかし家族の不遇と軍に不満がある、というだけで叛乱を決意するなど、理解しがたいのだが」
孔最が、胡土児の目を見つめた。
「俺が叛乱を決意したのは、これを読んだからだ」
孔最は一冊の冊子を懐から出して卓に置いた。それを見て胡土児ははっとした。表紙には『替天行道』と書かれていた。