斥候の報告を聞くたびに、秦容は苛立ちを募らせていた。
呼延凌と秦容は耶律慎思の行軍路を探らせていたが、探る、というほどもなく契丹兵十万は大同市より街道を南下していた。
秦容は暇を持て余し、轟交館の庭先で狼牙棍を振っていた。
「慎思の野郎、のんびり行軍しやがって。まるで遠足気分だな」
「確かに行軍の速度は遅い。兵の質や疲労も計算しているのだろう」
「ふん、慎思は老いぼれて、長時間馬に乗っているのがただ辛いのだ。ただでさえ新兵十万の調練などやらされている。奴さんも苦労するだろうさ。同情するね」
狼牙棍が唸りを上げる。狼牙に触れた木々が砕け散っていく。秦容もいくらか歳を取ったが、瞬間的な力はむしろ強くなっていた。武器を扱う技術は年齢と共に洗練され、武器に命が宿っているかのように躍動する。狼牙棍を振るう秦容が、嬉々としていた。
「おい、呼延凌、小梁山での勝負がまだ付いていない。今ここでやろう」
ひとしきり狼牙棍を振った秦容が、息を荒げて言った。
「やめておけ。作戦前にお前が怪我をしたのでは、あまりに不憫だ。ただ、その狼牙棍の技は、薪を集めるにはちょうど良いがな」
呼延凌は、砕かれた木を拾いながら言った。轟交館にいる限り、食事は使用人が用意することになっているが、呼延凌はなるべく山に入り、けものを獲って自分で調理していた。梁山泊の将軍だった父、呼延勺に認められようと、子供のころからなるべく人の手を借りずに生活してきた。
呼延凌が父、呼延灼と共に軍で過ごした時間はあまりに短かった。梁山泊と童貫との戦いも佳境を迎えたころ、呼延灼は童貫の腹心、趙安を攻めあぐねていた。
呼延凌は父に従い従軍、乾坤一擲、突出した趙安を猛追し討ち取るが、直後敵の五千騎に阻まれた。父は単騎その五千騎に躍り出て、束の間呼延凌が脱出する時を作った。直後に史進率いる赤騎兵が介入し、五千騎は潰走するが、重傷を負った父は、間もなく息を引き取った。
呼延凌は、父から受け継いだ双鞭を溶かし、一振りの鞭に打ち直した。その鞭を、七星鞭と名付けた。父に生かされたこの命と共に、この七星鞭は輝き続けている。
呼延凌の梁山泊軍総帥としての戦いは、沙歇を討って金軍を追い払ったとき、終わったと思っていた。
梁山泊が消滅したその直後、呼延凌を、言い知れない虚無感が襲ってきた。
長らく梁山泊軍の総帥を務めてきたが、自分より適任は多くいたと思っていた。史進、花飛麟、そしてそこにいる秦容も、総帥の資質としては自分よりはるかに上だ。
しかし史進は遊撃隊が最も力を発揮したし、花飛麟は戦死、秦容は退役し南方へ行った。
結果自分が梁山泊軍を背負うことになったが、それが心の重しになっていたのだろう。金国との戦が終わった瞬間、弓の弦が切れたように、何もできなくなり、何も考えられなくなった。
自分が何のために戦っていたのかさえ、思い出すことができなくなっていた。
つまり、気が触れたのだ。
その時、傍に秦容がいてくれたからこそ、秦容が南方に連れて行ってくれたからこそ、正気を取り戻すことができたと思っている。