「蛇の腹に、ようこそ」
そう呟くと、孔最は傍に用意してあった強弓を手に取り、鏑矢をつがえた。力の限り強弓を引き絞り、天に向かって矢を放つ。矢はひゅう、と哀し気な鳴き声の尾を引きながら、天に吸い込まれていった。
「天よ、俺の志を聞き遂げよ」
少華山の気が、一瞬消えた。そして次に現れたのは、禍々しい空気の上昇だった。山道全域に潜伏していた仲間の五百が、一斉に山道に火矢を放ったのだ。
この時のために、山道脇の木には硝石の粉をふりかけておいたり、葉を摘み取って乾燥させたものを地面のいたるところに撒いておいたりした。
火は瞬く間に山道を覆い隠し、その火は櫓から見下ろすと、あたかも炎の蛇となり、少華山を貫いているかのように見えた。
それを見届けると、孔最は広場へ降りていった。広場には仲間が孔最を待っていた。五百人いた仲間は、かなり欠けていたが、今は気にしなかった。
「よし、みんな水をかぶれ。水筒を腰に付けろ」
仲間が一斉に桶の水を頭からかぶり、水の入った水筒を三つずつ、腰にぶら下げた。孔最も水をかぶり、水筒を腰に付けた。
「みんな、ここからが勝負だ。俺たちの志が、燃え盛る炎よりも熱いという事を、天に示すのだ。門を開けろ」
鬨の声と共に、山門が開かれる。門の隙間から熱気が噴き出してくる。その熱気の中へ、仲間たちが次々と飛び込んでいく。孔最もそれに続いた。
山道には炎の中逃げ惑う兵の姿。森の奥へ逃げようとすれば罠にかかる。山道を駆け下りようとするも、狭い山道では後続の兵に阻まれ、思うように駆けられない。そこへ仲間たちが突っ込んでいく。
仲間は次々と兵を斬り倒し、山道を駆け下りていく。抵抗しようとする兵はいない。
炎は敵味方等しく襲い掛かる。しかし孔最の目には、炎に対し臆病になった者にこそ、炎は激しく襲い掛かっているように見えた。もう官軍の兵に戦意はない。成す術なく炎に巻かれている。
しかし、孔最は容赦しなかった。不正と力で民を苦しめた兵士たち。世を糺す。その志の前に心を鬼にする。富や名声ではない。ましてや孔最自身の幸せですらない。志のためには、人でなくなることも厭わない。孔最はその覚悟で剣を振るい続けた。
仲間の具足に炎が纏わりつくこともあったが、他のもの数人で、水筒の水をかけ消していく。
「お前、まさか孔最か」
炎の中から、声が聞こえた。声の方を振り向くと兵がひとり、こちらを睨んでいる。顔に見覚えがあった。軍にいたころの上官だった男だ。名は、思い出せない。
「お前が仕組んだのか、この火計は」
「だとしたら、なんだ」
「孔最、お前は恩のある軍に背いたばかりではなく、かつての仲間をこんな目に遭わせた。お前は義という言葉を知らんのか」
男は顔を真っ赤にして叫んだ。義、という言葉が孔最の心に引っ掛かった。
「俺は義など知らん。だが、お前と役人が結託して店の権利書をだまし取り、そのせいで心中した家族の名なら、いくらでも知っているぞ」
男の顔が歪んだ。その歪んだ顔のまま、首が飛んだ。言葉だけの義に、何の意味がある。孔最はそう思った。
「止まるな。駆け続けろ」
そう叫ぶ孔最の喉が、燃えるようだった。包み込む炎は激しさを増し、吸う息とともに炎が身体に入り込もうとする。五感の全てを、炎が支配した。
炎が優しく頬を撫でる。この炎の向こう、はっきりと志への道が見える。孔最は迷うことなく、その道に飛び込んだ。