「王進先生、とは?」
胡土児が震える膝を押おさえ、何とか立ち上がりながら言った。
「王進先生は旧宋禁軍の武術師範だった人だ。子午山に隠棲し、史進殿に武術を教えた人でもある」
「史進殿に、武術を」
「史進殿だけではなく、俺やお前の実父、楊令殿など、多くの梁山泊の将校が王進先生に武術を教わったのだ」
「俺が知っている武の世界とは、まるで違うものでした」
「胡土児、お前に武術の師匠はいるか?」
「いえ、俺は幼いころから森や山を駆け回っていました。強いて言うなら、山と森のけものたちが、武術の師匠といえますが」
「けものの武は、己が生きるためのものだ。生きるために強くならねばならない。そう思う限り、王進先生の武にはたどり着けないのだ」
「よくわかりません」
「それでいい。胡土児、明日から俺は五百の兵の調練に入る。お前と玄旗隊もそれに加われ」
秦容がまっすぐ、胡土児の目を見つめた。
「秦容殿、俺は武術を極めることに、あまり興味はありませんでした。しかし史進殿の強さの秘密にその王進先生の武があるなら、見てみたいと思います」
「時があまりない。生半可ではないし、死ぬ者も出るかもしれん。それでもいいのか?」
「望むところです。その覚悟のない者は故郷へ帰します」
「わかった。お前と玄旗隊の命、しばらく俺が預からせてもらう。おい呼延凌、連れ帰った五百に招集をかけてくれ」
「なんだ秦容、元気そうではないか。てっきり武人の誇りを傷つけられてしょげ返っているかと思っていたが」
呼延凌が、からかうように言った。
「武人の誇りだと?なんだそれは?」
秦容が、ぽかんとして言った。
「なんだ、違うのか。ならばそろそろ語れよ。あのとき何があったのかを。そして耶律慎思という将のことを」
「語るだけでなく、今度じっくり味わわせてやるよ。よし胡土児、もう一度立ち合いだ」
胡土児は再び、秦容と向き合った。秦容はさっきと同じように立っているが、今度はさっきのように動けない、という事はなかった。
胡土児が素早く打ち込む。打った、と思った瞬間、胡土児は膝を折って棒を落としていた。手首と膝を打たれたのか。手首と膝がしびれている。
「どうした胡土児、立て」
胡土児は落ちた棒を拾い様、地面を蹴って秦容めがけて打ち上げた。この速さ、躱かわせまい。
しかし胡土児の躰は宙を舞い、もんどりうって背中から地面に落ちた。肩に痛みがあり、それで肩を突かれたのだと分かった。
それから何度打ち込んでも、胡土児の棒が秦容に触れることはなく、胡土児は方々を突かれたり、打たれたりした。
「もういい、胡土児。棒を置け。次は体術だ」
「組打ちなら俺は負けない」
胡土児は全力で飛び込み、秦容につかみかかる。秦容を掴んだと思った瞬間、胡土児の視界には空しか見えなかった。胡土児には何が起きたか分からなかった。
「胡土児、勘違いするな。これは組打ちではない、体術だ」
胡土児はかっとなり、秦容につかみかかったが、そのたびに胡土児の身体は宙を舞い、地面に何度も叩きつけられた。
顔に水を掛けられ、跳ね起きた。知らぬ間に気絶していたようだ。胡土児の心に憤怒が込み上げてきた。ここまで子ども扱いされたことなど、今まで一度もなかった。
身体は幾度も痛めつけられ、動きそうになかったが、激情だけが身体を駆け巡った。
その時、胡土児の躰が不意に軽くなった。気力が底から沸き上がり、思うさまに身体が動くような気がした。
目の前の秦容を、滅する。
その想いだけで、胡土児は気力を爆発させた。