太子、趙眘(ちょうしん)を初めて目にした時の衝撃を、岳霖ははっきりと覚えていた。 歳は自分と同じ三十五と聞いていたが、実際会ってみると、まったく次元の違う人間としか思えなかった。
何がどう違うのか、うまく説明できない。が、とにかく何かに圧倒されたことだけは確かだった。強いて言えば名君の器、ともいうべきか。しかしそれがどんなものなのか岳霖には分からなかった。ただ学識に関しては、学者も舌を巻くほどだという。
古来より中華では儒教思想により、皇帝の血統は神格化されてきた。しかし軍人である岳霖には、それが実を持つものとは思えなかった。
例えば北宋の八代皇帝徽宗は、自らの芸術活動のために民に重税を課し、国の財政を傾け民の恨みを買った。それは方臘(ほうろう)の乱という宗教反乱に発展し、北宋滅亡の一因を作ったのだ。施政者が奢侈に走ると、民が苦しむことは道理として明白である。
しかし岳霖は、儒教思想を否定することはしなかった。儒教が国学である以上、その思想に則り国に仕えるのが筋であるし、その上で軍人として為すべきを為すことが、自分の務めであると考えていた。
であるから尚更、岳霖は趙眘から受けた衝撃に、ずっと戸惑いを覚えていたのだった。
趙眘と出会ったきっかけは、趙眘が岳霖に武術指南を願い出てきたことだった。岳霖が禁軍総帥の印綬を受け、各地に調練に赴いていたのを知った趙眘が、興味を持ったのだという。
趙眘は幼いころ、今上の趙構の養子となり後宮で育った。身体を鍛えるどころか、運動するという事も知らぬまま大人になってしまったため、身体は極めて細かった。
最初は背丈ほどの調練用の棒を、十回振っただけで息が上がった。岳霖が一抱え程の太さの丸太を、頭上で軽々と振り回すと、趙眘は目を丸くした。
その後も趙眘は、粘り強く棒を振り続けた。体力は日に日に向上し、今では一刻(三十分)程棒を振っても、息を切らさなくなった。
次に岳霖は様々な棒の振り方を教えた。上下左右へ、斜めから、下から上へ。岳霖がひとしきり棒を振ると、棒はひゅうひゅうと音を立て、砂塵が舞い上がった。趙眘が思わず後退る。そして見よう見まねで棒を振り始めた。
趙眘は筋がいい。それは動きを見ていてわかる。岳霖の動きを注意深く観察し、その動きを自分の体に置き換えて再現しようとする。武術の初学者は、とにかく力を込めることに意識してしまうため、無駄な動きを覚えてしまうことが多く、それを本来の武の動きに修正することは困難を極める。趙眘はまるで、字の手本を丁寧になぞるように、動きを覚えていった。
それは舞踊の才なのかもしれない。と岳霖は思った。力を抜いて丁寧に、柔らかく身体を動かす。その感覚は天性のもの、といってよかった。
不意に、趙眘が気を放った。
一瞬棒が躍動し、旋風を巻き起こす。砂塵が舞い、棒は趙眘の周りをくるくる回り、脇に収まった。
「殿下、お見事です。まこと、武の才がおありになります」
岳霖は思わず声を漏らした。
「棒と対話する。そんな気持であった。棒を行きたいところに行かせ、わずかにその後押しをするように力を込める。そうすることで、棒は気持ちよく勢いを増していく。武とはまことに面白いものであるな」
「ご明察、恐れ入ります」
「岳霖、また教授せよ」
そう言うと趙眘は汗を拭い、庭を後にした。岳霖は趙眘の背中に向かって平伏した。
心が、冷めている。
有り余る才がありながら、何かに熱くなることがない。武に関しても強くなりたい、という想いは感じられない。ただ未知のものに対する好奇心、それだけで鍛錬しているのではないかとすら思えてくる。
しかし日に一刻の鍛錬は欠かしていないようだ。岳霖が指導するのは三日に一度である。そのひたむきさもまた、岳霖を戸惑わせた。
そしてひと月後には、馬に乗って狩りにも出かけるようになった。棒だけではなく、剣、弓、槍、馬術と趙眘は難なく習得していった。もちろん兵士のように屈強ではないが、武の腕前では並の将校では敵わないかもしれない。
そんな趙眘の成長も、本人にとっては、たまたま庭に咲く花を見つけた程度の出来事のようだった。
趙眘は一体どんなことで心を熱くするのだろうか。岳霖が初めて戦場に赴いたとき、父岳飛が騎馬隊を率いて疾駆する姿を見て、どうしようもなく心が燃え盛ったのを鮮明に覚えている。
この日も、趙眘と狩りに出かけた。供回りは百騎で、兵たちが森に入りけものを追い立てて、趙眘が射倒すのである。岳霖が傍に控え不測の事態に備える。
兵が鹿を趙眘の前に追い立てた。鹿は趙眘の馬を避け横に駆け、趙眘も鹿を追いかけ並んで駆け、矢をつがえる。
趙眘の放った矢が鹿の尻に当たり、鹿はさらに興奮して茂みに駆けこもうとした。馬を疾駆させて追う趙眘。
「死ね、趙眘」
突然茂みから、数人が立ち上がり一斉に矢を放った。