南征の準備が進むにつれ、見えてくるものがいくつもあった。
析律(せきりつ)は執務室の壁に掛けられた地図をみながら、何度も考えを反芻した。禁軍総帥に就任した耶律阿列は、その地位に臆することなく、禁軍の調練に励んでいる。
女真族で構成される禁軍五万は当初、契丹族出身の阿列に相当反発した。しかし阿列が率いてきた直属の二千騎は、開封府近郊で行われた軍事演習で、禁軍最強を自負してきた騎馬隊をことごとく撃破した。
また、海陵王が催した御前試合では、阿列に挑んだ将兵全員が、五合と打ち合わず膝を折った。これには海陵王も大いに喜んだ。
よくこれほどの将が、実戦経験も乏しい契丹族に埋もれていたものだ、と析律は正直に思った。金国では建国以来、長らく戦は女真族が行うもの、という暗黙の掟があった。人口の大部分を占める漢族と契丹族は、戦をしない代わりに、重い税を納め、国を支えていた。耶律家を統べる耶律慎思はそんな中でも武人としての心を忘れず、鍛錬に励んできたのであろう。
昨年、梁山泊戦で激烈な戦いを経て生き残った女真族の禁軍五万は、その精強さを誇る一方、心に翳と疲弊を背負っていた。戦は総帥の沙歇が討たれる形で終息、梁山泊は金軍を追撃する力を失くし、撤兵した。
金国は戦に勝ったのではなく、捨て身の攻撃で何とか梁山泊軍を撤退させたにすぎないのだ。梁山泊軍の強さは、兵たちの心の底に、戦に対する歪みを植え付けるには十分なものだった。
しかし阿列が示した武は、それを根底から払拭するものだった。御前試合の後、阿列は将兵に向かって、民族の垣根を越えて金国の繁栄に尽力する、禁軍の将としてみなと戦えることを誇りに思う、と演説し、場を熱狂させた。
梁山泊戦で有力な将をほとんど失った金にとって、阿列は得難き存在となった。今、禁軍は兀朮(ウジュ)が率いていた時代に匹敵するほど、ひとつにまとまっている。
目下の問題は水軍の指揮官だった。海陵王が指名したのは檀奴(だんど)、阿里白(ありはく)兄弟である。兄の檀奴は聡明で胆力もあり、水軍の指揮にも力量を示した。しかし弟の阿里白は、才はあるものの粗暴で水軍の調練をしばしば放棄した。阿里白は兄には従順で、たしなめられて調練を重ね、水軍を指揮するのに十分な将に成長したが、いざ戦になると何をしでかすか分からない危うさもあった。
しかし阿里白は、興が乗ると卓抜な指揮をし、兄を凌ぐ力を発揮する。
阿里白の扱いについては課題を残すとして、意外な発見は自分の軍指揮としての資質だった。
元来文官だった自分は、軍の指揮など考えたこともなかったが、陳武と水軍の打ち合わせや、実際艦船に乗って説明を受けている内に、心がざわめく自分に気づいた。船の揺れ、水を駆ける疾走感、頬を伝う風、五感の全てに命が宿っていくかのような感覚だった。
前の丞相の撻懶(ダラン)は、析律の丞相としての資質を不安視していた。気の弱さや決断力の無さなど、自分が丞相としての器がないことは自覚していた。撻懶は根気よく自分と向き合い、何とか丞相として責務がこなせるように育ててくれた。
しかし船上の空気や、艦隊の指揮に気を巡らすうちに、夢中になる自分がいた。もちろん身体を鍛えたこともなく、剣を振るうこともできない。初めは船にも相当酔い、情けなく甲板に転がっていたこともある。それでも船に慣れると、また乗りたいという気持ちになった。そして船隊を指揮してみると、今まで感じたことのない充実感があったのだ。そんな不思議な発見もあったが、何より戦略を優先し、自分の気持ちは押し殺し、檀奴、阿里白の成長に力を注いだ。
南進の策はほぼ出来上がった。
契丹族十万の調練も終わり、耶律慎思は兵と共に開封へ合流するため、今は大同府を進発している。
しかしここに至って予想外の報告を受けた。胡土児捕縛の密命を受けた阿列が、梁山泊の呼延凌、小梁山の秦容の騎馬隊に妨害を受けたというのだ。
梁山泊消滅後、呼延凌と秦容の所在は分からなくなった。大戦後、あえて南方に間者を送ることはしなかったが、析律はそのことを後悔した。梁山泊騎馬隊は二千程だったというが、その力量は凄まじいものだったという。
なぜ呼延凌と秦容が、この規模の騎馬隊を運用できたのかはわかっていない。その目的も不明だ。胡土児を救出するように動いたところを見ると、胡土児を頭領に担ぎ上げ、梁山泊を再興させることが考えられるが、であるなら、そもそも大戦後に梁山泊を消滅させる理由がない。
金国内では、梁山泊を決死の覚悟で撃退し消滅させた、との見方がされているが、文官として国を見ていた析律にはそうは思えなかった。梁山泊が力を持ちながら、自ら消滅の道を選んだとしか思えないのだ。なぜ梁山泊が消滅したのか、その理由が、析律にはどうしても分からなかった。