胡の地より   作:遼心

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胡土児は軍を抜け、岩山での生活を愉しんでいるつもりだった。ただ、その脳裏には、常に武人の姿がよぎる。それは、若き従者も一緒のようだった。


第六話 幸と旗

「運よく倒木を見つけました。朝までは足りるでしょう」

「蕭尤(しょうゆう)、この倒木は、さっきのくしゃみと交換だな」

 蕭尤が疲れた表情で微笑み、一息ついて幕の下に腰かけた。耶律哥(やりつか)も一度伸びをして蕭尤の隣に座った。

 胡土児(コトジ)は腸詰めを埋めたあたりで火を興し、三人で火を囲んだ。胡土児はももの肉を串にさし香料をかけ火にかざす。二人とも疲れたのか、あまりしゃべろうとはしない。

 火は心を落ち着かせる。徐々に大きくなる火を見つめる。幕の内は明るくなるが、外は逆に闇が濃く深くなっていく。火は心を内に向け、外を見えにくくする。

 戦でも感情に火が灯ったほうが負ける。胡土児が初めて騎馬隊を率いて戦場に出た時も、感情に任せて無謀な突撃をした結果、多くの部下を死なせた。それ以降、火を見るたびにその思い出が脳裏をよぎる。感情の炎は一見勇しい。しかし戦場でそれを躱わすのは容易だ。生れた隙に付け込むのもたやすい。本当に恐ろしいのは、その激情を隠し続け、音もなく相手の懐深くに飛び込み、爆発させる戦人(いくさびと)だ。

   九紋竜(くもんりゅう)史進の戦い方が正にそれだ。

 史進はいつも赤騎兵を率いて戦場の外にあり、じっと戦を見極める。戦機を感じ取ると、凄じい勢いで戦場を駆け抜け、最も効果的な一撃を加える。燃え盛る赤い鉄棒に触れ、生きた者はいないとさえ言われた。先年の戦の後、梁山泊が消滅し、史進と赤騎兵の所在は分からなくなった。

「胡土児様、肉が焼けましたよ」

 胡土児が顔を上げた。

「まださ。表面だけ焼いて、少し火から離してゆっくり焼くんだ」

 胡土児は串を火から少し遠ざけ、鍋に水を汲んで火にかけた。もう一つ焚火を興し、鉄の板を乗せ腹の脂を溶かし、捌いた肝と心の臓、背の肉を薄く切ってを塩をまぶして焼く。脂の弾けるいい音がした。

「俺、肝臓苦手なんだよな」

耶律哥が呟いた。

「捌いた直後の肝を、芯に火が通る直前に食べる。臭みはないぞ」

 胡土児は頃合いを見て肝と心を取り分け、二人に差し出した。耶律哥が、恐る恐る肝を口にした。耶律哥が眼を見開き、心も頬張る。

「ほんとだ、うまい。心臓も脂が乗っていて、歯ごたえがいいですね」

「肝と心は足が早いからな。狩った直後に食うのが一番さ」

 胡土児は沸いた湯に、持ってきた麦の粉を練った玉を幾つか放って、山菜と脛の肉を入れ香料をまぶし、蓋をした。蕭尤は無言で肝と肉にがっついている。

「胡土児様、いいですか」

耶律哥が、不意に切り出した。

「なんだ」

「胡土児様は、これからどうなさるおつもりですか」

「何の話だ」

「岩山の暮らしも楽しいのですが、俺は胡土児様にもっと世に躍り出て、活躍してほしいのです」

 耶律哥はじっと、胡土児の目を見つめてきた。

 胡土児は目を伏せて苦笑した。どうやら心配されているのは俺の方だったか。ふと見ると蕭尤はいつの間にか横になって眠っている。

「お前はどこかの軍に入りたいとは、思わないのか」

「胡土児様の軍以外ありえません」

「俺は軍人ではない」

「いえ、きっとどこかで旗を揚げられます」

「揚げる旗はたもなければ、理由もない」

「きっとどこかで、です」

 胡土児は戸惑い、返す言葉が見つからなかった。耶律哥がここまで真剣に自分と向き合っていたとは思ってもみなかった。きっとこの半年、ずっと思い続けてきたのだろう。俺はとにかく飢えないようにと、暮らしを立ててきただけだ。二人が大人になって、それぞれの道を歩み始めるまでは。そう思っていた。

「お前はあの襲撃のことを言っているのか」

「正直俺は納得していません。なぜ俺たちが襲われなければならなかったのか。俺は本当のことを知りたいのです」

 

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